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6月18日Ⅱ歴代31-32章 ルカ18:15-43

懸賞 2025年 06月 18日 懸賞

『信仰を破壊する言葉』
【Ⅱ歴代32:10 「アッシリヤの王セナケリブはこう言っておられる。おまえたちは何に拠り頼んで、エルサレムの包囲の中でじっとしているのか。32:11 ヒゼキヤは、『私たちの神、【主】は、アッシリヤの王の手から私たちを救い出される』と言って、おまえたちをそそのかし、飢えと渇きで、おまえたちを死なせようとしているではないか。」】①セナケリブは、家来を遣わして、エルサレムの住人に、信仰の揺さぶりをかけました。同じように、悪の勢力は私たちに「不信仰」を植え付けて、すべてを崩そうとするのです。私たちは、「不信仰」の言葉を心に入れてはいけません。不信仰の言葉は、私たちを破壊すると同時に、私たちの未来をも破壊するのです。悪魔は、悪い考えを吹き込もうと、いつも策略を立てています。ですから、どんな時も「悪い言葉」を入れてはいけないのです。

『必死で求める信仰』
【ルカ 18:38 彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と言った。18:39 彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください」と叫び立てた。18:40 イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。18:41 彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、彼は、「主よ。目が見えるようになることです」と言った。18:42 イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」と言われ・・・】①盲人は、自分を癒し助けることができる方は、イエス様しかいないと思っていました。ですから、妨害があっても、必死にますますイエス様を求めたのです。本気で求める人は、「壁」を乗り越えます。「プライドや体裁」さえも捨て去ります。このような「捨て身の信仰」を、イエス様は喜ばれたのです。


# by Happiness-eachday | 2025-06-18 05:33 | 2025年 | Trackback

6月17日Ⅱ歴代29-30章 ルカ17:20-18:14

懸賞 2025年 06月 17日 懸賞

『ヒゼキヤ王の勧め』
【Ⅱ歴代30:8 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。【主】に服従しなさい。【主】がとこしえに聖別された聖所に入り、あなたがたの神、【主】に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。】①ヒゼキヤ王は、民に主に立ち返るようにと勧めました。もし「主の好意を得たい」と願うなら、頑なな反応は、知恵深くありません。罪を認め、悔い改めて、へりくだって主に立ち返ることが、「祝福を受ける」一番の方法なのです。もし本当に、祝福を得たいのならば、聞くだけで終わるのではなく、「実行する」ことです。そうすれば、み言葉の約束通りの「奇跡と力」を体験できるのです。それを確かめてみる価値はあります。

『収税人の祈り』
【ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」】①イエス様は、収税人の祈りが、「義と認められた」と言われました。パリサイ人の祈りではなかったのです。パリサイ人は、自分の内側のプライドによりすがっていました。しかし聖霊が働き、み言葉によって触れられた者は、「自分の大きな罪」に気がつくのです。そして「自分の胸をたたくように」悔い改めるのです。あなたの祈りは、パリサイ人に近いですか?収税人に近いですか?「主」を求めましょう。そして聖霊に触れて頂きましょう。「自分の罪」が分かれば分かるほど、へりくだった祈りとなるのです。

# by Happiness-eachday | 2025-06-17 23:32 | 2025年 | Trackback

6月17日Ⅱ歴代29-30章 ルカ17:20-18:14

懸賞 2025年 06月 17日 懸賞

『ヒゼキヤ王の勧め』
【Ⅱ歴代30:8 今、あなたがたは、自分の父たちのようにうなじのこわい者であってはなりません。【主】に服従しなさい。【主】がとこしえに聖別された聖所に入り、あなたがたの神、【主】に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れるでしょう。】①ヒゼキヤ王は、民に主に立ち返るようにと勧めました。もし「主の好意を得たい」と願うなら、頑なな反応は、知恵深くありません。罪を認め、悔い改めて、へりくだって主に立ち返ることが、「祝福を受ける」一番の方法なのです。もし本当に、祝福を得たいのならば、聞くだけで終わるのではなく、「実行する」ことです。そうすれば、み言葉の約束通りの「奇跡と力」を体験できるのです。それを確かめてみる価値はあります。

