カテゴリ:2017年( 331 )

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5月25日2列王記16-17章 ルカ7:1-35

懸賞 2017年 05月 25日 懸賞

『主の裁きが遅くなる意味』

【Ⅱ列王17:12 【主】が彼らに、「このようなことをしてはならない」と命じておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。17:13 【主】はすべての預言者とすべての先見者を通して、イスラエルとユダとに次のように警告して仰せられた。「あなたがたは悪の道から立ち返れ。わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、また、わたしのしもべである預言者たちを通して、あなたがたに伝えた律法全体に従って、わたしの命令とおきてとを守れ。」17:14 しかし、彼らはこれを聞き入れず、彼らの神、【主】を信じなかった彼らの先祖たちよりも、うなじのこわい者となった。】

①北イスラエルは、アッシリヤによって滅ぼされました。その理由がここに書かれています。

②主は前もって、イスラエルに「してはいけないこと」を語られていました。
北イスラルは、その命令に「反逆」し続けたのです。

③罪を犯し続けても、すぐに「裁きはおこらない」かもしれません。
しかし、主が禁止することをすれば、必ず最後には「悪の報いを受ける」のです。

・・・主の裁きを「軽く考えては」いけません。
主は「聖なるお方」ですから、「汚れたこと」を見過ごすことはないのです。(絶対にです)

裁きがすぐに起こらないのは、「主にお考え」があるからです。
主は、愛の故に「手を下すことを送らせているだけ」なのです。

遅いからと言って「裁きがない」と考えることは、愚かなことだと知りましょう。
主の背後のお気持ちを知ったならば、
早めに悔い改めることが「御心」であり、「自然なこと」なのです。




『イエス様が、評価された信仰』

【ルカ7:6百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。7:7 ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。7:8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」7:9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」】

①イエス様は、異邦人である「百人隊長の信仰」を高く評価されました。
彼は、「イエス様の言葉の力」を信じ、「言葉を発して頂くこと」を願ったのです。
(「屋根の下に入れる資格がない」とは、彼の謙遜な信仰を表しています。)

②私たちは、「イエス様の言葉」を「このように信じている」でしょうか。
もしそのように信じているならば、本気で「お言葉を語られること」を願うのです。

・・・「主の言葉」を願いましょう。
あなたの生活の中に与えられる「上よりの言葉」を「求め」「受け取り」ましょう。

解決が「そこにしかない」とするならば、
他の力を求める以上に、「主を求める」筈です。

あなたは本当に求めていますか。
あなたが本気で求めているならば、
主はあなたに対しても「立派な信仰だ」と、言って下さるのです。

ただし「主を求める」のであって、
自分の欲望を「主に重ね合わせて」は、いけないのです。






20170525


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by Happiness-eachday | 2017-05-25 05:01 | 2017年 | Trackback

5月24日2列王記13-15章 ルカ6:17-49

懸賞 2017年 05月 24日 懸賞

『主への情熱とその行動』

【Ⅱ列王13:18 ついでエリシャは、「矢を取りなさい」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。13:19 神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」13:20 こうして、エリシャは死んで葬られた。】

①エリシャの死の直前、アラムの圧迫に悩んでいたヨアシュ王は、
エリシャのところに助けを求めに来ました。

エリシャは、ヨアシュ王に弓を取るように命じ、
手を添えて、弓を射させました。
その時こう言ったのです「【主】の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」

②そして次に、「自分で矢を射なさい」と命じたのです。

③ヨアシュは、アラムを打ち破る「情熱も信仰も」足りませんでした。
ですから「3度しか」矢を射ようとしなかったのです。

・・・ヨアシュがもっと「主への情熱や献身」を持っていたならば、
「何度でも」弓を射たことでしょう。

主の働きをするには「自分の動機」では限界があります。
しかし「主のため」「主の願いのため」という情熱を持つ人は、「限界がない」のです。

・・・あなたは「主への情熱」を持っていますか。
「どれくらい」情熱を持っていますか。
自分の「主への愛」を計ってみましょう。

あなたなら「何度弓を射た」でしょうか?





