人気ブログランキング |

<   2015年 01月 ( 31 )   > この月の画像一覧

懸賞 懸賞

1月31日レビ記1-3章『主に喜ばれる礼拝』

懸賞 2015年 01月 31日 懸賞

『主に喜ばれる礼拝』

【1:2 「イスラエル人に告げて言え。もし、あなたがたが【主】にささげ物をささげるときは、だれでも、家畜の中から牛か羊をそのささげ物としてささげなければならない。1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。
1:9 祭司はこれら全部を祭壇の上で全焼のいけにえとして焼いて煙にする。これは、【主】へのなだめのかおりの火によるささげ物である。・・・」】

①主はモーセに、「主に受け入れられる礼拝」はどのようなものであるかを伝えました。
「罪のためのいけにえ」であっても
「和解のためのいけにえ(3章)」であっても、
主に命じられたとおりに捧げる必要がありました。

②私たちは、神から離れ、罪の中にいましたので、
「どうしたら主に受け入れられるか」
を知らずに生きてきました。

ですから最初は「形からでも」
主に喜ばれることをしていく必要があったのです。

③いけにえは「わたし自身」の象徴です。
わたしが燃やし尽くされ、捧げられることがその意味するところです。

いけにえは、生焼けでもなく、一部でもなく
「完全に捧げ燃やし尽くされる」のです。

これが「主への献身」「本当の礼拝」でもあるのです。

④イエス様は、「私たちのため」に
そのことをして下さいました。

ですから私たちは「イエス様を信じ」、
お交わりの中で「(全焼のいけにえの精神で)お従いする」のです。

それが新約時代の「本当の礼拝」なのです。YccFuji









20150131

by Happiness-eachday | 2015-01-31 09:55 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月30日出エジプト記37-40章『主に導かれて生きる』

懸賞 2015年 01月 30日 懸賞

『主に導かれて生きる』

【40:33 また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。40:35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。】

①モーセは主に言われた通りに幕屋と祭壇の制作の仕事を終えました。
すると主の臨在が幕屋に満ちました。
それも天幕に入ることができない程の圧倒的な御臨在でした。
その臨在は、雲の形に見えたのです。
(私たちも主に命じられたことがあれば、「実行する時」に主とお出会いできるのです)

②イスラエルの民は、雲が進む通りに出発しました。
その導きは「荒野の期間」続いたのです。

・・・主は私たちをいつも導いておられます。
現代は肉眼には見えませんが、
確かにおられ、私たちを導かれるのです。

特に、私たちの人生の「荒野の期間」に、
私たちは、主を見上げて「主と共に歩む」訓練を受けるのです。
(現状で問題がない時は、私たちは主の後についていこうと思わないからです)

主が共におられることを信じましょう。
毎日主のことを考え祈りましょう。

そうすれば敏感になって
「どんな環境でも」あなたは「主に導かれて」生きることができるのです。YccFuji








20150130

by Happiness-eachday | 2015-01-30 08:55 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月29日出エジプト記34-36章『感動を以って主に仕える』

懸賞 2015年 01月 29日 懸賞

『感動を以って主に仕える』

【35:20 (モーセの語りかけの後)イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、【主】への奉納物を持って来た。35:22 すべて心から進んでささげる男女は、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を【主】にささげた者はみな、そうした。】

①イスラエルの民の不信仰によって「十戒の板」が壊されてしまいました。
しかしモーセの切なる祈りにより、
主はもう一度「十戒の板」を与えると言われたのです。

そしてモーセの再度の「40日40夜断食の交わり」の後、
「十戒の板」は与えられました。
山から下りたモーセにより「幕屋制作の命令」を、民は聞いたのです。

②主は恵み深いお方です。
へりくだって赦しを求める者を赦されるのです。
そしてモーセの顔が輝くほど、祈った人に強力な影響を与えるお方です。

③主の言葉に感銘を受けた者たちは、
積極的に「幕屋制作のための材料」を捧げ、それは有り余るほどになりました。

・・・主への奉仕には「理由」があります。
それは「感謝と感動」があって捧げられるものです。
形だけや義務感ではないのです。

あなたは「イエス様」と心から祈る時、
「感動の思い」が湧きあがりますか?
そのような「祈りの生活」を意識しましょう。

そのために「主の恵み深さ」をいつも考えましょう。
感動は「それら」に気がついた人が感じ、
感動の故に応答するものなのです。YccFuji








20150129

by Happiness-eachday | 2015-01-29 00:10 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月28日出エジプト記31-33章『主の道を教えて頂いて歩む』

