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カテゴリ:2016年10-12月( 92 )

懸賞 懸賞

12月1日2コリント10-13章『キリストの私たちへの期待』

懸賞 2016年 12月 01日 懸賞

『キリストの私たちへの期待』

【13:6 しかし、私たちは不適格でないことを、あなたがたが悟るように私は望んでいます。13:7 私たちは、あなたがたがどんな悪をも行わないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行いをしてもらいたいためです。13:8 私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。13:9 私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。】

①パウロは、コリントの人々を愛し、
「キリストの花嫁」(11:2)として養いたいと願っていました。
そのことを、キリストが喜ばれるからです。

②そして、人々が自分の意思で「真理に従い」、
悪を行わない「適格なもの」となることを願っていました。

③私たちもキリストの花嫁なのです。
コリントの人たちと同じ立場なのです。

パウロが情熱をもって人を育て
「完全なものとなる」(13:9)ことを願ったように、
私たちもそのように願われているのです。

願っている方は、「私たちの霊的指導者」であり、
その指導者を背後で導く「イエスキリスト」ご自身なのです。

イエス様は「あなたの成長」を願い、
期待しておられるのです。YccFuji









20161201

by Happiness-eachday | 2016-12-01 04:55 | 2016年10-12月 | Trackback

11月30日2コリント7-9章『二種類の悲しみ』

懸賞 2016年 11月 30日 懸賞

『二種類の悲しみ』

【7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。7:11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。】

①パウロは、二種類の悲しみがあると言いました(FB:2175)。

a「神に逆らったことについて、真実な悲しみ」があり、
悔い改めをして主の元に立ち帰ろうとする姿勢。

もう一つは
b「罪や自分勝手な道から離れることを求めず」
「罪の結果だけ悲しむ」態度です。

「神様の願いが出来ないことを悲しんでいる」か、
「自分の願いができないことだけを悲しむ」かの違いとも言えます。

②前者aは「悔い改め」によって、
聖められ「神様との新しい関係」へと発展しますが、

後者bは、悲しみよって「心が益々頑なになり、
聖霊を拒んでいく」のです。

どちらが「御心の悲しみ」かは、明白です。

③私たちの心は、様々なもので混ざっています。
ですから「イエス様の願い」を意識して、
そこからズレていることを「どれだけ悲しんでいるか(気が付くか)」によって、
(気が付いたところを)
私たちは、少しずつ聖められていくのです。

イエス様を意識しなければ
「御心の悲しみ(聖め)」とはならないのです。

・・・毎日イエス様を意識した生活は、
具体的な「あなたの聖め」と「成長」へとつながる最短の近道なのです。YccFuji








20161130

by Happiness-eachday | 2016-11-30 04:51 | 2016年10-12月 | Trackback

11月29日2コリント4-6章『主に喜ばれる生活を、選ぶ』

懸賞 2016年 11月 29日 懸賞

『主に喜ばれる生活を、選ぶ』

【6:1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。・・・
6:3 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、6:4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、6:7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。・・・】

①パウロは、自分が生きている理由を
「主に喜ばれる為(5:9)」と考えていました。

それは「キリストの裁きの座(5:10)」についた時に、
後悔しないためでした。
そして信者たちに「主に喜ばれるように生きること」を勧めたのです。

②パウロは様々な苦しみを経験しました。
しかし肉の反応で「仕返し」をするのではなく、
「神のしもべ」として相応しいことをしようと願ったのです。

③パウロは「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる(5:14)」と感じていました。
ですから「自分の為に生きるのではなく」
「キリストの愛に応えて生きるようになる(5:15)」と語ったのです。

パウロほどの信仰を持つことは特別かもしれません。
しかしパウロと似た信仰を持つことは
「すべてのクリスチャンの目標」なのです。YccFuji







20161129

by Happiness-eachday | 2016-11-29 05:20 | 2016年10-12月 | Trackback

11月28日2コリント1-3章『主からの慰めの力』

懸賞 2016年 11月 28日 懸賞

『主からの慰めの力』

【1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。・・・】

①使徒パウロは、
私たちが、「キリストから慰められること」と通じて、
苦しんでいる人々を「慰めることが出来る」と語りました。

②聖書の言葉は、「人間的な知性」の言葉ではありません。
「聖霊によって教えられる」言葉なのです。
つまり、主によって「体験」しなければ
(聖霊に教えられなければ)、
「私たちの力」には、ならないのです。