『収税人の祈り』
【ルカ18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」】①イエス様は、収税人の祈りが、「義と認められた」と言われました。パリサイ人の祈りではなかったのです。パリサイ人は、自分の内側のプライドによりすがっていました。しかし聖霊が働き、み言葉によって触れられた者は、「自分の大きな罪」に気がつくのです。そして「自分の胸をたたくように」悔い改めるのです。あなたの祈りは、パリサイ人に近いですか?収税人に近いですか?「主」を求めましょう。そして聖霊に触れて頂きましょう。「自分の罪」が分かれば分かるほど、へりくだった祈りとなるのです。

# by Happiness-eachday | 2025-06-17 05:04 | 2025年 | Trackback

6月16日Ⅱ歴代26-28章 ルカ17:1-19

懸賞 2025年 06月 16日 懸賞

『先人の失敗に学ぶ』
【Ⅱ歴代26:16 しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、【主】に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして【主】の神殿に入った。26:17 すると彼のあとから、祭司アザルヤが、【主】に仕える八十人の有力な祭司たちとともに入って来た。26:18 彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。「ウジヤよ。【主】に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。」26:19 ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、【主】の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた。】①ウジヤ王は、16歳で王となり、52年間王の務めを果たしました。彼は良い王でしたが、晩年に自我が強くなった時、彼の中にあった「高慢」が、表に出たのです。そして入ってはならない聖所に入り、罰を受けました。人間の心には、隠れた罪があります。それは「理性」で押さえていますが、何かの拍子に表に出てくるものです。


『イエス様に感謝を捧げる人』
【ルカ17:12 ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、17:13 声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。17:14 イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。17:15 そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。17:17 そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。」】①イエス様に、ツアラートを癒して頂いた者たちの中で、感謝を現すために戻ってきたのは、たった一人だけでした。イエス様は、そのサマリヤ人に「あなたの信仰によって救われた」と言われたのです。イエス様に恵みを頂いても、感謝をしない人が多くいます。「恵みを当たり前」と思っているか、「自分の事しか考えていない」かのどちらかでしょう。私たちは、いつもイエス様に「感謝」を現わしましょう。


# by Happiness-eachday | 2025-06-16 05:33 | 2025年 | Trackback

6月15日Ⅱ歴代23-25章 ルカ16章

懸賞 2025年 06月 15日 懸賞

『誰の助言を聞くのか』
【Ⅱ歴代24:1 ヨアシュは七歳で王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバの出であった。24:2 ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、【主】の目にかなうことを行った。】①ヨアシュ王は、幼少期に殺されそうなところを、祭司エホヤダに助けられました。そしてエホヤダの信仰指導を受け、7歳で王となったのです。しかしエホヤダが死に、不信仰な者たちの影響を受けると、主に反逆するようになりました。誰の影響を受けるかは大切です。自分の近づく者が、正しい助言をしてくれるとは限らないからです。自分に甘い言葉を語る者よりも、愛をもって「耳に痛い言葉」を語ってくれる人は、貴重なのです。私たちは、語る人の本質を「見極める目」が必要です。

『神様とお金』
【ルカ16:13 しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」16:14 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。】①イエス様は、「富」を持つほどに、「神を求めること」が難しくなると語られました。それを聞いたパリサイ人たちは「嘲笑」しました。イエス様を一番にする価値観と、お金を一番にする価値観は、対立します。あなたは何を一番にしていますか。「主を一番」に定めましょう。自分の心の中に、「神以外」で一番と思うものを見つけたならば、速やかに「悔い改め」ましょう。いつも「神を一番」に生きていくことが大切なのです。


# by Happiness-eachday | 2025-06-15 05:41 | 2025年 | Trackback