懸賞 2015年 01月 28日 懸賞

『主の道を教えて頂いて歩む』

【33:11 【主】は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた。モーセが宿営に帰ると、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が幕屋を離れないでいた。
33:12 さて、モーセは【主】に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている』と仰せになりました。33:13 今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」】

①モーセは特別に主と親しい関係を持っていました。
そして「あなたのお心にかなっているなら、あなたの道を教えて下さい」と主に訴えたのです。

②主と親しい関係があるということは、本音の祈りができるということです。
そして、私たちが「主の道」を歩むためには
「主に教えて頂かなければ」できないことなのです。

③私たちも、主に心から祈ると、主のお答えを頂くことができます。

・・・主との関係を深めましょう。
そして間違いがあれば、素直に主に謝罪しましょう。

「主と共に歩みたいのです」と主に叫ぶ人には、
主はその存在を明らかにして下さるのです(33:22)。YccFuji








20150128

by Happiness-eachday | 2015-01-28 00:01 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月27日出エジプト記28-30章『主とお出会いできる方法』

懸賞 2015年 01月 27日 懸賞

『主とお出会いできる方法』

【29:42 これは、【主】の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る。29:43 その所でわたしはイスラエル人に会う。そこはわたしの栄光によって聖とされる。29:44 わたしは会見の天幕と祭壇を聖別する。またアロンとその子らを聖別して、彼らを祭司としてわたしに仕えさせよう。29:45 わたしはイスラエル人の間に住み、彼らの神となろう。】

①主は祭司と祭壇の聖めについて語られた後、
祭壇に毎日捧げるいけにえについて語られました。
そして天幕でいけにえを捧げることによって
「主とお会いできること」を約束されたのです。

全焼のいけにえは自分自身を捧げる象徴です。

②新約では「イエス様の十字架」によって、
いけにえを捧げる必要はなくなりました。
しかし、主に対する姿勢は同じです。

③毎日絶やすことなく、自らを「全焼のいけにえ」として捧げるように
「感謝と賛美」を捧げ(へブル13:15)、主に近づくのです。

自分の好きな方法ではありません。
主が喜ばれる方法で「犠牲を捧げる」のです。

④主は近づき、身をきよめることを願っておられます(イザヤ1章)。

あなたが毎日、「主の喜ばれるいけにえ」を捧げ続るならば、
「主と身近に出会うこと」が増えていくのです。YccFuji






20150127

by Happiness-eachday | 2015-01-27 05:20 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月26日出エジプト25-27章『主の命令に喜んで従う』

懸賞 2015年 01月 26日 懸賞

『主の命令に喜んで従う』

【25:1 【主】はモーセに告げて仰せられた。25:2 「わたしに奉納物をささげるように、イスラエル人に告げよ。すべて、心から進んでささげる人から、わたしへの奉納物を受け取らなければならない。
25:3 彼らから受けてよい奉納物は次のものである。金、銀、青銅、25:4 青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、25:5 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、25:6 燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、25:7 エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石。25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。25:9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。】

①主は幕屋を作る際に、
民から進んで捧げられたものを用いなければならない、と命じられました。
主への奉仕はイヤイヤではなく、主への感謝と喜びをもってすべきものなのです。

②また受けて良い奉納物も定められていましたし、
幕屋も型も用具の型も定められていました。
民は「創造主の規定」を通じて、創造主に合わせることを学んだのです。

③私たちは、主を知る前は「主の恵みも愛」も知りませんでした。
そして「創造主の義」ではなく「自分が決めた義」を重んじて生きてきたのです。

④ですから信仰の当初は、「良く分からない中で従う」ということが起こってくるのです。
理屈で正しいと分かっても、心が伴わないことがあり得るのです。

しかし祈りながら「主の助けを受ける時」に
上記のことが自然出来る時が来るのです。

「喜んで主に仕え」、「主の命令に応えることが嬉しくなる時」が来るのです。

信仰は「主との関係」です。
最初は形だけでも、
「祈り」と様々な「試練と恵み」通じて、次第に心が伴うのです。YccFuji








20150126

by Happiness-eachday | 2015-01-26 05:44 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月25日出エジプト22‐24章『創造主の喜ばれる心』

懸賞 2015年 01月 25日 懸賞

『創造主の喜ばれる心』

【23:1 偽りのうわさを言いふらしてはならない。悪者と組んで、悪意ある証人となってはならない。23:2 悪を行う権力者の側に立ってはならない。訴訟にあたっては、権力者にかたよって、不当な証言をしてはならない。23:3 また、その訴訟において、貧しい人を特に重んじてもいけない。23:4 あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。23:5 あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。】

①創造主は、モーセを通じて
「正しい心を持つこと」を命じました。
主は様々な細かい規定を語られましたが、
それはイエス様がおっしゃったように、
その根本は「自分を愛するように他の人を愛すること」に他ならないのです。

