人気ブログランキング |

1月25日出エジプト8-9章 マタイ17:14-18:14

懸賞 2020年 01月 25日 懸賞

『人の頑なさをご存知な神』
【出エジプト9:27 そこでパロは使いをやって、モーセとアロンを呼び寄せ、彼らに言った。「今度は、私は罪を犯した。主は正しいお方だ。私と私の民は悪者だ。9:28 【主】に祈ってくれ。神の雷と雹は、もうたくさんだ。私はおまえたちを行かせよう。おまえたちはもう、とどまってはならない。」・・・
9:34パロは雨と雹と雷がやんだのを見たとき、またも罪を犯し、彼とその家臣たちは強情になった。9:35 パロの心はかたくなになり、彼はイスラエル人を行かせなかった。【主】がモーセを通して言われたとおりである。】①パロは、災害が起きるたびにモーセに懇願しましたが、災害が収まると、やはり自分の思い通りを通そうとしたのです。私たち人間は、残念ながら頑固で自分の思いを通そうとするのです。主はそれを知っておられ、その上で神を信じる者たちを導かれるのです。主の意思を知りましょう。主の意思に心から同意する人は、主と共に歩むことができるのです。



『イエス様はあなたを探し出して下さる』
【マタイ18:11 〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕18:12 あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。18:13 そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。18:14 このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。】①イエス様は、「失われたものが救うため」に来られたと言われています。私たちがクリスチャンになれたのは、イエス様が「あなたの元」に来てくださったからです。かつては失われた羊の一人でした。そして今はイエス様のものとなり、イエス様と一緒に歩むように導かれているのです。あなたに語り掛けて下さるイエス様の語り掛けを聞きましょう。その声をしっかり聴くことができれば、寂しさはなくなります。あなたの内には、聖霊が住んでおられます。問題よりも「聖霊の力」の方が強いことを体験しましょう。イエス様は、あなたの元に「熱心に近づいて下さるお方」なのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-25 05:26 | 2020年 | Trackback

1月24日出エジプト6-7章 マタイ16:13-17:13

懸賞 2020年 01月 24日 懸賞

『神様の計画ならば、道は開かれる』
【出6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。」6:9 モーセはこのようにイスラエル人に話したが、彼らは落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった。6:10 【主】はモーセに告げて仰せられた。6:11「エジプトの王パロのところへ行って、彼がイスラエル人をその国から去らせるように告げよ。」6:12 しかしモーセは【主】の前に訴えて言った。「ご覧ください。イスラエル人でさえ、私の言うことを聞こうとはしないのです。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょう。私は口べたなのです。」】①モーセは、神の働きを伝える立場を主から与えられました。しかし民は失望のために、モーセの言葉を聞くことはできませんでした。またモーセ自身も、その状況を見て、導きことは不可能だと考え、神様にそのことを訴えたのです。②しかし現実は、神様の導きによって、モーセは民の「出エジプト」を成功させたのです。これは神様の計画であり、神様の熱心さによるものでした。私たちの目の前に、不可能だと思えることがあります。しかし神様の導きがあれば、道は開けるのです。大切なことは、信仰によって平安の中で、神様の導きの中を歩むことです。


『イエス様についていくとは』
【マタイ16:22 するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」16:23 しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」】①イエス様は、「わたしについてきたいと思うものは・・・」と言われ、弟子としての心構えを語りました。これはイエス様ご自身が、覚悟しておられたことです。イエス様ご自身が「自分を捨て」「自分の十字架を背負って」主に従ったのです。あなたにとって「自分を捨てる」とはどういうことですか。また「自分の十字架を負って」とはどういうことでしょうか。それを単純に、愚直に行う者が、イエス様についていくことができるのです。これは我の力では不可能です。唯一、十字架の罪の赦しを知り、聖霊に助けられる時に可能となるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-24 05:29 | 2020年 | Trackback

