カテゴリ:2018年( 101 )

懸賞 懸賞

4月24日Ⅰサムエル20-22章 マルコ14:1-26

懸賞 2018年 04月 24日 懸賞

『ヨナタンの友情』
【Ⅰサムエル20:6 もし、父上が私のことをとがめられたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえをささげることになっているからです』と。20:7 もし、父上が『よし』とおっしゃれば、このしもべは安全です。もし、激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。」
20:9 ヨナタンは言った。「絶対にそんなことはありません。父があなたに害を加える決心をしていることが確かにわかったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
20:17 ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。】

①ヨナタンは、サウル王の息子でしたが、
ダビデを信頼し、大切にしていました。
そして自分の立場が悪くなったとしても、
ダビデが助かるように、努めたのです。

ヨナタンの友情は、友情の模範です。
友を愛する愛は、尊いものなのです。




『イエス様の愛』
【マルコ14:21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」14:22 それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」14:23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。14:24 イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」】

①イエス様は、最後の晩餐で、すべての弟子にパンとブドウ酒を与えました。
のことは、イエス様がすべての人類のために、
ご自分の身を犠牲にされたことを現しています。
そしてこの中には、ユダがいたことは、驚くべきことなのです。

イエス様は、ユダをも愛しておられたのです。
イエス様の愛はそのような愛なのです。






20180424


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by Happiness-eachday | 2018-04-24 05:53 | 2018年 | Trackback

4月22日Ⅰサムエル16-17章 マルコ12:18-44

懸賞 2018年 04月 22日 懸賞

『心を見ておられる神様』
【Ⅰサムエル16:6 彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、【主】の前で油をそそがれる者だ」と思った。16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」】

①主は、神に反逆したサウル王の代わりに、次の王としての人物を立てました。
その人物を主は「心」で選んだのです。
その人物が、ダビデでした。

彼は若く、まだ経験はわずかでしたが
、主はダビデの心(信仰)を通じて、
ダビデの子孫に、救い主イエス様を誕生させるほど、
ダビデを祝福したのです。

私たちも、人間の世では見栄えも大切ですが、
神様との関係では「心」が一番重視されることを覚えるべきなのです。




『心を見ておられるイエス様』
【マルコ12:42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。12:43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。12:44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」】

①今日の新約の箇所は、旧約と同じテーマです。
イエス様は、貧しいやもめが精一杯捧げた心を、
しっかりと正しく受け止めておられたのです。

人は、目に見える大きさや価値で判断します。
しかし私たちのイエス様は、
すべてを平等に正しく、見て下さっているのです。





20180422


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by Happiness-eachday | 2018-04-22 05:52 | 2018年 | Trackback

4月21日Ⅰサムエル14-15章 マルコ11:27-12:17

懸賞 2018年 04月 21日 懸賞

『ごまかしの危険』
【Ⅰサムエル15:13 サムエルがサウルのところに行くと、サウルは彼に言った。「【主】の祝福がありますように。私は【主】のことばを守りました。」15:14 しかしサムエルは言った。「では、私の耳に入るあの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」15:15 サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、【主】に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」
15:22 するとサムエルは言った。「主は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。15:23 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが【主】のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」】

①サウル王は、主から言われたことを、自分に都合よくごまかしました。
しかし嘘は嘘であり、反逆は反逆なのです。
ごまかすことを止めましょう。
正直に主に告白することから、すべての良い導きは与えられるのです。


『主の計画のすばらしさ』
【マルコ12:10 あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。12:11 これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』】

①イエス様は、見捨てられたように見えましたが、
(十字架で命を捨てられましたが)、
しかし新しい神の民の土台の石となられたのです。

主の計画は、人の目には隠されていることがあります。
しかしいつかは明らかになり、その素晴らしさが見えてくるのです。




20180421


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by Happiness-eachday | 2018-04-21 05:28 | 2018年 | Trackback

