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2月15日レビ記8章 使徒2:1-21

懸賞 2020年 02月 15日 懸賞

『イエス様の赦しの代価の大きさ』
【レビ8:35 あなたがたは会見の天幕の入口の所で、七日の間、昼も夜もとどまり、【主】の戒めを守らなければならない。死なないためである。私はそのように命じられたのである。」8:36 こうしてアロンとその子らは、【主】がモーセを通して命じられたことを残らず行った。】①アロンとその子らが、祭司職の任職を行うために、七日間の儀式が必要でした。それは罪の汚れによって、彼らが死なないためでした。旧約では、「罪の恐ろしさ」をはっきりと教えます。罪の結果は死なのです。新約の現在でも、もし「イエス様の十字架の赦し」が無ければ、同じです。私たちも旧約と同じように、罪の罰を受けなければならなかったのです。

『キリストの証人の力』
【使 2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。2:3また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。】①イエス様の約束の「聖霊の満たし」が、ペンテコステの日に与えられました。これ以降、信じる者の上に、聖霊が下り、聖霊の力によって、イエス様を証しする大胆な働きが、始められたのです。聖霊の力を通じて、人の内側が清められ、イエス様と共に生きる「キリストの証人」として、私たちは変えられるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-15 05:24 | 2020年 | Trackback

2月14日出エジプト6-7章 使徒1章

懸賞 2020年 02月 14日 懸賞

『犠牲』
【レビ7:37 これは、全焼のいけにえ、穀物のささげ物、罪のためのいけにえ、罪過のためのいけにえ、任職と和解のいけにえについてのおしえである。7:38 これは、モーセがシナイの荒野でイスラエル人に、そのささげ物を【主】にささげるよう命じた日に、【主】がシナイ山でモーセに命じられたものである。】①律法は、モーセを通じて与えられました。そして罪の赦しには犠牲(代価)が必要であることを、主は私たちに教えられているのです。新約では「信仰のみ」で、赦しも救いも体験できます。しかしイエス様の犠牲があって、与えられた恵みであることを、私たちは知らなければならないのです。


『聖霊の満たし(バプテスマ)を受ける』
【使1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。】①イエス様が、天に帰られる前に、「聖霊の満たし」を受けるように、命じられました。クリスチャンには力が必要です。なぜなら、この世の力も強く、私たちは影響を受け易いからです。聖霊に満たされるクリスチャンは、様々な世の波風を乗り越え、主の証をすることができるのです。聖霊に満たされましょう。この世のあらゆる影響よりも「聖霊の満たし」の方が強いのです。大切なことは私たちがそれを意識して、聖霊をを強く求めることなのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-14 13:08 | 2020年 | Trackback

2月13日レビ記4-5章 マタイ28章

懸賞 2020年 02月 13日 懸賞

『精一杯の捧げもの』
【レビ5:6 自分が犯した罪のために、償いとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、【主】のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。5:7 しかし、もし彼に羊を買う余裕がなければ、自分が犯した罪の償いとして、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を【主】のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえ、他の一羽は全焼のいけにえとする。】①人が罪を犯した時、その罪を赦していただくために、羊か山羊が必要でした。しかしもしそれを買う余裕がないものは、鳩でもよいと言われたのです。それさえも買えない人々には、小麦粉を捧げるように、言われたのです。罪の赦しは、犠牲が必要なのです。しかしそれは持っているものに合わせて、精一杯のものが必要なのです。いけにえは、そのような心で捧げるものなのです。


『大宣教命令、弟子づくり命令』
【マタイ28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」①イエス様は、弟子たちにキリストの弟子を育てるようにと命じられました。私たちにも同じ命令が与えられています。まず自分自身がイエス様に聞き、聞いたことを伝えるのです。チャレンジもあります。しかし自分が転んでしまったら、自分が伝えるべき人には伝えられないのです。その使命を自覚し、主の助けを求める時に、「自分自身のすべきこと」ができるように「助けられる」のです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-13 05:49 | 2020年 | Trackback

2月12日レビ記1-3章 マタイ27:45-66

懸賞 2020年 02月 12日 懸賞

『全焼のいけにえ』
【レビ1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。】①全焼のいけにえは、完全に焼き尽くされなければなりません。本当の礼拝とは、全て捧げ尽くすものなのです。あなたの礼拝は、すべてを捧げ尽くす礼拝ですか。イエス様は、すべてを捧げつくして、私たちの身代わりとなりました。私たちは、その恵みを頂いて、罪赦され、神の子とされたのです。その恵みを受け取り、味わいましょう。恵みを頂いた者として、十字架で主と共に既に死んだ者として、私たちは生きていくのです。