『敵を愛することはできるのか?』

【ルカ6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。・・・
6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。6:36 あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。】

①イエス様は、弟子たちに(20節)、「敵を愛すること」を命じました。
これは人間的には「不可能なこと」です。

しかしイエス様は「天の父が憐み深い」ように「あなたがたも憐み深く」なりなさい、
と命じられたのです。

②つまりこのことは「天の父が憐み深いこと」を
「本当に知った者」だけが到達できること(心と行動)なのです。

③天の父の憐みを知るためには、
第一に「自分が赦されていること」に気がつくこと(知ること)です。
そして第二に「憐み深い主」と祈りの中で交わり「父の気持ちを自分のことのように」感じることです(父との交わり)。

・・・そうすれば「父の願い」が分かる分だけ、私たちは「人を愛せる」のです。

自分の動機や感情ではすぐに限界が来てしまいます。
「主への愛情」だけが、その限界を「超えることができる」のです。







20170524


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by Happiness-eachday | 2017-05-24 05:09 | 2017年 | Trackback

5月23日2列王10-12章 ルカ6:1-16

懸賞 2017年 05月 23日 懸賞

『忠実な奉仕者』

【Ⅱ列王12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴をあけ、それを祭壇のわき、【主】の宮の入口の右側に置いた。入口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに置いた。12:10 箱の中に金が多くなるのを見て、王の書記と大祭司は、上って来て、それを袋に入れ、【主】の宮に納められている金を計算した。12:11 こうして、勘定された金は、【主】の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らはそれを【主】の宮で働く木工や建築師たち、12:12 石工や石切り工たちに支払い、また、【主】の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、宮の修理のための出費全部のために支払った。】

①主の宮を修理するための費用は、「監督者たち」によって管理をされました。
彼らはその仕事を忠実にこなし(15節)、修理は順調に進んだのです。

主の宮の奉仕は「祭司」だけではありません。
様々な奉仕者がいて、宮が運営されるのです。
そしてそれぞれが、忠実に働くことによって、奉仕が順調に進んだのです。

・・・教会の奉仕も様々な奉仕者がいて運営されます。
それぞれが忠実に、主からの奉仕をする中で、働きが順調に進められていくのです。
主はその「奉仕の姿勢」を見て、喜んで下さるのです。




『祈って物事を決める』

【ルカ6:12 このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。6:13 夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。6:14すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、6:15 マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、6:16 ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。】

①イエス様は、山に行ってよく祈られました。
特に12弟子を選ぶ時に於いて、イエス様は特別な祈りを捧げられたのです。

私たちも、いつも祈りますが、
特に大事なことを選ぶ前には、
「主との十分な交わり」を必要としています。

・・・あなたの祈りはどのような祈りですか。
大事なことの前には、「主に話しきった」という「祈りの感覚」はありますか。

祈りきった時、私たちの心は「平安」で満たされます。
平安が与えられ、主が共にいて導いて下さるという感覚を持つならば、
導かれる可能性が高くなるのです。
そして、感情や肉的なことでミスをすることが格段に減るのです。





20170523



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by Happiness-eachday | 2017-05-23 05:25 | 2017年 | Trackback

5月22日2列王8-9章 ルカ5:17-39

懸賞 2017年 05月 22日 懸賞

『預言の成就』

【Ⅱ列王9:36 帰って来て、エフーにこのことを知らせた。すると、エフーは言った。「これは、【主】がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬どもがイゼベルの肉を食らい、9:37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれも、これがイゼベルだと言えなくなる。』」】

①Ⅰ列王記21章には、イスラエルのアハブ王が、
ナポテのぶどう畑を取り上げるため、妻イゼベルの悪い助言を受け、
ナポテを殺した記事が書かれています。

この時、主はイザヤによって、
アハブ王とイゼベルに対する預言を語らせました。

②当時は、アハブもイゼベルも権力の中枢にいて、
「圧倒的な力」を持っていました。
誰も歯向かうことができなかったのです。

しかし2列王9章では、エリヤの預言が成就し、イゼベルは殺されたのです。

・・・主の言葉には「力」があります。
それは現実に起こらないように「その時」は思えても、
時が来れば「成就する」のです。

主は正しい方です。
権力者のわがままも、隠れたところで起きている罪も
「正しく裁かれる」のです。

主の前では、「ごまかすことができない」ことを知りましょう。
そして主に喜ばれることを考えて生活しましょう。
主の「御意志」は、必ず成就するのです。





『主が評価される信仰』

【ルカ5:18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。5:19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。】

①この場所で、イエス様は「友の信仰」を見られ、
「脳溢血による半身不随の男性」を癒されたのです。
これは奇跡です。

②主は、イエス様の元に運び、
人がいたため屋根をはがして男性をイエス様の前に釣り下ろした、
友人たちの信仰(願い・意志)を見て、
心を動かされたのです。

③私たちは、イエス様に「どのような気持ち」で求めているでしょうか。
あきらめたり、努力しても難しいと考えたり、途中で止めてはいませんか。

④一見非常識にも見える「友たち」の信仰を、主は用いられたのです。
非常識を勧めるのではありません。
しかしそれほどまで「求める信仰」を、主は「評価される」のです。