③「苦しみにあうこと」は感謝なのです。
(クリスチャンでも意図せず苦しみに遭うことはあります)

その時に「慰めの主」に叫び祈る時、
「人知を超えた主の慰め」を体験できるのです。
これは「人に慰められること」をはるかに超えた慰めなのです。

④主に慰められると「苦難に耐え抜く力(1:6)」が与えられます。

あなたはこの力を頂いていますか。

・・・主に求めましょう。
与えられるまで切に求めましょう。
はみ言葉通り「必ず与えて下さる」お方ですから。

・・・「人に頼り過ぎること」がないようにしましょう。
主に求めることを「途中であきらめて」はいけないのです。YccFuji








20161128

by Happiness-eachday | 2016-11-28 05:31 | 2016年10-12月 | Trackback

11月27日1コリント13-16章『再臨時の(私たちがキリストの似姿になる)希望』

懸賞 2016年 11月 27日 懸賞

『再臨時の(私たちがキリストの似姿になる)希望』

【15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。・・・
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。・・・】

①イエスキリストを信じる者は、
パウロが言うように、「イエス様の再臨」と
「私たちの身体の完成」を信じるのです。

②あなたは「イエス様の再臨」を信じていますか?
また再臨時に「私たちが変えられる」ことを知っていますか?
これは私たちにとって「希望」です。
この時に私たちは「栄化」されて
「キリストのような姿(性質)」になるのです。
そして「涙も悲しみもない」天国での生活が始まるのです。

それは、私たちが最も「待ち望むもの」なのです。

③私たちは「創造主の元からこの地上に」送り出され、やってきました。
そしてイエス様を信じて「永遠の御国(天国)」に帰ってくのです。

地上での生活は、一瞬です。
そして罪の満ちている世界の中で、
「格闘しながら」主の願いを選び続けるのです。

ここに書かれている「希望」をしっかりと受け止め、毎日の生活を励みましょう。
地上で「主の願いを選び続けること」が
『天国での大きなご褒美』につながるからです。

私たちが、今している「主のための努力」は無駄ではないのです。YccFuji










20161127

by Happiness-eachday | 2016-11-27 05:41 | 2016年10-12月 | Trackback

11月26日1コリント10-12章『不信仰の反面教師』

懸賞 2016年 11月 26日 懸賞

『不信仰の反面教師』

【10:10 また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。10:13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。10:14 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。・・・】

①パウロは、選民イスラエルがイエス様に対し、
不信仰と無理解によって「つまずいた」ことは、
クリスチャンに対する教訓だと語りました。

②つまりユダヤ人であれクリスチャンであれ、
偶像礼拝(自我の欲や、創造主以外の権威)にすがり、
「主の願い」に反することをやり続けた場合、
「切られてしまうことがある」 と警告を発したのです。

そして「自分は立っている」と思っている者は、
「倒れないように」気をつけるようにとも語ったのです。

③主につながり、主に助けを求めているならば
「試練」と同時も「脱出の道」が備えられます。

・・・要はあなたが「主につながりたい」と願うかどうかです。
「主に留まって」いてはじめて、
私たちは「実を結び」「助けられる」からです。

これは「イエス様の言葉」(ヨハネ15章)でもあるのです。YccFuji








20161126

by Happiness-eachday | 2016-11-26 05:29 | 2016年10-12月 | Trackback

11月25日1コリント7-9章『天国での評価』

懸賞 2016年 11月 25日 懸賞

『天国での評価』

【9:24 競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。9:25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。9:27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。】

