人気ブログランキング |

<   2015年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

懸賞 懸賞

5月31日ヨブ記28-31章『苦しみの意味』

懸賞 2015年 05月 31日 懸賞

『苦しみの意味』

【30:20 私はあなたに向かって叫びますが、あなたはお答えになりません。・・30:21 あなたは、私にとって、残酷な方に変わられ、御手の力で、私を攻めたてられます。
30:26 私が善を望んだのに、悪が来、光を待ち望んだのに、暗やみが来た。・・・
31:33 あるいは、私がアダムのように、自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか。・・・31:35私を訴える者が書いた告訴状があれば、31:36 私はそれを肩に負い、冠のように、それをこの身に結びつけ、31:37 私の歩みの数をこの方に告げ、君主のようにして近づきたい。・・・31:40 ヨブのことばは終わった。】

①ヨブは、自分の祝福されていた頃を、懐かしく思い出しました。
なぜなら当時ヨブは人々に親切にし、
人々はヨブを尊敬していたからです(29章)。

しかし彼が全てを失い病気になった今、
人々はヨブをあざ笑うようになりました(30:1)。

②ヨブは「自分の正しさ」を主張し続けました。
彼にはそこしか「拠り所」が無かったからです。

「こんなにも正しいことをしていた私」が
「なぜこのようなひどい目に会わなければならないのか」(31章)
これがヨブの訴えでした。

③しかしこの弁明が段々と「高慢に変わった」のです。
「自分は絶対的に正しい」と主の前で主張し、
主に対して「君主のように近づきたい」と語りました。
これは、主に対して「限度を超えた」高慢な言葉です。

・・・主はここから「ヨブの高慢」の取り扱いを始めました。
そしてこの後、へりくだりと「祝福の回復」を与えられたのです。

苦しみには意味があります。
ヨブ記を通じて私たちは「その意味」を学ぶのです。YccFuji







20150531

by Happiness-eachday | 2015-05-31 05:36 | 2015年4-6月 | Trackback

5月30日ヨブ記24-27章『本音で祈った後、主とお会いする』

懸賞 2015年 05月 30日 懸賞

『本音で祈った後、主とお会いする』

【27:1 ヨブはまた、自分の格言を取り上げて言った。27:2 私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者をさして誓う。・・・
27:5 あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。・・・
27:8 神を敬わない者の望みはどうなるであろうか。神が彼を断ち切り、そのいのちを取り去るときは。
27:9 苦しみが彼にふりかかるとき、神は彼の叫びを聞かれるであろうか。27:10 彼は全能者を彼の喜びとするだろうか。どんな時にも神を呼ぶだろうか。27:11 私は神の御手についてあなたがたに教えよう。全能者のもとにあるものを私は隠すまい。】

①ヨブに対する、友人たちの愛のない批判に、
ヨブは「あなたたちを正しいと認めることはできない」と訴えました。

ヨブは、言いました「神を敬わない人は苦しみの中で主から離れてしまう」
「あなたたちよりも、私の方が神のことを語ることができる」と。

②ヨブは、自分は神を信じ、敬っているので
「主に訴え続けている」と語ったのです。

ヨブの言葉は本当です。
ヨブが主に訴え続けているのは「不信仰」ではなく、
「主を信じている」からです。

しかしヨブは、「自分は正しい」と主張する中で、
ここから段々と「神が何と言っても自分が正しい」という
「高慢の領域」に入りかけるのです。

③人間の奥底(本質)は、「高慢」です。
私たちは「神から離れている」ので、
「正しさ」で「自分を守ろう」とするのです。

主は、いつも「高慢」を取扱うのです。

・・・本音で、祈り続けましょう。
私たちの心は「主の御手の中」です。

ヨブは高慢を叫んだ後、
主と出会い、
「へりくだりと回復を」頂いたのですから。YccFuji







20150530

by Happiness-eachday | 2015-05-30 05:46 | 2015年4-6月 | Trackback

5月29日ヨブ記20-23章『叫び続けると、主にお出会いできる』

懸賞 2015年 05月 29日 懸賞

『叫び続けると、主にお出会いできる』

【23:1 ヨブは答えて言った。23:2 きょうもまた、私はそむく心でうめき、私の手は自分の嘆きのために重い。23:3 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。23:4 私は御前に訴えを並べたて、ことばの限り討論したい。23:5 私は神が答えることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。23:6 神は力強く私と争われるだろうか。いや、むしろ私に心を留めてくださろう。23:7 そこでは正しい人が神と論じ合おう。そうすれば私は、とこしえにさばきを免れる。・・・】

