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カテゴリ:2016年10-12月( 92 )

懸賞 懸賞

12月21日2ペテロ1-3章『信仰生活の極意』

懸賞 2016年 12月 21日 懸賞

『信仰生活の極意』

【1:5 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、1:6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、1:7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。1:8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。1:9 これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。1:10 ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。】

①ペテロは、この第二の手紙を書くに当たり、
霊的成長の重要性について記しています。

「本当の知識」はイエスキリストとの個人的な交わりによって身に着くのです(FB:P2421)。
それは「一瞬」で得られるものではなく、
「努力と継続」の中で身に着くものなのです。

②「召されたこと、選ばれたこと」を「確かものにしなさい」とはどういうことでしょうか。
「信仰と救い」はあって当たり前ものではないのです。
根気よく一生懸「敬虔な品性」を育てることによって、
はじめて「自分は本当に神の民」であることを示すことが出来るのです。

「救い」は信じるだけで「努力はいりません」が、
信仰生活には「努力が必要」です。

そのような姿勢で「イエス様とつながっている」ならば、
あなたは役に立つ者となり、
つまずくことは決してないのです。YccFuji







20161221

by Happiness-eachday | 2016-12-21 05:17 | 2016年10-12月 | Trackback

12月20日1ペテロ1-5章『聖めを求める』

懸賞 2016年 12月 20日 懸賞

『聖めを求める』

【1:15 あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。1:16 それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。1:17 また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。
2:1 ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。】

①この手紙は、イエス様の身近で生活した弟子のペテロによって書かれました。
彼は「聖化(聖められること)」をここで書き記しています。

イエス様を信じた後、クリスチャンは「聖めの道」を歩むことになります。

②しかし、聖書に書かれている「聖化」は、
「少しずつ罪を捨て去る」「のではない」のです。(FB:P2406)

聖書は今すぐ「罪とはっきりと手を切ること」を命じているのです(2:1)。

・・・罪をあいまいにしないようにしましょう。
(先送りも同じです)
聖書が言う基準で「良いこと」「悪いこと」を自分のこころと人生の中で明確にしましょう。

「聖化」とは「罪の告白」によって、
聖霊の力を通じて「与えられるもの」です。

しかし「私たちが」
聖めを「求めない」と与えられない類のものなのです。YccFuji








20161220

by Happiness-eachday | 2016-12-20 05:36 | 2016年10-12月 | Trackback

12月19日ヤコブ1-5章『肉の知恵と上からの知恵』

懸賞 2016年 12月 19日 懸賞

『肉の知恵と上からの知恵』

【3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。3:14 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。3:15 そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。3:16 ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。3:17 しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。3:18 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。】

①ヤコブの手紙は、「本当の信仰」と、
「クリスチャンの生き方」について具体的に書かれた書簡です。
そして、この個所では「二種類の知恵」が記されています。

②「肉の知恵」は、「秩序の乱れ」や「邪悪な行い」を生み出す「知恵」です。
「苦い妬み」や「敵対心」から抜け出すことが出来ないのです。

③一方「上からの知恵」は、純真で平和を生み出します。
そして見せかけではなく「有言実行」なのです。

・・・「実」によって、どのような「知恵」で行動しているかが分かってしまうのです。
(言い訳ができません)

クリスチャンは、行いではなく「信仰によって」救われます。
しかし信じた人は「イエス様との関係」が深まり、
「行い」が成長していく筈なのです。

ヤコブは「行いの伴わない信仰」は、
「死んだ信仰」だと言っています(2:26)。

・・・祈りましょう。
上からの知恵で生活できるように、
イエス様の助けを頂き続けましょう。YccFuji








20161219

by Happiness-eachday | 2016-12-19 05:46 | 2016年10-12月 | Trackback

12月18日へブル10-13章『勧めあって、愛と善行に励む』

懸賞 2016年 12月 18日 懸賞

『勧めあって、愛と善行に励む』

【10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。10:26 もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。・・・
10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。】

①へブルの記者は、
キリストを救い主と信じた者は、
「主の近づき続ける」ことが大切であると何度も語りました。

そのことによって「憐れみ・恵み・助け・成長、聖め」
(10:1・4:16・7:19・10:14・10:22)
を体験できるからです。

キリスト信仰を持つ者は
「神との交わりに近づく」のが自然なのです。(FB:P2369)

②しかし終わりの時代が近づくと、
聖書を曲解し「何をしても良い」ように考えるクリスチャンが増えることも事実なのです。
聖書知識が、
信仰によって生活に結びついていない(4:2)クリスチャンは、危険です。

