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12月27日ゼカリヤ7-8章 黙示録19:1-10

懸賞 2017年 12月 27日 懸賞

『主が喜ぶ正しいこと』

【ゼカリヤ8:15 しかし、このごろ、わたしはエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている。恐れるな。8:16これがあなたがたのしなければならないことだ。互いに真実を語り、あなたがたの町囲みのうちで、真実と平和のさばきを行え。8:17 互いに心の中で悪を計るな。偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むからだ。──【主】の御告げ──」】

①主はいつまでも怒ってはおられません。
主は憐れみ深いお方であり、へりくだり主に赦しを請い、正しいことをしようとする者には、
大いなる助けを与えてくださるお方なのです。
・・・私たちは、主に喜ばれる正しいことを努めましょう。
そして具体的に行動しましょう。
主が喜ばれるのは、頭の中で良いことを考えるのではなく、実行することです。




『キリストの喜ばれる行い』

【黙19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」19:9 御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい」と言い、また、「これは神の真実のことばです」と言った。】

①時が来ると(千年王国の前)、イエス様を信じる者たちは、キリストの花嫁として、招かれます。
花嫁は妻のことであり、キリストと親密な愛の関係を持つことを示しているのです。
麻布は、正しい行いのことであり、
キリストとの正しい関係を持ち、キリストに喜ばれる行為も含まれているのです。

キリストの関係が深まると、正しい行いを願い、実行するようになります。
キリストの花嫁として招かれる時は、なおさらですが、
今現在も、キリストに喜ばれる「正しいこと」を私たちは、求めているのです。




20171227


# by Happiness-eachday | 2017-12-27 05:13 | 2017年 | Trackback

12月26日ゼカリヤ4-6章 黙示録18章

懸賞 2017年 12月 26日 懸賞

『主の霊の力によって』

【ゼカリヤ4:6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの【主】のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の【主】は仰せられる。4:7 大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」】

①この言葉は、ゼルバベルに与えられただけでなく、
神を信じ、神の力を信じる者に与えられたみ言葉でもあります。
政治的な力や武力、人間的な力では、神の働きを成し遂げることはできません。
聖霊によって、力が与えられて、初めて主の働きが進むのです。

あなたは自分の力以上に、聖霊の力を本気で求めていますか。
そのように導かれている人は幸いです。
その人は、苦しみの中で、主の助けを体験した人だからです。




『高ぶりの裁き』

【黙18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない』と言うからです。18:8 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。】

①彼女(大バビロン)とは、患難時代のキリストに反逆する組織のことを表していると言われています。
彼らの高ぶりに応じて、ふさわしい裁きがあることが描かれているのです。

・・・高ぶりは恐ろしい罪です。
それらは神の前で、正しく判断されるのです。




20171226


# by Happiness-eachday | 2017-12-26 05:50 | 2017年 | Trackback

12月25日ゼカリヤ1-3章 黙示録17章

懸賞 2017年 12月 25日 懸賞

『クリスマスの祝福』

【ゼカリヤ 1:3 あなたは、彼らに言え。万軍の【主】はこう仰せられる。わたしに帰れ。──万軍の【主】の御告げ──そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の【主】は仰せられる。】

①ゼカリヤのメッセージは、「神に帰れ」という呼びかけで始まります。
しかし人間は罪深く、神のもとに素直に帰れない性質があるのです。
そのため主は、私たち人類に、救い主イエスキリストを与えられたのです。

②キリストは、私たちの罪を背負い、死ぬために、生まれてくださいました。
その結果、私たちの罪が、赦され、私たちは解放されるのです。

③キリストを信じ、聖霊に導きを心に受けるときに、
私たちは心から「主に帰ること」ができるのです。

・・・主の助けがなければ、私たちは主に近づくことさえできません。
今日は、クリスマスです。
イエス様のお誕生をお祝いしましょう。
そして今日一日、イエス様の下さった恵みを、特別に深く味わいましょう。





『キリスト側に立ち続ける大切さ』

【黙17:14 この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。】

①患難時代の最後に、キリストは、反キリストとその勢力に対して、勝利をされることが決められています。
悪の勢力は、あったとしても、限定的なのです。

②私たちは、どちらに立つかが大切です。
キリスト側か、悪の勢力側かです。
悪の勢力が強そうに見えても、惑わされてはいけません。
悪は最後には、打ち破られます。

私たちは正しい立場、キリストが喜ばれる立場に「立ち続けること」が大切なのです。




20171225


# by Happiness-eachday | 2017-12-25 05:44 | 2017年 | Trackback

12月24日ハガイ1-2章 黙示録16章

懸賞 2017年 12月 24日 懸賞

『神殿再建の励まし』

【ハガイ 1:3 ついで預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。1:4 「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。1:5 今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。
1:8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。【主】は仰せられる。】

①ペルシャのクロス王は、約5万人の捕囚の人々がエルサレムに帰還し、神殿を再建することを許可しました。
しかし近隣の人々の反対により、神殿再建は中断され、
人々は自分のことに目を向けるようになり、再建は15年間放置されたのです。

②ハガイの励ましにより、神殿の工事が、もう一度再開していくのです。
・・・私たちは上手くいかなくなるとあきらめてしまうことがあります。
しかし主はあきらめていません。
主は私たちを励まし、計画を進められるのです。




『主の聖めのすばらしさ』

【黙 16:15 ──見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである──】

15節は、挿入句です。
いかなる苦しみの中にいても、主はすでに勝利を取っておられるお方であり、
何事も主の支配の中にあることを私たちは知るのです。
そしてイエス様を信じたクリスチャンは、
主の血によって聖められた「白い衣」を着ることにより、
心の奥底まで聖められ、恥を見なくなるのです。





20171224



# by Happiness-eachday | 2017-12-24 05:31 | 2017年 | Trackback

12月23日ダニエル11-12章 黙示録15章

懸賞 2017年 12月 23日 懸賞

『歴史を支配している創造主』

【ダニエル 11:3 ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。11:4 しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こぎにされて、その子孫以外のものとなる。11:5 南の王が強くなる。しかし、その将軍のひとりが彼よりも強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。】

①勇敢なアレクサンドロス大王が、死んだ後、
王位は肉親ではなく、4人の将軍によって分割されました(分割統治)。
南の王とは、エジプトのプテレマイオス1世ソテル(BC323285)のことです。
ここで言われる将軍とは、セレコウス1世ニカトル(BC311280)のことです。
ダニエル書は、まるで後の人が書いたと思えるほど、歴史を言い当てています。
創造主は、そのように歴史を支配していることを、ダニエル書は教えてくれるのです。




『迫害の中で、悪に打ち勝った人々』

【黙15:2 私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。15:3 彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。・・・」】

①〈獣と,その像と,その名を示す数字とに打ち勝った人々〉とは,
獣の像を拝まず,彼の数(666)の刻印を押されることを拒んだ人々のことです。
②それらの人々が、出エジプトで主が救い出してくださった「モーセの歌」と、
子羊イエスによって罪から救い出された「子羊の歌」を歌ったのです。
どのような迫害の中でも、主を信じる者は起こされます。
救いは主の計画であり、奇跡によってなされるものだからです。





20171223


# by Happiness-eachday | 2017-12-23 05:00 | 2017年 | Trackback