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5月27日ヨブ記13-15章『主に答えを求める』

懸賞 2010年 05月 27日 懸賞

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『主に答えを求める』
「13:1 見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。13:2 あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。13:3 だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。・・・」「14:13 ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。14:15 あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。」

①ヨブは友人たちの罪の指摘に対して、『自分はそのことは知っている』と返しています。②そしてヨブは、人間では解からない問題の答えを神に求めました。・・・人間の目や、人間の次元の因果応報では解決できないことがこの世界にはあります。その時に人が主に向き、主に聞くならば解決が与えられるのです。ヒューマニズム(人本主義)には限界があります。そのことを深く理解して、主に求めるときにふさわしい答えを受け取ることができるのです。ただし多くはヨブのように瞬間的に答えを与えられません。その時、忍耐を持って求め続けることがカギなのです。YCCFuji

コメント:「ヒューマニズムの限界」
人からやさしくしてもらったり、気にかけてもらうことは私たちにとって大切な交わりです。
これによって勇気をもらい、励ましや慰めを受けることができるからです。

しかし神を信じる者が、もしこの人間的な支えだけに目を向け、そこに解決を求めてしまったならば、
実は危険なことなのです。

そうすると、次第に人間的な解決や支えだけにより頼むようになり、もっと支えられたいもっと慰められたいとなっていき・・・いつしか神に頼ることから遠のいてしまうのです。

このことが非常に危険なのです。
少し考えれば分かりますが、人間的な支えには限界があります。人は人に期待に完全には応えられません。そうなると時に支えてくれない人を裁き、拒否するような極端な対応をしてしまいます。

その時こそ、人ではなく創造主に、最終的な解決を求めることが、健全な方向なのです。
そうすれば、変わらずに人を愛し、健全な人間関係を保つことができます。
人間関係が「偶像:(創造主以外のものを支えにすること)」になってしまっては、本末転倒なのです

偶像を持つと、偶像に縛られます。そして一番恐ろしいことは、創造主から遠のき、祈ることから疎遠になるのです。これは危険なことです。

神を信じる人で、「自分は最近、創造主に頼り、祈ることが少なくなった」と感じる方は、自分自身を振り返りましょう。そして偶像を持っているかどうかをチャックしましょう。
偶像は宗教的なものだけではないのです。(友人・子供・地位・お金・・時に自分の能力も、偶像になりえます)

他の何かを求める以上に、一番に創造主を求めることは健全なことです。
そうすれば、すべてに縛られない、自由な人生(規範を越えることもない)を生きることができるのです。

# by happiness-eachday | 2010-05-27 09:57 | 2010年5月 | Trackback

5月26日ヨブ記10-12章『主に祈り訴える』

懸賞 2010年 05月 26日 懸賞

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『主に祈り訴える』
10:1 私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。10:2 私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。10:4 あなたは肉の目を持っておられるのですか。あるいは、人間が見るように、あなたも見られるのですか。10:6 それで、あなたは私の咎を捜し、私の罪を探られるのですか。」

①ヨブは、苦しみの中で心の叫びを主に訴えました。しかし主の御心はすぐに答えを与えることではなかったのです。②主の答えはこの先38章で突然やってきました。それまでヨブは祈り続け、主に訴え続けたのです。③そして最後には主の答えを頂いて、病が癒され、かつての2倍の祝福が与えられたのです。・・・苦しみの中にも主は働いておられます。そしてその人の祈りを主は確かに聞いておられるのです。待つことが長いと思える時にも、信じ続けましょう。現在の環境には主の計画があることを聖書は教えてくださるのです。YCCFuji

# by happiness-eachday | 2010-05-26 08:54 | 2010年5月 | Trackback

5月25日ヨブ記7-9章『神と人との仲介者の必要』

懸賞 2010年 05月 25日 懸賞

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『神と人との仲介者の必要』
【7:11 それゆえ、私も自分の口を制することをせず、私の霊の苦しみの中から語り、私のたましいの苦悩の中から嘆きます。・・・9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう。」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。9:34 神がその杖を私から取り去られるように。その恐ろしさで私をおびえさせないように。9:35 そうすれば、私は語りかけ、神を恐れまい。いま私はそうではないからだ。】