20170522


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by Happiness-eachday | 2017-05-22 05:10 | 2017年 | Trackback

5月21日 2列王6-7章 ルカ5:1-16

懸賞 2017年 05月 21日 懸賞

『主は理解を越えたことを実行される』

【Ⅱ列王7:1 エリシャは言った。「【主】のことばを聞きなさい。【主】はこう仰せられる。『あすの今ごろ、サマリヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」7:2 しかし、侍従で、王がその腕に寄りかかっていた者が、神の人に答えて言った。「たとい、【主】が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、彼は言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」】

①主は、エリシャを通じて「主の解放」の業を前もって知らせました。
しかし王の侍従は、そのことを信じられませんでした。
ところが「あり得ない」と思えたことが実際に、次の日に起きたのです。

②主は、私たちに「ビジョン(方向性)」を与えて下さいます。
それを信じる者は、準備しつつ、その時を迎えることができるのです。

主のビジョンを受け取った時、「あり得ない」と全否定するのは、愚かなことです。

・・・「主からのもの」をすべて信じることができないかもしれません。
しかし「起こるかもしれない」と考え、
その可能性も考えつつ、時を過ごすことは
「神の計画に合致すること」と信じるのです。

そして「はっきりとした確信」を得たならば、大胆に前進しましょう。
主は私たちの「考えを越えたこと」をいつもされるのですから。




『深みの漕ぎ出すように、命じられる主』

【ルカ 5:4 (イエスは)話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。】

①イエス様は、漁師のプロであるペテロに「深みに漕ぎ出しなさい」と言われました。
ペテロにとって、イエス様は「漁師のプロ」ではありませんでした。
しかしペテロは「お言葉通り」網をおろしてみましょうと言い、実行したのです。

②ペテロは、あまりのたくさんの魚が捕れたことで、「非常におそれ」ました。
それは「自分とは違う何か」をイエス様の言動を通じて感じたからです。

③私たちも信仰生活をするうちに、「このような体験」をするようになります。
信じて実行すると「あり得ないこと」が起こるのです。
その体験を重ねることによって、私たちは「主とのお付き合いの仕方」を学ぶのです。






20170521


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by Happiness-eachday | 2017-05-21 04:33 | 2017年 | Trackback

5月20日2列王4-5章 ルカ4:14-44

懸賞 2017年 05月 20日 懸賞

『プライドを超えるもの』

【Ⅱ列王5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。5:10 エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このツァラアトに冒された者を直してくれると思っていたのに。5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。・・・】

①アラムの将軍、ナアマンは、
イスラエルに主の預言者がおり、その人が癒しの祈りができることを聞きました。
そして預言者エリシャの元にやって来たのです。

②ここで、エリシャが語った命令は、ナアマンの気分を害しました。
彼の考え通りではない言葉が、彼の自尊心(プライド)を傷つけたのです。

③しかし、彼のしもべたちの助言により、
ナアマンはへりくだって、主からの命令に「従った」のです。
その時「癒し」が起きました。

・・・私たちは「プライド」を持っています。
そしてプライドが傷つく時、私たちは「すべきこと」ができなくなるのです。

プライドを主に委ねましょう。
主はどんな時も、私たちを「支えて」下さいます。
ですからプライドに執着する必要が無いのです。

真剣に求める者は、様々な助けを通して、
プライドを乗り越え「正しいこと」ができるのです。





 『プライドの限界を越えるイエス様の力』

【ルカ4:23 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ』というたとえを引いて、カペナウムで行われたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」・・・
4:27 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、ツァラアトに冒された人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」4:28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。4:30 しかしイエスは、彼らの真ん中を通り抜けて、行ってしまわれた。】

①イエス様は、故郷で重んじられませんでした。
それは、イエス様の小さい頃を知っている人が
「イエス様の価値を理解できなかった」からです。

②彼らにはイエス様に対する「先入観」がありました。

「イエスはこの程度」という勝手なイメージが、
「彼らのプライド」となって「本当のイエス様」受け入れられなくしたのです。

③人間は、自分の考えが「プライド」になる時があります。
それによって「現実を否定」し、正しいものが「見れなくなる」のです。

・・・聖書の御言葉も同じです。
自分が知っていると思うと「神様の言葉」が見えなく(盲目に)なるのです。

・・・祈りましょう。
聖霊様が働かなければ、自我というプライドを乗り越えることは不可能です。
しかし主は、困難な中で
「迫害の真ん中を歩むように」私たちを助けることができるのです。