②聖書に書かれている「義」は「人間の義」ではありません。
「創造主の願う義」なのです。
ですから私たちは創造主の教えを「昼も夜も口ずさむべき」なのです。

③しかしながら、私たちは創造主の義(教え)を重んじているようで
「自分の義」を主張していることが多いのです。

・・・新約の時代は「聖霊の時代」であることに感謝をしましょう。
聖霊は私たちに「聖書に書かれている背後の神の思い」を教えて下さるのです。

心は文字だけでは理解できません。
文字を書かせたお方との「交わりを通じて」理解するものなのです。YccFuji









20150125

by Happiness-eachday | 2015-01-25 05:45 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月24日出エジプト19-21章『主の御心がこの地になされるように・・・』

懸賞 2015年 01月 24日 懸賞

『主の御心がこの地になされるように・・・』

【20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
20:13 殺してはならない。20:14 姦淫してはならない。20:15 盗んではならない。20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。】

①この箇所は、創造主がモーセに与えた「十戒」の5-10戒の部分です。
これは1-4までの「神との関係」を土台として、
「人間関係の命令」を記したものです。

これは人類に与えられた「普遍的な戒め」なのです。

②しかしイエス様は
「人を殺さなくても腹を立てるだけで、裁きに合わなければならない」
「情欲をいだいて女性を見るならば、姦淫を犯したと同じ」
と言われました(マタイ5章)。

③「モーセの十戒」は、守るべきものですが、
私たちはそれをできない、弱く誘惑に乗りやすい性質を持っているのが現実なのです。

④私たちは主の前に「ひれふしながら」主に支えて頂き、
日々赦して頂いて、
これらの戒めを「少しずつでも」できるように助けられるのです。

・・・「創造主の義」とは、人間が定めるものではありません。
創造主との関係の中で、「創造主の願いに近づくこと」が「義」なのです。

「創造主の義」が、この世界に増え広がることを祈りましょう。
そして「主の助け」を必要としている「切実な者」のために、
特に強くとりなし祈りましょう。

私たちの祈りを聞いて、主が奇跡を与えて下さることを信じて、祈るのです。YccFuji








20150124

by Happiness-eachday | 2015-01-24 00:34 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月23日出エジプト記16-18章『不足の中の訓練』

懸賞 2015年 01月 23日 懸賞

『不足の中の訓練』

【16:3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは【主】の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。」16:4 【主】はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。」】

①エジプトを脱出したイスラエルの民は、
荒野での生活に入ると、不足を呟き、モーセたちに訴えました。
しかも、その呟きはひどい言葉でした。

②主は、そんな彼らに「マナを与える」と約束されたのです。
しかしその目的は「主の教えに従って歩むかどうか」の訓練と試験のためだと言われたのです。

③私たちが荒野の厳しい状況に追い込まれる時、
主は不思議な方法で「必要を備えて」下さいます。
これは多くのクリスチャンが体験するところです。

しかしその目的は「主に従って歩むかどうか」
私たちの「信仰と行動」を育てるためなのです。

④ですから私たちは「荒野(苦しみの中)での恵み」を覚えなければなりません。
荒野を土台(スタート)とするならば、高慢にはなれません。
「恵み」は自分の力ではなく「主からのもの」と心に刻むことができるのです。

その心(謙遜)でいるならば、
どんなに祝福されても「道を外れること」は少なくなるのです。YccFuji








20150123

by Happiness-eachday | 2015-01-23 08:30 | 2015年1‐3月 | Trackback

1月22日出エジプト記13-15章『主に従う道』

懸賞 2015年 01月 22日 懸賞

『主に従う道』

【13:17 さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」13:18 それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。
13:21 【主】は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすため、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。13:22 昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。】

①主は、エジプトから神の民を救出されました。
しかし最短距離(数週間でエジプトに着くことができる道)を通させなかったのです。
主はあえて、回り道をさせました。

②主は「人間の心」をよく御存じです。
私たちが、すぐに心が変わり、自分本位で生きようとすることをご存じなので、
あえて「主に頼らなければ生きられない道」を進ませたのです。

③主は私たちに、「自分の力でできない」ように、
あえて「回り道をさせる」時があります。

④そのような道を通る時には、覚悟するしかありません。
乗り切るためには「主の導きを選ぶ」しかないのです。

進まなければ死んでしまうなら、
「自己中心の私たち」も進んでいけるのです。

覚悟して前進した結果、「約束の祝福」を得られるのです。
主の「愛の配慮」ともいえるのですYccFuji






20150122

by Happiness-eachday | 2015-01-22 05:01 | 2015年1‐3月 | Trackback