「罪を犯し続ける」ならば、最後の保証はないというのが「聖書の主張」なのです(10:26)。

・・・忍耐しつつ祈りましょう。
反逆する者が近くにいても、
あなた自身は「主を愛し」「主の願いをし続け」ましょう。
そしていつも主の教会に集まり続けましょう。

試練の時に「私たちが何を選び、行動する」のかを、
主は、願いと期待をもって見ておられるのです。YccFuji







20161218

by Happiness-eachday | 2016-12-18 05:46 | 2016年10-12月 | Trackback

12月17日へブル7-9章『イエス様の十字架の恵みと、責任』

懸賞 2016年 12月 17日 懸賞

『イエス様の十字架の恵みと、責任』

【9:22 それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。
9:26 しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。】

①キリストの十字架の贖い(罪の赦しのための代価の支払い)は、
ただ一度限りのものです。
そしてキリストの「血の代価」の大きさによって、
私たちは「罪赦され」「心も聖められる(9:14)」のです。

②私たちは、地上の人生の後、
必ず「裁きの時」を経験します。
その時には「自分のしたすべてのこと」を
主に「弁明」しなければならないのです。

③世の終わりに近づくほどに、
「人々の愛が冷えて」「自己中心の人々」が増えてきます。
祈っていないクリスチャンは
「この世の価値観」に巻き込まれて「非聖書的な影響」を受けてしまい、
してはならないことをするようになるのです。

しかし最後まで「主に忠実である人」は
「イエス様の再臨の時」に「大きな報い」を受けることができます。

・・・イエス様の血の赦しと聖めの力を体験しましょう。
そして二度目にイエス様が来られる時(再臨の時)のために準備をしましょう。

「一度限り捧げられた」イエス様の犠牲を
「自分の人生にどのように活用するか」は「一人一人の責任」なのです。YccFuji








20161217

by Happiness-eachday | 2016-12-17 22:28 | 2016年10-12月 | Trackback

12月16日へブル4-6章『み言葉によって、心の思いをはっきりと知る』

懸賞 2016年 12月 16日 懸賞

『み言葉によって、心の思いをはっきりと知る』

【4:2 福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。4:3 信じた私たちは安息に入るのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」と神が言われたとおりです。・・・
4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。4:13 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。】

①福音(聖書の純粋な言葉)を聞くことは、非常に大切です。
私たちは「キリストの言葉を聞くこと」によって
「信仰を成長」することが出来るのです。

②しかし聞いた言葉が、
「信仰によって結び付けられていなければ」、
平安が与えられません。

知っていても「平安が与えられない」のは、
「信仰による結びつき」が足りないからなのです。

③神様は生きておられ、神の言葉も生きています。
ですから「聖霊によって」語られた御言葉は、
「すべてを見極める道具」になるのです。

「私たちの思い」が「み言葉的」か「そうでないか」を見極めましょう。
主はすべて見ておられます。
ですから「み言葉的でないもの」は、告白し、
十字架につけ、悔い改めていきましょう。

「一つずつ」の心と動機の「吟味」が、
主の御心に進むための貴重なステップとなるのです。

不用なものをそのままにして、
最後に焼かれてしまうことがないようにしましょう(6:8)。YccFuji








20161216

by Happiness-eachday | 2016-12-16 05:32 | 2016年10-12月 | Trackback

12月15日へブル1-3章『助けて下さるイエス様に、どのように応えるのか』

懸賞 2016年 12月 15日 懸賞

『助けて下さるイエス様に、どのように応えるのか』

【2:16 主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。・・・
3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、3:8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。
3:9 あなたがたの父祖たちは、・・・ 3:10 彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。 3:11 わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」】

①イエス様は、人間として地上で産まれて下さり、
すべての点で私たちと同じになり、誘惑を受けつつ勝利されました。

ですから、イエス様は「不信仰や誘惑」から、
私たちを救い出して下さるお方なのです(2:18)。

誘惑を受けた時に、「イエス様に叫び」「助けを求めること」は大切です。

②誘惑を受けた時、どうするかで「私たちの運命」決まってしまうこともあるのです。
「イエス様に助け」を求めれば、救われますが、
「聖霊の導き」に意図的に反して「自我の欲望」を選び続ける(イエス様に反発し続ける)ならば、
(助けに鈍感になり)、
最終的に「背教(キリスト信仰を捨てること)」となる(FB:P2350)ことが実際にあるのです。