①ヨブの友人たちの言葉は、
「正しく生きてきたヨブ」に対する愛も配慮もないものでした。
そして一貫して「ひどい目にあった原因は、お前の罪だ」
と言い続けたのです(22章)。

②これらの「聞くに堪えない言葉」を受け、
ヨブは益々主に訴え、叫ぶように祈りました。

③友人や身内からの支えを受けられない時、
(彼は妻からの支えもありませんでした2:9)、
人は支えを求めて「主にすがり」ます。

しかし「ある期間」「主の答えが得られず、
主と出会えない時」が続くのです(23:8)。

「叫んでも叫んでも」人が支えてくれない時、
人は苦しみの中で、ますます「主に助けを求める」ようになるのです。

④しかしある瞬間、「主の御意志」が分かる時がきます(38章―)。
「主の愛」と「深い憐み」が、
まるで包まれるように心に迫ってくる時がくるのです。

これが苦しみの中で、「主とお出会いする時」です。

ヨブも「主とお出会い」しました。

私たちも、苦しみの中で、切に主に叫び求めるなら、
必ず「主とお出会い」することができるのです。

これがヨブ記を通じて教えられる「主の約束」、
「あなたへの約束」なのです。YccFuji






20150529

by Happiness-eachday | 2015-05-29 05:19 | 2015年4-6月 | Trackback

5月28日ヨブ記16-19章『苦しみの中でこそ、出会うことができる主』

懸賞 2015年 05月 28日 懸賞

『苦しみの中でこそ、出会うことができる主』

【19:23 ああ、今、できれば、私のことばが書き留められればよいのに。ああ、書き物に刻まれればよいのに。19:24 鉄の筆と鉛とによって、いつまでも岩に刻みつけられたい。19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。19:27 この方を私は自分自身で見る。・・・】

①ヨブは、いわれのない批判を受ける中で、
自分の言葉を正しく判断(保証)して下さる方が必要だと切実に訴えました(16:19)。
彼は、自分は正しく生き、正しく弁明しているという「信念」を持っていました。
ですから自分の弁明を書き留めて欲しいと願ったのです。

②そしてヨブはここから特別な言葉を語りました。
「自分を贖う方は生きておられ、後の日に会うことができる」と言い、
「現実の苦悩の中で(死後ではなく)、主と出会うことができる」と語ったのです。

これは、主がヨブに与えた啓示(神からのメッセージ)でした。

③ヨブは、苦しみの中、
主に訴え続ける中で「生きた主」に「出会うことができる」と確信(啓示)を頂いたのです。

・・・苦しみの中で切実に主に訴えると
「普通はない啓示」を受けることがあります。
それは「通常では何年かかっても分からない深さ」のものです。

そしてもし「啓示」が無ければ、
精神的(肉体的)におかしくなってしまう状況の時に与えられるものです。

苦しみの中でこそ
「出あう主の言葉(慰め)」があることを覚えましょう。
それは「素晴らしい恵みの時」です。

苦しみには、実はこのような
「生きた神」と出会うチャンスにあふれているのです。

苦しみを「嘆くだけ」で終わらないようにしましょう。
苦しみの時こそ「主と出会う」時なのです。YccFuji








20150528

by Happiness-eachday | 2015-05-28 05:21 | 2015年4-6月 | Trackback

5月27日ヨブ記13-15章『苦しみが益となる・・・』

懸賞 2015年 05月 27日 懸賞

『苦しみが益となる・・・』

【13:1 見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。13:2 あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。13:3 だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。13:4 しかし、あなたがたは偽りをでっちあげる者、・・・】

①ヨブの友人(のはずの)ツォファルの、
ヨブに対する愛のない非難に対して、
ヨブは心からの反論をしました。

それは「自分の方が神の前に正しく歩んできた筈だ」という
「切なる叫び」からでした。

事実ヨブは、宗教的には完ぺきに近い行いをしていました。
それも先日書いたように
「創造主も認める程」でした。

ですからツォファルの批判は
「的外れ(間違い)」だったのです。

②しかし人間(友人)は、
人(自分)に対して「彼自身の思ったこと」を言い続けます。
そのことを批判しても意味がありませんし、
あまり効果はないのです。

③ヨブは願ったことは、
「創造主に訴えること」でした。
この方こそ「自分を正しく判断して下さるお方」であることを、
ヨブは信じていたからです。

④批判をされた時、
弁明することは自然です(ヨブがしたように)。
しかし真の解決は
「主に訴えること」によって与えられることを知りましょう。

「主から頂く言葉や慰め」は、
人から受ける支えよりも「大きく確か」なのです。

そのことを体験した人は、
「主との深い関係」が持つことができるのです。
(ヨブがそうでした)