4月20日Ⅰサムエル11-13章 マルコ11:1-26

懸賞 2018年 04月 20日 懸賞

『待つことができなかったサウル王』
【Ⅰサムエル 13:8 サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待ったが、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。13:9 そこでサウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい」と言った。こうして彼は全焼のいけにえをささげた。
13:10 ちょうど彼が全焼のいけにえをささげ終わったとき、サムエルがやって来た。サウルは彼を迎えに出てあいさつした。13:11 サムエルは言った。「あなたは、なんということをしたのか。」サウルは答えた。「民が私から離れ去って行こうとし、また、あなたも定められた日にお見えにならず、ペリシテ人がミクマスに集まったのを見たからです。・・・
13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。」】

①サウル王は、サムエルから言われた7日間を待つことができずに、
自分でいけにえを捧げてしまいました。
神によりすがるよりも、自分の力に頼ったのです。
人間の目で理屈に合っていても、ごまかしはごまかしです。
神様はそのようなごまかしを嫌われるのです。




『子ロバを用いられたイエス様』
【マルコ11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。11:3 もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」11:4 そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。11:5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」11:6 弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。11:7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。】

①この小さなロバは、イエス様のエルサレム入場に用いられました。
主はそのような子ロバを準備しておられたのです。
小さなロバを主は用いられました。
「主がお入り用です」と言われるならば、
小さなものでも、最高のかたちで用いられたのです。




20180420


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by Happiness-eachday | 2018-04-20 05:34 | 2018年 | Trackback

4月19日Ⅰサムエル8-10章 マルコ10:32-52

懸賞 2018年 04月 19日 懸賞

『選びの恵みと応答の大切さ』
【Ⅰサムエル9:19 サムエルはサウルに答えて言った。「私がその予見者です。この先のあの高き所に上りなさい。きょう、あなたがたは私といっしょに食事をすることになっています。あしたの朝、私があなたをお送りしましょう。あなたの心にあることを全部、明かしましょう。・・・
10:1 サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。・・・
10:8 あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私がなすべきことを教えます。」】

①サウルは、預言者サムエルによって王として任命されました。
これは主の選びであり、一方的な恵みだったのです。
そしてギルガルで七日間待つようにと命じられたのです。
(しかしサウルは待てませんでした)

「主の選びの恵み」と
「応答の大切さ」がここから分かります。
選ばれても、それだけでは長く祝福の中を歩むことはできないのです。

「選ばれた者」が、
「主の願いに応えて」、
初めて主の祝福の中を歩めるのです。




『バルテマイの信仰』
【マルコ10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。】

①盲人バルテマイは、
「イエス様なら絶対に自分の目を癒してくださる」と信じていました。
ですから大声を上げ、
止められてもますます叫んだのです。
そしてイエス様から声をかけられると、
自分の願いを正直に告白したのです。

このような信仰を「主は喜んで下さいます」。
彼はまっすぐに、イエス様を求めていたのです。
本気で求める者は、少々の邪魔があっても、あきらめないのです。




20180419


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by Happiness-eachday | 2018-04-19 05:04 | 2018年 | Trackback

4月18日Ⅰサムエル3-7章 マルコ10:1-31

懸賞 2018年 04月 18日 懸賞

『敵地にあっても圧倒的な神様の力』
【Ⅰサムエル 5:1 ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。
5:2 それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。
5:3 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。
5:6 さらに【主】の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人々とを腫物で打って脅かした。5:7 アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」】

①イスラエルは戦いに敗れ、神の箱は敵の手に奪われてしまいました。
人々は悲しみましたが、
神の箱は、敵の地においても、圧倒的な力を持っていたのです。

人間は、成功したり失敗したりします。
しかし神ご自身は、それらのことを越えて、
圧倒的な力で御業を進めていかれるのです。

神様共に歩みましょう。
神の業を止める力はどこにもないのです。
神に敵対することは愚かなことなのです。



『神様の人を変える力』
【マルコ10:23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」10:24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。10:25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」10:26 弟子たちは、ますます驚いて互いに言った。「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」10:27 イエスは、彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」】