①パウロは当時のコリント人が良く知っていた例えを用いて
「キリストに従い続ける」大切さを語りました。

競技に勝利しようとする人は
「自制」と「自己鍛錬」、
そしてそのためには「自己否定」に努めたのです(FB:P2127)。

それは「朽ちる冠」のためにしたのであって、
私たち信仰者は「朽ちない冠」を得るために、
それ以上の努力をすべきであると語ったのです。

②イエス様を信じれば「どんなにいい加減でも良い」とは、
パウロは言って「いないNo’t」のです。

むしろ「失格者にならないようにしなさい」と語っているのです。

この言葉(失格者になる)は
「試験に失敗する」「拒まれる」という言葉です。

「鍛錬された聖い生活」をやめるならば、
その人は「賞(永遠の救いの資産)」を失うこともあり得ると
パウロは「警告」しているのです。

・・・「聖い生活」を続けましょう。
信仰のレースを最後まで走り続けるために、
イエス様に喜ばれるように「自制」をし続けましょう。

それをやり通した人が、
天国で「大きな評価」を得ることが出来るからです。YccFuji







20161125

by Happiness-eachday | 2016-11-25 05:44 | 2016年10-12月 | Trackback

11月24日1コリント4-6章『イエス様を信じたら、何をしても良いのか?』

懸賞 2016年 11月 24日 懸賞

『イエス様を信じたら、何をしても良いのか?』

【6:12 すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。】

①当時コリントでは、
イエス様を信じるならば「どんなことをしても良い」と主張する人がいました。

罪を犯しても許されるので、
どんな悪も問題ないと考え、
それを人々にも伝えたのです。

②しかしパウロは
「正しくないものは神の国を相続できない(6:9)」
とはっきり語ったのです(ガラテヤ5:21、エペソ5:5)。

ロマ8:13には「肉に従うなら、死ぬ」という表現をしています。

③「自由意思」によるすべてのことは、「許容されて」はいます。
しかしその結果の「刈り取り」は「覚悟しなければならない」のです。

④本来私たちは「自由意思」によって
「神の栄光」を現すことを
「選択する」ように造られて(願われて)いるのです。

・・・私たちの内側に住む「聖霊様」が「喜ばれる考え」を選びましょう。
私たちが「イエス様を信じる」ために
「大きな犠牲(イエス様の十字架)」が払われたことを、
忘れてはいけないのです。

主の犠牲と愛を「軽く考えて」はいけないのです。YccFuji







20161124

by Happiness-eachday | 2016-11-24 05:03 | 2016年10-12月 | Trackback

11月23日1コリント1-3章『霊的な生活(キリストが喜ばれる動機の生活)を求める』

懸賞 2016年 11月 23日 懸賞

『霊的な生活(キリストが喜ばれる動機の生活)を求める』

【3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。・・・】

①使徒パウロは、肉的なクリスチャンの危険性について語りました。

人間には3種類の人々がいます。(ファイヤーバイブルFB:P2108-) 

a神との個人的な関係を持たず自分勝手な罪深い道を歩む人々
(イエスキリストを信じる前の人々) 

bイエスキリストを信じてはいても、都合の良い時だけ信じるだけで、
肉(欲)の生き方を引き続き追い求める人々(2:14) 

cイエスキリストを信じ、個人的な関係を持つことを通じて、
自分を捨て、霊的に変えられ続けている人々(2:15) 

②私たちが天国に入る時、「各人の働き」が明瞭になるのです。
それは神様のことを考えて行ったか、
自分の欲のために行ったかで
「結果が明らかになる」のです。

③自分の欲のために行った人は
「損害(FB:P2112)」を受けますが、
天国には入ることが出来ます。

しかし損害はできるだけ避けた方が良いことは、明らかです。

・・・今していることは、
すべて神様に覚えて頂いていることを自覚しましょう。

そして罪は主に告白し、
聖めて頂き、
「霊的な生活」を求めましょう。

主はそのような生活を
「あなた」に求めておられるからです。YccFuji








20161123

by Happiness-eachday | 2016-11-23 05:31 | 2016年10-12月 | Trackback

11月22日ローマ13-16章『イエス様の愛と、正しさを選ぶこと』

懸賞 2016年 11月 22日 懸賞

『イエス様の愛と、正しさを選ぶこと』

【13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。13:10 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
・・・13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。13:14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。】

①イエス様の教えは「互いに愛し合うこと」です(ヨハネ15章)。
これが唯一の戒めであるとイエス様は語られました。

②愛がなければ「平気でルールを破り」「平気で人を傷つけます」
これは自分のことで精一杯な人が陥る誘惑です。

「イエス様ならどうするか」
この問いかけが、私たちを「誘惑から守る」のです。

「主イエスキリストを着なさい」とパウロは語りました。
イエス様の生き方を模範として受け入れ、実行するのです。

③「イエス様に愛され」「期待されている」
・・・このことが私たちの「善を選び」「悪を退ける」原動力です。
(そうでなければ「不道徳や人を傷つけるズレ」を退ける覚悟が持てません)

④「イエス様の愛」を正しく受け止めましょう。
「自分をすべて肯定してくれるイエス様像」は危険です。
私たちが「イエス様に仕える」ことが信仰生活なのです。

そのためには、
聖書からイエス様の「愛」と「正義」を正しく学ぶ必要があるのです。YccFuji







20161122

by Happiness-eachday | 2016-11-22 04:59 | 2016年10-12月 | Trackback