「主との交わりの恵み」を知った時、
「苦しみが益になった」と言い切れるのです。YccFuji










20150527

by Happiness-eachday | 2015-05-27 05:44 | 2015年4-6月 | Trackback

5月26日ヨブ記10-12章『主を求めるこころ』

懸賞 2015年 05月 26日 懸賞

『主を求めるこころ』

【10:1 私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。10:2 私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。10:3 あなたが人をしいたげ、御手のわざをさげすみ、悪者のはかりごとに光を添えることは良いことでしょうか。10:4 あなたは肉の目を持っておられるのですか。あるいは、人間が見るように、あなたも見られるのですか。・・・」】

①ヨブは、正しく生きてきた筈の自分の人生を振り返りながら
「主に訴え」続けました。
実際主が「ヨブは正しい(1:8)」と言われたほど、
ヨブは宗教的にも、実際的にも正しい人でした。

ですからヨブは「なぜ自分がこのような目に遭い」、
悪人と思える人が「良い目に遭っていること」が理解できなかったのです。

②「自分の心の苦しみ」を、主にそのまま訴えることは
「良いこと」です。
ヨブは訴え続けた後、「主と出会い」、
すべてが回復され、2倍の祝福を得たのです。

③しかしヨブは、回復が与えられるまでは
「主を求め」「主に訴える」ことしかできませんでした。

④彼は解決を求めていたのでしょうか?
当然解決は求めていたでしょう。
しかしヨブが求めていたことは「主からの答え(主ご自身)」だったのです。

「解決だけ」を求める人は、
自分思い通りにならないと「主から離れていきます」。

しかし「主を求める」人は、
「苦しみが増し加わるほどに」「益々主を求める(訴える)ようになる」のです。

あなたは解決を求めていますか?
主ご自身を求めていますか?

その動機(方向性)によって、
あなたはどこまで祝福されるかが決まるのです。

ヨブを見て下さい。
あそこまでひどい目に遭い、友人からひどいことを言われながら
「主を求め(訴え)続けた」のです。

この「主を求めるこころ」を私たちは、
苦しみが深い中での、「模範」とすべきです。YccFuji








20150526

by Happiness-eachday | 2015-05-26 05:02 | 2015年4-6月 | Trackback

5月25日ヨブ記7-9章『仲介者、イエス様の恵み』

懸賞 2015年 05月 25日 懸賞

『仲介者、イエス様の恵み』

【9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。9:34 神がその杖を私から取り去られるように。その恐ろしさで私をおびえさせないように。9:35 そうすれば、私は語りかけ、神を恐れまい。いま私はそうではないからだ。】

①ヨブは、自分では原因が理解できない苦しみの前に、
主に訴えることしかできませんでした。
しかしその訴えは、むなしく響いたのです。

なぜならヨブは知っていました
「造られた人間は創造主と議論することはできない」ことを。

②いくら主の前に自分の正しさを訴えても
「主の前には説得力がないこと」をヨブは知っていたのです。
ですから主と自分を正しく判断してくれる
「仲介者」が欲しいとヨブは切実に訴えたのです。

③イエス様の十字架は、
主と私たちの「仲介」となって下さる素晴らしい恵みです。
なぜなら、十字架を通じて「あなたの罪を赦す」と
イエス様が言って下さる時に、
罪が完全に赦され、
「恐れることなく大胆に主の前に近づく(へブル10:19)こと」ができるからです。

ヨブが願っていた「仲介者」を私たちは
「イエス様によって」与えられているのです。

この恵みは計り知れないものです。

なぜなら「罪人である私たち」は、
本来「何をされたとしても文句の言えない立場」だからです。YccFuji








20150525

by Happiness-eachday | 2015-05-25 05:20 | 2015年4-6月 | Trackback

5月24日ヨブ記4-6章『人間の慰めの限界』

懸賞 2015年 05月 24日 懸賞

『人間の慰めの限界』

【6:14 落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。
6:15 私の兄弟たちは川のように裏切った。流れている川筋の流れのように。・・・】