20170520


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by Happiness-eachday | 2017-05-20 05:37 | 2017年 | Trackback

5月19日2列王記1-3章 ルカ4:1-13

懸賞 2017年 05月 19日 懸賞

『高慢の結果、へりくだりの結果』

【Ⅱ列王1:13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けください。1:14 ご承知のように、天から火が下って来て、先のふたりの五十人隊の長と、彼らの部下五十人ずつとを、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちはお助けください。」1:15 【主】の使いがエリヤに、「彼といっしょに降りて行け。彼を恐れてはならない」と言ったので、エリヤは立って、彼といっしょに王のところに下って行き・・・】

①アハズヤ王は、主に反逆して、バアルの力を求めました。
主は、エリヤを通じてその「罪と問題」を指摘し、「王は死ぬ」と語ったのです。

その言葉を聞いた王は、エリヤに自分の元に来るように「家来たち」に「命じ」ました。

②その命令を受けた、最初の五十人隊長は、神の人エリヤに「命令」し、主から打たれました。
次の五十人隊長も同じように「命令」し、主から打たれたのです。

しかし3人目の五十人隊長は、神の人エリヤに「懇願し、救いを求めた」のです。
すると主は、「彼らについていくように」とエリヤに語られたのです。

・・・主は「へりくだった者」の言葉を聞いて下さいます。
それだけ厳しい状況(罪の中)でも、主に「懇願する者の言葉」を、聞かれるのです。

③主に対する「私たちの姿勢」を、吟味しましょう。
人は「何かの権威」を自分のものとすると「高慢」になるのです。

しかしその「支え、プライド」を「主以上」ではありません。
主の前では「へりくだること」、
このことが「自分の身を守り」、「神の祝福を受ける」大切な秘訣なのです。
このことを忘れてはいけないのです。




『悪魔の誘惑』

【ルカ 4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。4:3そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」・・・】

①イエス様は、公生涯を始める前に、悪魔からの誘惑を受けました。
その誘惑に、イエス様は「み言葉」で勝利をしました。

第一に私たちは「悪魔がいること」を理解しなければなりません。
悪魔は創造の産物でも、架空の存在でもなく、現実なのです。

次に「悪魔の攻撃があること」を忘れてはいけないのです。
悪魔は、あなたを「ほっておかれません」。
あなたが「神様のことを考え」「神の導きに生きよう」と考えるならば、
攻撃を受けることは覚悟すべきです。

しかし安心してください。
イエス様が勝利をしたように、
私たちも「キリストの力により」「み言葉を通じて」悪魔に勝利をすることができるのです。

神に従いましょう。悪魔に立ち向かいましょう(ヤコブ4:7)。
み言葉が武器になります。

イエス様が公生涯前に、誘惑を受け、勝利をたように、
私たちも人生の「大切な場面」で、「み言葉」により、勝利をすることができるのです。






20170519


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by Happiness-eachday | 2017-05-19 05:41 | 2017年 | Trackback

5月18日1列王22章 ルカ3章

懸賞 2017年 05月 18日 懸賞

『主をごまかすことはできない』

【Ⅰ列王22:34 ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は自分の戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」・・・】

①北イスラエルの悪王、アハブ王の最後がここに描かれています。
彼は主の前に罪を犯し続け、主からの裁きを受けました。

②アハブ王は自分の身の危険を感じ、
南ユダのヨシャパテ王を自分の身代わりとして、
自分は助かろうと考えました。

しかし実際、ヨシャパテ王は助け出され、
アハブ王は弓で殺されてしまうのです。

③私たちは、主に喜ばれるかどうかで、「人生の方向性」が決まってしまいます。
人間的な小細工をいくらしても、
「主の裁き」を変えることはできないのです。

④ですから、「悪」に気がついたならば、
私たちは素直になって、心から悔い改め、赦しを頂くだけなのです。
そこにしか「解決の道」はないのです。





『深い、悔い改めのために』

【ルカ3:7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。3:8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。3:9 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」】

①イエス様の「道備え」をした、洗礼者ヨハネの言葉がここに書かれています。
彼は人々に「悔い改め」を説きました。
なぜなら「すべてを見ておられる」主は、
私たちが「心の奥に持っている罪」を、「見過ごすこと」はないからです。

