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5月22日Ⅱ列王8-9章 ルカ5:17-39

懸賞 2019年 05月 22日 懸賞

『イゼベルの最後(罪の刈り取り)』
【Ⅱ列王9:30 エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓から見おろしていた。9:31 エフーが門に入って来たので、彼女は、「元気かね。主君殺しのジムリ」と言った。9:32 彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見おろしていたので、9:33 彼が、「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とした。】①エフーは、主によって王に任命されましたが、その目的は、神に大きな罪を犯したアハブ王の子孫に裁きを下すためでした(9:8)。そしてアハブ王を陰でコントロールしていたイゼベルの最後が、ここに書かれているのです。人を陰で操り、自分の思い通りにコントロールすることは「罪」です。主はそれをそのままにはしておられないのです。どんなに隠しても、巧妙な方法でも、罪は罪です。主はその報いと刈り取りを、必ず起こされるのです。


『友人の信仰で救われた男性』
【ルカ5:18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。5:19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。】①イエス様は、友の信仰を見て、この男性を癒されました。中風とは、脳出血による麻痺のことです。本人は十分に動くことができませんでした。しかし周りの友人の信仰と行動が、この男性を救ったのです。この友人たちの様に、あなたの「救いへの情熱と信仰」を用いて、主は「だれかを救われる」ことがあるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-22 00:36 | 2019年 | Trackback

5月21日Ⅱ列王6-7章 ルカ5:1-16

懸賞 2019年 05月 21日 懸賞

『信仰で問題を見る』
【Ⅱ列王6:15 神の人の召使いが、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者がエリシャに、「ああ、ご主人さま。どうしたらよいのでしょう」と言った。6:16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。6:17 そして、エリシャは祈って【主】に願った。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」【主】がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。】①アラムの王は、エリシャを捕えるために、ドタンの街を包囲しました。エリシャのしもべたちは恐怖におののきましたが、エリシャは「私たちのほうが多い」と言い、神様が準備している馬と戦車を見せたのです。私たちが「ダメだ」と考えても、神様の計画はそうではありません。私たちの、目が開かれる時、現実の問題よりも「はるかに大きな神様の準備」を知ることができるのです。「信仰」で「現実を見る力」が必要です。自分の判断を最終判断としてはいけないのです。



『イエス様の言葉に応答する』
【ルカ5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。】①ペテロはプロの漁師でした。その漁師が一晩漁をして一匹も魚が取れなかったのです。ペテロはイエス様の言葉を「そんなことを言っても・・・」と無視することもできたのです。しかしペテロは「イエス様のお言葉」ですから、と言って従いました。その結果、多くの魚が獲れたのです。自分の経験や知恵で理解できない解決が「信仰の世界(霊の世界)」で起こります。「イエス様の言葉」に「応答」する時に、神の業が起きるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-21 05:44 | 2019年 | Trackback

5月20日Ⅱ列王記4-5章 ルカ4:14-44

懸賞 2019年 05月 20日 懸賞

『器に油を満たす奇跡』
【Ⅱ列王4:2 エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」4:3 すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。4:4 家に入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」】①エリシャは、預言者の未亡人が助けを求めに来た時、彼女が持っている「油のつぼ」で奇跡を起こしました。つぼから湧き上がった油は、「もう器はありません」と言ったその時まで、増え続けたのです。器の分、油が与えられました。神様は、私たちが飢え渇いている分、満たして下さるのです。また他の人のために求める人は、それをも満たしてくださるのです。主の恵みは、求める度合いに応じて、与えられるのです。

『イエス様についていく』
【ルカ4:42 朝になって、イエスは寂しい所に出て行かれた。群衆は、イエスを捜し回って、みもとに来ると、イエスが自分たちから離れて行かないよう引き止めておこうとした。4:43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」4:44 そしてユダヤの諸会堂で、福音を告げ知らせておられた。】①人々は、イエス様が癒しと奇跡をなされたのを見て、もっと奇跡をしてほしいと願い、イエス様を自分たちのところに留めようとしました。しかしイエス様には計画があり、もっと多くの場所で福音を伝えようとしておられたのです。私たちが、「イエス様と一緒にいたい」と願うならば、イエス様のことを考えつつ、ついていくことです。それが祈りの結果であり、信仰の応答なのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-20 01:05 | 2019年 | Trackback

5月19日Ⅱ列王1-3章 ルカ4:1-13

懸賞 2019年 05月 19日 懸賞

『神様が喜ばれる言動』
【Ⅱ列王2:23 エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、「上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭」と言ったので、2:24 彼は振り向いて、彼らをにらみ、【主】の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。】①主は、神様の働きをしているエリシャを守りました。神様の働きを、あざけることは、良くないことであり、神様に反逆することでもあるのです。私たちは、いつでも「神様が喜ばれることは何か」と考えながら、行動する必要があります。そのことを願いながら、聖霊に助けられるならば、言葉や行動が自然に変わるのです。