①ヨブは、罪がないのに
「悪魔の攻撃によって」財産と子供たちを失い、
酷い病気にもなりました。

ヨブはこの苦しみの理由が分からずに、
主に訴えたのです。

②この「うめきの言葉」を
ヨブの友、エリファズは「不信仰」と理解し、
ヨブを「聖書の教理」によって徹底的に批判したのです。

「あなたは罪を犯した、だから苦しんでいるのだ」と。

しかしこれは明らかに「的はずれ」であり
間違っていました。

ヨブにとって必要だったものは、
ヨブ自身が語っているように
「友情」だったのです。

③残念ながら、
人間は相手の心を「本当に正しく理解」することはできません。
ですから「誤解」が起こり、
「傷つけられる不幸」が起きるのです。

④しかし感謝なことは、
真の友でもある「イエス様」は私たちの心を正しく理解し、
受け入れ、愛して下さるお方なのです。

私たちは「イエス様に慰められること」こそが
最も深い慰めとなるのです。

・・・祈りの中で「主にお出会い」しましょう。

ヨブと同じように「苦しみの真の解決」は
「主と出会うこと」なのです。
これ以外(人間の慰め)は、補足的なものです。YccFuji







20150524

by Happiness-eachday | 2015-05-24 05:39 | 2015年4-6月 | Trackback

5月23日ヨブ記1-3章『苦しみの意味』

懸賞 2015年 05月 23日 懸賞

『苦しみの意味』

【3:11 なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。3:12 なぜ、ひざが私を受けたのか。なぜ、私の吸う乳房があったのか。・・・】

①ヨブ記は、「なぜ義人が苦しみに会うのか」
がテーマの書簡です。

ヨブは、彼のすべての財産が奪取され、
子供たちも死んでしまう状況の中で、神に愚痴を言いませんでした。

②しかし自分の身が病気となり、
その苦しみが余りにひどくなると、
「自分が生まれたこと」をのろい始めたのです。

③この「うめき」にも似た言葉を誰も批判することはできません。
どんな人でも、このような状況になるならば、
同じような気持ちになるからです。

④私たちは、「不信仰」見えるような言葉の背後に、
「信仰の叫び」があることを忘れてはいけません。

表面上の言葉の背後に
「なぜこのことを主は許されたのか」という
信仰の「根幹」にあたる問いかけがあることを見過ごしてはいけないのです。

⑤ヨブの3人の友人たちはその真意を誤解してヨブを非難しました。
しかし主は、「ヨブの叫び」の真意を聞き、
最終的にはヨブのすべて2倍に回復させ、
ヨブの神信仰(信頼)を何倍にも増し加えたのです。

・・・苦しみには意味があることを知りましょう。
(人は安易にその結論を出すことはできません)、

しかし創造主は
「うめきの祈り」「本音の祈り」の後に、
すべての意味を教えて下さるのです。YccFuji







20150523

by Happiness-eachday | 2015-05-23 05:29 | 2015年4-6月 | Trackback

5月22日エステル記7-10章『主がして下さった事を、感謝し続ける大切さ』

懸賞 2015年 05月 22日 懸賞

『主がして下さった事を、感謝し続ける大切さ』

【9:20 モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。9:21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、9:22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。】

①エステル記は、神という言葉は使われてはいませんが、
「背後」に神が働いておられ、
いつも主を信じる者たちを守っておられることを教える書簡です。

②ここでは、殺されそうだったユダヤ人モルデガイが、
一転して総理大臣になり、
ペルシャ国の中で大きな影響力を持つようになったことが、
しるされています。

そしてモルデガイは、
その主の守りを記念するために
「プリムの祭り」を定めたのです。

③人生を変えるような体験をしても、
「時が経過すると」忘れてしまうことがあります。
しかしそれを記念日とすれば、
毎年毎年「主の恵み」を覚えることができるのです。

洗礼日を覚え、お祝いすることはこのような意味があります。

また人生の危機的状況から主が救い出して下さった日を
「特別な記念日」とすることも良いでしょう。

大切なことは「主がして下さったこと」をいつも覚えて、
感謝を捧げ続けることなのです。

④主はあなたにどんな奇跡(助け)を与えて下さいましたか?
それはいつのことですか?
これらのことを覚え(思い出し)、
感謝をお捧げしましょう。

そしてこれからも
「同じように助けて下さる」主であることを、
もう一度、深く受けとめましょう。YccFuji







20150522

by Happiness-eachday | 2015-05-22 05:00 | 2015年4-6月 | Trackback