1月23日出エジプト3-5章 マタイ15:29-16:12

懸賞 2020年 01月 23日 懸賞

『モーセの祈り』
【出5:18 さあ、すぐに行って働け。わらは与えないが、おまえたちは割り当てどおりれんがを納めるのだ。」5:19イスラエル人の人夫がしらたちは、「おまえたちのれんがのその日その日の数を減らしてはならない」と聞かされたとき、これは、悪いことになったと思った。5:20 彼らはパロのところから出て来たとき、彼らを迎えに来ているモーセとアロンに出会った。5:21 彼らはふたりに言った。「【主】があなたがたを見て、さばかれますように。あなたがたはパロやその家臣たちに私たちを憎ませ、私たちを殺すために彼らの手に剣を渡したのです。」5:22 それでモーセは【主】のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。」】①モーセは、神様からの命令通りに、エジプトで奇跡を行い、パロのもとに神様の言葉を伝えました。しかしモーセが願った通りには物事は進まなかったのです。パロは反対し、イスラエルの民さえも、モーセに文句を言い始めました。②モーセは、「主に祈り」ました。自分が感じた理不尽を、主にぶつけたのです。主はモーセの言葉を聞き、答えて下さいました。そして「モーセの思い通りではありませんでした」が、神様の計画は進んでいったのです。私たちも、祈りながらも「理不尽さ」を感じる時があります。しかしモーセのように、問題を主に訴えていきましょう。感情がかきむしられることがあったとしても、祈りの中で、主の計画は進むのです。


『憐れみ深いイエス様』
【マタイ15:30 すると大ぜいの人の群れが、足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、口のきけない者、そのほか多くの人をみもとに連れて来た。そして彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをいやされた。15:31 それで群衆は、口のきけない者がものを言い、手足の不自由な者が直り、足のなえた者が歩き、盲人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そして彼らはイスラエルの神をあがめた。】①イエス様は、憐れみ深いお方です。イエス様を信じ、切実に癒しを求める者には、癒しを与えてくださるのです。イエス様の前で、素直に求めましょう。そしてへりくだって主に近づきましょう。主はそのような人々を見捨てないのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-23 05:21 | 2020年 | Trackback

1月22日出エジプト1-2章 マタイ15:1-28

懸賞 2020年 01月 22日 懸賞

『自己本位の情熱』
【出エジプト2:11 こうして日がたち、モーセがおとなになったとき、彼は同胞のところへ出て行き、その苦役を見た。そのとき、自分の同胞であるひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。2:12 あたりを見回し、ほかにだれもいないのを見届けると、彼はそのエジプト人を打ち殺し、これを砂の中に隠した。2:13 次の日、また外に出てみると、なんと、ふたりのヘブル人が争っているではないか。そこで彼は悪いほうに「なぜ自分の仲間を打つのか」と言った。2:14 するとその男は、「だれがあなたを私たちのつかさやさばきつかさにしたのか。あなたはエジプト人を殺したように、私も殺そうと言うのか」と言った。そこでモーセは恐れて、きっとあのことが知れたのだと思った。2:15 パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。】①モーセは、ヘブル人として生まれ、不思議な導きにより、王宮で王子として育ちました。彼には神様からの特別な使命が与えられていたのです。しかしこの時、モーセは「自分の力で民を救おう」と考えてしまったのです。これは「時とタイミング」を無視した、「高ぶり」と言えます。その結果、モーセは40年間荒野の生活を強いられました。能力や情熱があっても、それを「自己本位」に使う時、(神様からの導きなしで判断する時)、うまくいかないくなるものなのです。

『信仰を引き出されるイエス様』
【マタイ15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。】①イエス様は、カナン人の母親が叫びながらついてくる様子を見て、その信仰が確かなことを見透かされました。そして彼女の信仰を更に「引き出すために」一見、無慈悲ともいえる態度を取られたのです。しかしこの女性はそれでもイエス様を求め、癒しを頂くことができたのです。イエス様と交わる時に、思い通りにならないことがあります。しかしイエス様は、苦しみの中で「あなたの信仰」を引き出して下さるのです。主の前に「心からへりくだる者」は、主の恵みを受け取ることができるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-22 05:00 | 2020年 | Trackback