②そして「口先で表面的に悔い改める」のではなく、
「心から悔い改め」、
悔い改めに相応しい実(行動)を取るようにと命じたのです。

「生活が変わるまで」悔い改めるには、「相当深い」悔い改めが必要になります。

・・・あなたは自分を直視できますか。
自分が100%愚かでも、それをすべて見た上で、
受け止めて下さるイエス様(そして天の父)の愛と支えを体験していますか。

天の父の愛を知ると「本当の自分を見ること」が怖くなくなります。
その上で、「深い」悔い改めができ。
私たちは「変えて頂ける」のです。





20170518


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by Happiness-eachday | 2017-05-18 05:35 | 2017年 | Trackback

5月17日1列王20-21章 ルカ2:21-52

懸賞 2017年 05月 17日 懸賞

『主の憐みの大きさ』

【Ⅰ列王21:25 アハブのように、裏切って【主】の目の前に悪を行った者はだれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたからである。21:26 彼は偶像につき従い、【主】がイスラエル人の前から追い払われたエモリ人がしたとおりのことをして、忌みきらうべきことを大いに行った。21:27 アハブは、これらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に荒布をまとい、断食をし、荒布を着て伏し、また、打ちしおれて歩いた。21:28 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような【主】のことばがあった。21:29 「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」】

①アハブ王は、北イスラエルの悪王で、妻の影響を受けて、バアルの神を拝み、
非道徳的なことをした人物でした。

しかしこの時、預言者の指摘を受け、心からへりくだり「悔い改めた」のです。
すると主は、その「悔い改め」を受け取られ、
アハブに寛大な措置をされたのです。

②主の「御気質」がここに描かれています。
どんなに酷い人物でも「素直に悔い改める」ならば、災いが減少するのです。
ですから私たちは、「単純に悔い改めること」が非常に大切なのです。

言い訳や理屈を言うのではなく、「単純に」罪を告白するのです。

・・・このことを素直に実行しましょう。
主の裁きは「恐ろしい」ですが、
主の憐みはそれ以上に「大きい」のです。




『主の語り掛けと、その真実さ』

【ルカ2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。2:26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。2:27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。2:28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。・・・」】

①シメオンは、主から「救い主を見るまでは死なない」と預言を受けていました。
そしてその通り、イエス様にお会いすることができたのです。

主の語り掛けは「真実」です。
そして主の約束は「成就」するのです。

②あなたは「主の語り掛け」を受けたことはありますか。
主は特別な方法で、語られることがありますが、
現在多くは「聖書の御言葉」から(聖霊を通じて)語られるのです(ヨハネ14:26)。

ですから、「毎日み言葉を祈りつつ読むこと」は非常に有効なのです。

あなたは「主の語り掛け」を聞きたいですか。
その人は聖書を「本気で読むように」なるのです。





20170517


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by Happiness-eachday | 2017-05-17 04:43 | 2017年 | Trackback

5月16日1列王18-19章 ルカ2:1-20

懸賞 2017年 05月 16日 懸賞

『回復の主』

【Ⅰ列王19:12 地震のあとに火があったが、火の中にも【主】はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。19:13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」19:14 エリヤは答えた。「私は万軍の神、【主】に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」】

①エリヤは、バアルの預言者たちとの対決と勝利の後、
燃え尽きたように、荒野に退きました。
主はそのエリヤを回復させられたのです。

②主は御使いを遣わし、「食べて休息をさせ(9:6)」ました。
そして少し力を得ると、神の山ホレブに向かわせたのです。

③疲れすぎている時、主は私たちをまず、休ませてくださいます。
そして力を得た後に、主の元に近づけさせるのです。
肉体的な回復の後に、精神的(霊的)な回復を主は導かれるのです。

④その時に私たちは、エリヤのように「本音で主と交わる」時間が必要です。
主と深い部分で交わらなければ、本当の意味での解決(回復)はあり得ないからです。




『へりくだった者に、救いを伝える主』

【ルカ 2:8 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。
2:9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
2:10御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」】

①主はイエス様の誕生を、最初に貧しい羊飼いたちに伝えました。
忘れ去られたような人たちに、主は救い主の誕生を伝えたのです。

②聖書は「この世の取るに足りない者、見下されている者」が
クリスチャンとして選ばれた(1コリント1:28)とはっきりと書いています。

私たちは、「良い人だから」クリスチャンになったのではないのです。
「頑張ったから」でもありません。
「神のひとり子」が私たちのために生まれ、命を犠牲にして下さったから、私たちはクリスチャンとなったのです。
むしろ「愚かだったから」こそ、その「愚かさ」に気がつき、私たちは救いを求めたのです。

ですから高ぶることはできません。

・・・主は貧しくもへりくだった「羊飼いたち」に最初に救いを伝えられたことを、
もう一度覚えたいのです。





20170516


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by Happiness-eachday | 2017-05-16 05:09 | 2017年 | Trackback