『キリストの苦しみと私たちの救い』
【マタイ 27:45 さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。】①イエス様は、天の神様と完全な交わりを持っておられたお方でした。しかしこの時、罪人と同じ立場に立たされ、神様から見捨てられる、神との完全な断絶を体験されました。これは非常に恐ろしいことです。これは普通の人間では、発狂してしまうような重荷だといえます。この絶望は、私たちは到底耐えることはできません。イエス様は「そのような苦しみ」を背負うことによって、「私たち」を罪から救い出してくださったのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-12 05:48 | 2020年 | Trackback

2月11日出エジプト40章 マタイ27:27-44

懸賞 2020年 02月 11日 懸賞

『主の臨在に従って歩む』
【出40:33 こうして、モーセはその仕事を終えた。40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。40:35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。】①モーセが幕屋を完成させた時、主の臨在が幕屋に満ち、立つことができないほどになりました。その後モーセたちは、幕屋に満ちる主の臨在の雲に導かれて、荒野の旅を進んでいったのです。②新約の今、イエス様が私たちと共におられます。幕屋に雲が満ちるように、イエス様は私たちの中に臨在され、共にいてくださるのです。・・・肉眼では見えなくても、祈りの中で心を研ぎ澄ませませば、導きは見えてくるものです。今の時代にあっても、主は私たちを導いておられ、「従う私たち」に期待しておられるのです。

『十字架の犠牲』
【マタイ 27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、27:36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
27:41 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。27:42 「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。27:43 彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」27:44 イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。】①この時イエス様は、むち打ちの刑を受け、十字架につけられ、肉体はボロボロの状態でした。腕はだるく、筋肉は痙攣し、背中の皮膚は裂けて、身体中に痛みが走っていたはずです。そして心臓を押しつぶすような胸の痛みを感じたはずです。その上で、人々の罵声が投げかけられたのです。②神の子が、このような苦しみをあえて受けられたのは、私たちの為です。私たちが罪を赦され、神の子となり、永遠の命を得るための犠牲だったのです。イエス様に買い戻していただいた、「私の存在」を大切に扱いましょう。そして、「イエス様の犠牲」を正しく理解するならば、「イエス様に本気で喜ばれたい」と考えるようになるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-11 05:09 | 2020年 | Trackback

2月10日出エジプト38-39章 マタイ27:1-26

懸賞 2020年 02月 10日 懸賞

『確認作業の大切さ』
【出39:32 こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった。イスラエル人は、すべて、【主】がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。39:33 彼らは幕屋と天幕、および、そのすべての用具をモーセのところに持って来た。・・・
39:43 モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに【主】が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。】①神様から命じられた幕屋づくりを、神様から能力を与えられた者たちが製作をし、最後にモーセは確認をしました。そしてモーセは良い仕事をしたことを認め、祝福をしたのです。②神様は、働きを進める上で、確認作業をさせます。それは神様の命令がうまく伝わり、実行できているかをチェックするためです。そして完成したものを使うことができるのです。神様は、あなたの作業を確認される時があります。それを受けたなら、素直に受け止め、ごまかさずにミスを修正する必要があります。ミスは起こりえます。しかし修正すれば、良い働き手、完成品となれるのです。


『妥協をする罪』
【マタイ 27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。27:24 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」・・・】①ピラトは、イエス様に罪がないことを知っていながら、群衆の『十字架につけろ』という声に押され、妥協して、自分の判断を引っ込めてしまいました。私たちも、正しいことを知っていながら、悪を受け入れてしまう時に、ピラトと同じ罪を犯すこととなるのです。このような時には、良く祈り考えてイエス様が喜ばれる選択を、実行しましょう。その判断は人間的には難しいかもしれません。しかし長い目で見れば最善の選択なのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-10 05:46 | 2020年 | Trackback

2月9日出エジプト36-37章 マタイ26:57-75

懸賞 2020年 02月 09日 懸賞

『神様の仕事を、全員で行う』
【出36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を【主】に与えられた、心に知恵のある者はみな、【主】が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、【主】が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。】①神様の仕事は、ベツァルエルとオホリアブのような特別に選ばれた者だけで行うのではありません。知恵が与えられ、感動し意欲を持った人たちの手によっても、進められるのです。そしてその背後に、祈りや捧げものを捧げるすべての神の民がいるのです。神様の仕事はみんなで行います。そこにはお客さんも傍観者もいないのです。


『ペテロの弱さ、人間の弱さ』
【マタイ26:72 それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。26:73 しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。26:74 すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。26:75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。】①ペテロは、イエス様から前もって「あなたはわたしを三度知らないと言う」と言われていました。ペテロはその時、強く否定しましたが、自分が逮捕されそうな状況下で、やはり「イエス様を知らない」と言ってしまったのです。人間は残念ながら、自分の身が危うくなると「自分以外のものを切り捨てる」のです。あなたはどうでしょうか。ペテロのように「自分の弱さ」を体験した者が、神様の助けを頂いて、イエス様に「ついていく」者となれるのです。


# by Happiness-eachday | 2020-02-09 05:34 | 2020年 | Trackback