①金持ちの若者は、
神を信じると言いながらも、
実際は「お金」が自分拠り所でした。
お金に執着するがあまりに、
神に従うことができなくなっていたのです。

「お金」が悪いのではありません。
お金に「執着するこころ」が間違っているのです。

この壁を乗り越えるのは「人間の力」では不可能です。
神がその人に働いて(苦しみや試練を通じて)、
神だけにすがり、
神以外をあきらめるように、変えられるのです。



20180418


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by Happiness-eachday | 2018-04-18 05:25 | 2018年 | Trackback

4月17日Ⅰサムエル1-2章 マルコ9:33-50

懸賞 2018年 04月 17日 懸賞

『子育てのために祈る』
【Ⅰサムエル2:27 そのころ、神の人がエリのところに来て、彼に言った。「【主】はこう仰せられる。あなたの父の家がエジプトでパロの家に属していたとき、わたしは、この身を明らかに彼らに示したではないか。・・・
2:29なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。・・・
2:31 見よ。わたしがあなたの腕と、あなたの父の家の腕とを切り落とし、あなたの家には年寄りがいなくなる日が近づいている。・・・
2:34 あなたのふたりの息子、ホフニとピネハスの身にふりかかることが、あなたへのしるしである。ふたりとも一日のうちに死ぬ。】

①エリは偉大な預言者でしたが、
子供たちはエリの道を歩むことをせず、
神の反逆することをし続けたのです。
エリはそれを見ながらも、黙認し続けていたのです。
その結果、神のさばきを受けてしまったのです。

子供を愛していても、盲目的な愛では、
結果としてその子供を不幸にしてしまいます。

「神様の基準がある」ことを親が自覚をするならば、
「子供に語るべき言葉」が「与えられる」のです。

主に祈りましょう。
知恵を頂きましょう。
主が与えた子供たちを、
主が喜ばれるように育てることを求めるのです。




『火によって塩けがつけられる』
【マルコ 9:49 すべては、火によって、塩けをつけられるのです。9:50 塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。】

①人は、火のような「苦しみ」を通じて、訓練され、塩けをつけられます。
それは「キリストに従う」ために受ける「迫害の火」もありますが、
肉の欲に走りキリストを無視した結果起こる「裁きの火」も人をつくりかえるのです。

人は「火によって」塩けをつけられます。
その塩けを保ち、
互いに愛しあうように、
私たちは整えられていくのです。




20180417



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by Happiness-eachday | 2018-04-17 05:28 | 2018年 | Trackback

4月16日ルツ記1-4章 マルコ9:14-32

懸賞 2018年 04月 16日 懸賞

『悲しみの中の、栄光の道』
【ルツ記1:19 それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。1:20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。1:21 私は満ち足りて出て行きましたが、【主】は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。【主】は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」1:22 こうして、ナオミは、嫁のモアブの女ルツといっしょに、モアブの野から帰って来て、大麦の刈り入れの始まったころ、ベツレヘムに着いた。】

①ナオミは、飢饉のため、家族でベツレヘムからモアブに避難をしました。
しかしそこで、夫が死に、息子二人の死んでしまったのです。

ですから、ナオミは故郷の人に、
ナオミ(快い)ではなく、マラ(苦しみ)と呼んでくださいと答えたのです。
しかしナオミには、義理の娘「ルツ」がいました。
このルツの子孫から、ダビデ王が誕生しました。

・・・人間的に見る時に、「悲劇」としか思えないことがあります。
しかし主が働かれると、その道が、「栄光の道」となるのです。




『信仰を引き出されるイエス様』
【マルコ9:21 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」】

①この父親は、子供を救い出すために、イエス様のもとにやってきました。
しかし対応した弟子たちにはそれができなかったのです。
そのため、父親は失望し、
イエス様に対しても不信の言葉を出してしまったのです。