1月21日創世記49-50章 マタイ14:13-36

懸賞 2020年 01月 21日 懸賞

『憎しみからの解放』
【創50:19 ヨセフは彼らに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。50:20 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。50:21 ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。】①ヨセフは、父イスラエルが亡くなった後も、兄弟たちを赦し続けることができました。それは神様の計画の中を歩んだという事実を、「実感をもって悟った」からです。私たちも、神様と交わり、心の奥から変えられると、このような心になるのです。人間は、憎しみさえも、神様との交わりの中で、解かされ、癒されていくものなのです。

『水の上を歩く奇跡』
【マタイ14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」】①ペテロは、イエス様を見続けた時は、沈むことなく水の上を歩くことができました。しかし、風を見て怖くなった時に、沈んでしまったのです。水の上を歩くことは、不可能なことです。しかしペテロは、信仰によって一歩踏み出したのです。信仰の一歩は勇気が必要です。しかし勇気をもって進む時に、主は助けて下さいます。・・・大事なことは、まっすぐにイエス様を見続けることです。そうすれば、もしもし沈んでも、イエス様は助けてくださるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-21 05:54 | 2020年 | Trackback

1月20日創世記46-48章 マタイ13:44-14:12

懸賞 2020年 01月 20日 懸賞

『導きを語ってくださる神様』
【創46:1 イスラエルは、彼に属するすべてのものといっしょに出発し、ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえをささげた。46:2 神は、夜の幻の中でイスラエルに、「ヤコブよ、ヤコブよ」と言って呼ばれた。彼は答えた。「はい。ここにいます。」46:3 すると仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民にするから。46:4 わたし自身があなたといっしょにエジプトに下り、また、わたし自身が必ずあなたを再び導き上る。ヨセフの手はあなたの目を閉じてくれるであろう。」】①イスラエル(ヤコブ)は、息子ヨセフの願いを受けて、エジプトに下る決心をして、動き始めました。彼がベエルシャバで、主にいけにえを捧げた時、主は「安心して進むように」と語られ、イスラエルの旅を保証してくださったのです。主は、私たちの人生を導いておられます。そして主に尋ね求める者に、主の計画を語ってくださるのです。

『地引き網のたとえ』
【マタイ13:47 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。13:48 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。13:49この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、13:50 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。】①イエス様は「毒麦のたとえ」で、最終的には「正しい人」と「悪い人」をえり分けると言われました。世の中には、良いものと悪いものとが混在しているのです。「悪」や「本来あってはならないもの」が、現実には「多くあること」をイエス様は、語っておられます。イエス様はすべてを知っておられます。私たちは、そのことを知った上で、信仰生活を歩んでいくのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-20 05:10 | 2020年 | Trackback

1月19日創世記44-45章 マタイ13:24-43

懸賞 2020年 01月 19日 懸賞

『神様の計画』
【創45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」】①ヨセフは、兄たちに自分の正体を明かしました。神様は、彼をエジプトの総理大臣とし、イスラエルの一族を救う計画を立てておられたのです。神様は、悪事さえ用いて、神の計画を進めるのです。神様は「マイナス」さえ用いて「プラス」に変えることができるのです。しかしヨセフが神様の計画を成し遂げることができたのは、彼の「神様との関係」「信仰」によってでした。神様は、私たちの信仰を用いて、計画を実現されるのです。


『畑の毒麦のたとえ』
【マタイ13:37 イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。13:39毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。】①イエス様は、この世界では、良い種と毒麦が混在している、と言われました。そして世の終わりに、きっちりと裁かれると言われたのです。神様は罪を容認しているのではありません。悔い改めるチャンスを与え、待っておられるのです。神様の親の愛を知りましょう。善悪は、時間が経てば明らかになります。私たちは気がつく度に、方向を修正し、神様に喜ばれて生きるように努めることが大切なのです。


# by Happiness-eachday | 2020-01-19 05:44 | 2020年 | Trackback