『み言葉による、誘惑からの勝利(イエス様の模範)』
【ルカ4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、4:2四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。4:3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」・・・】①イエス様は公生涯を始める前に、悪魔の誘惑を受け、み言葉で勝利をされました。ここに「御霊に導かれた」と書かれていることに注目すべきなのです。誘惑も「主の許可」の中で行われています。誘惑からの勝利の後には、神の働きが「大きく前進」するのです。私たちの周りには、悪い力が働いています。しかしみ言葉によって、私たちは「誘惑を退け」、「勝利をしていく」のです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-19 05:57 | 2019年 | Trackback

5月18日Ⅰ列王22章 ルカ3章

懸賞 2019年 05月 18日 懸賞

『正しい裁きをされる創造主』
【Ⅰ列王22:41 アサの子ヨシャパテがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの第四年であった。
22:42 ヨシャパテは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。22:43 彼はその父アサのすべての道に歩み、その道からそれることなく、【主】の目にかなうことを行った。】①南ユダのヨシャパテ王は、良い王で信仰深い人であり、人柄もよかったようです。北イスラエルのアハブ王の悪だくみによって、身代わりに殺されそうでしたが(22:32)、しかし主はヨシャパテ王を守り、アハブ王は結局殺されたのです。主は、「主を愛し主に従う者」を守られるのです。イエス様もマタイ25章で、羊と山羊を分けるたとえを語られています。裁きや結果は、すぐに起きないことがあります。しかし真実な創造主は、必ず「正しい裁き」をされるのです。


『悔い改めと悔い改めの実』
【ルカ3:7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。3:8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。3:9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」】①バプテスマのヨハネは、イエス様の道備えをした人物です。そしてその中心は『悔い改め』です。『悔い改め』とは、自分の罪を自覚し、深く主の前に赦しを求めることです。自分の罪が分からない人は、悔い改めの祈りができません。(本音では自分が正しいと思っているからです)そして祈っても「生活が変わらない」のです。「自分のプライド」を主によって教えていただきましょう。的を得た悔い改めは、人生を変えるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-18 18:00 | 2019年 | Trackback

5月17日Ⅰ列王20-21章 ルカ2:21-52

懸賞 2019年 05月 17日 懸賞

『誘惑の恐ろしさと悔い改めの恵み』
【Ⅰ列王21:27 アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。21:28 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような【主】のことばがあった。21:29 「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」】①アハブ王は、邪悪な妻のイゼベルの助言を受け入れ、ナポテを殺し。彼のブドウ畑を取り上げました。アハブは、人が良かったかもしれませんが、悪い助言を受け入れて、罪を犯したのです。イゼベルのような人は、人をコントロールし、自分思い通りに事を運ばせることが好きです。しかしその誘惑に乗ってはいけません。いくら親しい人からの言葉でも、悪は悪なのです。そしてもし罪に気が付いたのならば、すぐに悔い改め、行動を改めることが、最善の手段のです。


『主の働きに備える』
【ルカ2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。2:26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。2:27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。】①救い主イエス様を証しするために、主は何人かの人を準備しておられました。シメオンもその一人です。彼の人生の目的は「メシアに出会うこと」であり、神様はその約束を果たして下さったのです。イエス様を証しする時に、人が用いられます。あなたも、もしかすると、ある人にイエス様を証しするために「準備された人」かもしれません。備えましょう。備える時に、神様からの使命を果たすことができるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-17 01:19 | 2019年 | Trackback

5月16日Ⅰ列王18-19章  ルカ2:1-20

懸賞 2019年 05月 16日 懸賞

『悪い言葉を入れない』
【Ⅰ列王 19:1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。19:2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」19:3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、19:4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「【主】よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」】①イザヤは、カルメル山での異教の祭司たちとの戦いで、主によって大きな勝利を得ました(18章)。しかし大きな戦いの後に、彼は燃え尽きてしまったのです。原因は、疲れもあったでしょうが、心に入れてはいけない「悪い言葉」を入れたことです。エリヤほどの人物でも、心に悪いものが入ると落ち込むのです。私たちも、「心を守り」良い言葉だけを入れるようにしなければなりません。そのために、いつも「聖霊によって祈り」主の導きを受け取り続けることが大事なのです。


『心を見ておられる主』
【ルカ2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」】①人類が待ち望んでいた「救い主の誕生」は、お金持ちや王様に最初に伝えられたのではなく、信仰深い、身分の低い、貧しい羊飼いたちでした。主は「地位や立場」を見ているのではありません。「羊飼いたちの信仰」を見て、救い主の誕生を最初に伝えたのです。主は「素直な信仰(心)」を重要視されるお方なのです。


# by Happiness-eachday | 2019-05-16 05:16 | 2019年 | Trackback