しかしイエス様はその不信仰を見過ごしませんでした。
素早く指摘をし、
父親の「信じます」という言葉を引き出したのです。

イエス様の奇跡をなされるのに、人間の信仰が必要なのです。
そしてイエス様は、
私たち人間の信仰を、
「引き出して」下さるのです。




20180416



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by Happiness-eachday | 2018-04-16 05:30 | 2018年 | Trackback

4月15日士師記19-21章 マルコ8:27-9:13

懸賞 2018年 04月 15日 懸賞

『神の基準の必要性』
【士師記21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。】

①士師記の最後に、士師時代のイスラエルの問題の根本を示して終わっています。
それは人々が、神の基準を無視して、自分たちの道を歩み、
自分たちのゆがんだ判断で正しいと思うことを行っていたことです。

しかし神の言葉ではなく、自分の意見を生涯の指針とすることは、
明らかな神への反逆となります。
反逆の結果は、混乱と不幸です。

私たちは、暗い時代にあっても、神基準を考え、
実行していく必要があるのです。
それこそが「天国での永遠の評価」となるのです。




『イエス様の弟子の心構え』
【マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」

①イエス様は、自分についてくる弟子たちの心構えについて語られました。
それは自分負うべき「十字架」を負ってついてくるようにというものでした。

悪い時代だからこそ、イエス様の言葉を尊重する必要があるのです。
迫害や逆境の中で、イエス様を固く信じ歩んだ者たちは、
来るべき再臨において、大きな評価があるのです。



20180415


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by Happiness-eachday | 2018-04-15 05:53 | 2018年 | Trackback

4月14日士師記17-18章 マルコ8:14-26

懸賞 2018年 04月 14日 懸賞

『自分の目に正しいと思うことの、良し悪し』
【士師記17:1 エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。17:2 彼は母に言った。「あなたが、銀千百枚を盗まれたとき、のろって言われたことが、私の耳に入りました。実は、私がその銀を持っています。私がそれを盗んだのです。」すると、母は言った。「【主】が私の息子を祝福されますように。」・・・
17:4 しかし彼は母にその銀を返した。そこで母は銀二百枚を取って、それを銀細工人に与えた。すると、彼はそれで彫像と鋳像を造った。それがミカの家にあった。17:5 このミカという人は神の宮を持っていた。それで彼はエポデとテラフィムを作り、その息子のひとりを任命して、自分の祭司としていた。17:6 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。】

①士師記の時代は、主に仕えるリーダーが長くおらず、
一人一人が「自分が正しい」と思うことを行っていました。
神様の基準を知っていながらも無視をして、
「自分の都合の良いように」考え、行動することは、
多くの場合「神の目には悪を行うこと」になるのです。

自分の願いは押し通せても、その結果、混乱と不幸が生まれるのです。
神様の基準を意識して行動しましょう。
「神の国とその義を第一にして生きること」は祝福の基なのです。




『違った解釈の戒め』
【マルコ8:15 そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」8:16 そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始めた。8:17 それに気づいてイエスは言われた。「なぜ、パンがないといって議論しているのですか。まだわからないのですか、悟らないのですか。心が堅く閉じているのですか。」】

①パリサイ人のパン種とは、聖書の啓示のメッセージを、
自分たち流に変えて伝えることです。
これをすると、聖書の本質がゆがめられるのです。
「キリストへの愛が冷え」、
「キリストのみ言葉に平気で背く」ようになってしまうのです。

聖書の文脈から外れた勝手な解釈を戒めましょう。
それは信仰を破壊する教えなのです。
そのような教えからは、距離を置かなければなりません。
キリストの愛から離れることは、恐ろしいことなのです。




20180414



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by Happiness-eachday | 2018-04-14 05:25 | 2018年 | Trackback