①ヨブは自分の苦しみの理由がわかりませんでした。ですから主に叫び、答えを求めたのです。②しかし自分自身が罪人であることをヨブは深く自覚していました。③そして神と人との間に立ってくださる仲介者(キリスト)が自分のために必要だと悟ったのです。・・人間の理解(ヒューマニズム)では、真の現実を理解できません。神があなたの人生に関わることを知って、初めて現実が理解できるのです。神に訴えましょう。そしてキリストにすがりましょう。キリストは神と私をつなぐ方として、私を導いてくださるのです。YCCFuji


コメント:「ヒューマニズムを超える」
神が何を願っておられるのか?
これが人としてよい生き方をする大事なポイントです。

道路交通法を無視しての車の運転がありえないように
神の願い(律法)を無視しての、人生の正しい道はありえないのです。

ですから、人本主義(ヒューマニズム)はある部分は素晴らしいのですが
限界があります。

「神を迎えたヒューマニズム(これを神本主義といいます)」でなければ、現実を正しく理解できないし、正しい対応もできないのです。

まず知識から入りましょう。自分の考えを超えた神の計画があることを認識するのです。
そしてヨブのように、感情を注ぎ出して祈りましょう。
自分のこころ(感情)に、主が触れて下されなければ、ヒューマニズムの感情を超えて、心から主にお従いすることはできないのです。

自分の感情がどういう状態でも、道路交通法があるように
どんなコンディションでも、神の願い(律法)を意識して生活しなければ、
良い選択をすることはできないのです。

キリスト(イエス様)は、私たちの仲保者(仲介者)として、私たちが神と共に歩めるように助けてくださるのです。
知識でも
感情でも
キリストは助けてくださいます。

そして意志を持って私たちは、良いものを選択するのです。
「からし種ほどの(小さな)信仰が」山をうごかすのです。(マタイ17:20)
神本主義に立った、小さな選択が、あなたの人生を大きく変えるのです。

# by happiness-eachday | 2010-05-25 09:07 | 2010年5月 | Trackback

5月24日ヨブ記4-6章『人間的知恵の限界』

懸賞 2010年 05月 24日 懸賞

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『人間的知恵の限界』
【6:8 ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。6:9 私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10 私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。6:11 私にどんな力があるからといって、私は待たなければならないのか。私にどんな終わりがあるからといって、私は耐え忍ばなければならないのか。】

①サタンの業によって、ヨブは大きな試練に遭いました。②エリファズは人間的な知恵で、ヨブに訓戒しますが、ヨブの心には届きませんでした。なぜならヨブはいつも神の言葉を守り従い続けたからでした。・・・主に従い続けても試練に遭うことがあります。その理由は人間の経験や知恵では図りきれません。エリファズの心無い言葉によって、ヨブはますます神の前に祈り訴えるようになったのです。ヨブは直ぐに神の答えを頂けませんでした。しかし主に訴え続けた時に、最後には主からの答えを頂けたのです。求め続けるときに、主の計画によって神の知恵にまで至るのです。YCCFuji

# by happiness-eachday | 2010-05-24 08:43 | 2010年5月 | Trackback

5月23日ヨブ記1-3章『サタンの攻撃と主の助け』

懸賞 2010年 05月 23日 懸賞

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『サタンの攻撃と主の助け』
【2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼(ヨブ)をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。】

①ヨブ記は「なぜ義人が苦しみに合うのか」という永遠のテーマを教える書簡です。②第一にサタンは、信仰者を攻撃するということ③第二に、神の許可の範囲でしかサタンの攻撃はできないということ④第3に神がサタンの攻撃を許可する場合は、苦しみの後に大きな祝福が準備されていること・・・が分ります。私たちはサタンを恐れる必要はありません。しかし苦しみの中にあっても、主と出会うところまで近づく必要があります。信仰を持ち続けましょう。叫び続けましょう。死を越えるような苦しみの中こそ、劇的な主との出会いが計画されているのです。YCCFuji

# by happiness-eachday | 2010-05-23 00:06 | 2010年5月 | Trackback