③私たちは「選ばれて」イエス様を信じるように聖霊に助けられていますが、
自由意思で「反逆すること」も可能なのです 。

・・・試練の時に「キリストにすがり」「助けを求め」ましょう。
イエス様が「私たちを助けるため」に地上に来てくださったことを、受け止めるのです。YccFuji








20161215

by Happiness-eachday | 2016-12-15 05:15 | 2016年10-12月 | Trackback

12月14日ピレモンの手紙『主は、私たちが主の願いをすることを待っておられる』

懸賞 2016年 12月 14日 懸賞

『主は、私たちが主の願いをすることを待っておられる』

【1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。1:11 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。1:12 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
1:14 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。1:15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。・・・】

①パウロは、逃亡奴隷としてピレモンの元から逃げたオネシモについて、
元主人であるピレモンに手紙を書きました。

パウロは自分の立場からは「命令する」こともできたのですが、
「お願い」という表現で、
ピレモンに「自分の気持ち」を伝えたのです。

②人がイエス様を信じるとは「素晴らしい」ことです。
クリスチャン生活で一番うれしいことは「人がイエス様を信じた」ことです。(FB:P2338)

このことが、逃亡奴隷オネシモの身に起きたということは、
「オネシモが逃げた」ことも、「主のみ手の中」にあったことを、
ピレモンに「受け入れてほしい」と願ったのです。
そしてオネシモの罪を「赦して欲しい」と願ったのです。

③私たちの考えは「人から命令されて」変わるものではありません。
自分で神に祈り「悟らなくては」変わらないのです。

それを知っていたパウロは
「命令」ではなく「お願い」という表現をしたのです。

神様も「私たちの積極的な自主性」を願っておられます。
自分の意思で
「主の願うことをする」ことを待っておられるのです。YccFuji








20161214

by Happiness-eachday | 2016-12-14 05:37 | 2016年10-12月 | Trackback

12月14日テトス1-3章『健全な教えと、敬虔な生活を求める』

懸賞 2016年 12月 13日 懸賞

『健全な教えと、敬虔な生活を求める』

【1:14 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。1:16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行いでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。・・・
2:1 しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。2:2 老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。2:3 同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。2:4 そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、2:5 慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。・・・】

①パウロは、偽教師の口を封じ、
正しい信仰によって、知識だけでなく、道徳的にも正しい生き方を、人々に導くように、
テトスを励まし、アドバイスをしました。

②偽教師の特徴は、
言っていることと、行動の不一致です。
「信仰を持っている」と言いながら、
「主が嫌われること(間違ったこと)」をし続けている人は、
「注意しなければならない人物」なのです。
そのような人たちを避けなければなりません。

②しかし私たちは、健全な教えを信じ、
敬虔に生きるよう努めるのです。
それは主の栄光を現し、キリストに汚点をつけないためです。

・・・私たちの信仰生活を人々が見ています。
その人々が「キリストを信じたい」と求めるような行動を私たちは取れることを「願い」ましょう。
そして努力しましょう。

しかしそれは自分の力ではなく、
自分の弱さを知り、へりくだって、聖霊に助けを求める中で、
できる行動なのです。YccFuji









20161213

by Happiness-eachday | 2016-12-13 05:10 | 2016年10-12月 | Trackback

12月12日2テモテ1-4章『地上での評価、天国での評価』

懸賞 2016年 12月 12日 懸賞

『地上での評価、天国での評価』

【4:6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。4:7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。4:8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。・・・】

①使徒パウロは、殉教直前にこの手紙を書きました。
最初のローマでの投獄は「軟禁状態」であり、自由がかなり許されていました。

その後、釈放されましたが、
2度の投獄は状況が異なりました。

クリスチャンが増加することに危機感を持った皇帝によって捕らえられ、
寒い牢で、鎖に縛られた状態で監禁されていたのです。

②友人たちの多くはパウロを見捨ててしまいました(1:15)。
パウロは死を覚悟しており、
最後の手紙として、
愛弟子のテモテに、励ましと、最後まで使命に生きる大切さを訴えたのです。

③クリスチャンであるあなたは、天国を意識して生活していると思います。
地上の生活を終えた後に、私たちは幸いな天国に帰ってくのです。
パウロは「地上の現状」はつらい状況でも、
天国では「義の栄冠」が準備されていることを知っていたのです。

・・・地上の生活で「終わりではないこと」をもう一度確認しましょう。
「地上」では、苦労するようなことでも、
「天国で価値のあること」(喜ばれること)を選びましょう。

人生の勝利(評価)は「地上」では決まりません。
すべての審判者である「主」が正しく判断し、授けて下さるのです。YccFuji







20161212

by Happiness-eachday | 2016-12-12 05:04 | 2016年10-12月 | Trackback