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カテゴリ:2016年7-9月( 91 )

懸賞 懸賞

9月20日ダニエル7-9章『主は「悔い改めの祈り」を聞いて下さる』

懸賞 2016年 09月 20日 懸賞

『主は「悔い改めの祈り」を聞いて下さる』

【9:1 メディヤ族のアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤ人の国の王となったその元年、9:2 すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった【主】のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。9:3 そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願い求めた。
9:5 私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行い、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。
・・・9:19 主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。】

①ダニエルは、エレミヤ書を通じて、悔い改めに導かれました。
そして「民の罪を告白し」、「赦しを求めた」のです。

②エレミヤは、自分が犯した罪ではないことを祈りました。
それは、「主を悲しませたから」なのです。
自分自身が罪を犯していなくても、民が罪を犯したことを通じて、
「主が悲しまれた」ならば、
私たちは「民の罪を告白し」「赦しを求める」ようになるのです。

・・・あなたは「主が悲しまれること」をどう思いますか?
あなたを愛しあなたを助けて下さっている「恩人ともいえる」主が、
悲しみ痛まれていることに気が付いたならば、
人として「することがある」と信じます。

ダニエルの祈りを、主は「聞いて」下さいました。
私たちの「悔い改めの祈り」も「とりなしの祈り」も
主は聞いて下さるのです。YccFuji









20160920

by Happiness-eachday | 2016-09-20 05:47 | 2016年7-9月 | Trackback

9月19日ダニエル4-6章『信仰の持ち続ける中での、試練と奇跡』

懸賞 2016年 09月 19日 懸賞

『信仰の持ち続ける中での、試練と奇跡』

【6:9 そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。6:10 ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。─彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。─彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。6:11 すると、この者たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが神に祈願し、哀願しているのを見た。・・・】

①ダニエルの反対者は、
策略によって、「30日間、王以外に祈るものは獅子の穴に投げ込まれる」という法律を王に認めさせました。
それはダニエルを落とし入れ、殺すためでした。

②しかしダニエルは、変わらずに「創造主に礼拝を捧げ」ました。
そのため、彼は「獅子の穴に投げ込まれた」のです。

③信仰を持つ者が、策略によって、攻撃されることがあります。
しかし冷静な対応が大切なのです。
いつものように「主を礼拝」し、いつものように「主と共に歩む」のです。

そうするならば、いかなる困難も、乗り越えていくことができるのです。

④実際ダニエルは、「獅子の穴から助け出され」ました。
そして反対する勢力が、逆に獅子の穴に投げ込まれ殺されたのです。

・・・信仰者には、試練があったとしても、
「信仰故に」守られるのです。
そして、「最悪」から「最善」のことが起きるのです。

そのことを受け止めましょう。
そして恐れることなく、大胆に信仰を持ち続けましょう。

祈りと信仰によって勝利の人生が与えられるのです。YccFuji








20160919

by Happiness-eachday | 2016-09-19 05:01 | 2016年7-9月 | Trackback

9月18日ダニエル1-3章『信仰によって、救われる』

懸賞 2016年 09月 18日 懸賞

『信仰によって、救われる』

【3:16 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。3:17 もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。3:18 しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」】

①ダニエルの3人の友人たちは、
バビロンのネブカデネザル王が出した「王の像を拝め」という命令を退けました。

それは「天の父を拝む」者にとって、「偶像礼拝」となったからです。

②そのため、彼らは王の怒りを買い、
火の燃える炉に投げ込まれました。
しかし【主】の特別な守りによって、助け出されたのです。

彼らの信仰の通りに、守られたのです。

③信仰は、何を一番とするかが、はっきりとしています。
あいまいではないのです。
そしてその「信仰」によって、「救われるのかどうか」が決まるのです。
(逆ではないのです)
救われるために、信じるのではなく、信じるから救われるのです。

・・・何を一番とするかを明確にしておきましょう。
あなたのその「明確な信仰」によって、あなたも「救われる」のです。

・・・そしてこの事件を通じて教えられる「事実」は、
「試練を信仰で乗り越える時」、「信じられない奇跡」が起こることなのです。

「逆境」が「すべてプラス」となるのです。YccFuji






20160918

by Happiness-eachday | 2016-09-18 05:48 | 2016年7-9月 | Trackback

9月17日エゼキエル46-48章『主から与えられる、命の力』

懸賞 2016年 09月 17日 懸賞

『主から与えられる、命の力』

【47:1 彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。47:2 ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。・・・
47:5 彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。
47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。】

①47章では、新しい神殿から、水が周りに流れ出し、
主の祝福があふれる様子が描かれています。

②聖霊が私たちに働かれる時、
そのような「主からの祝福」を体験できるのです。
どれほどひどい状況にあったとしても、
私たちは、聖霊に触れられると、
その力によって「生きる」のです。

・・・あなたは「聖霊の満たし」を体験していますか?
「主から流れ出る力」のみが、私たちをつくりかえ、生かすのです。
これは【主】しか与えることができない、
「究極の恵み」なのです。YccFuji








20160917

by Happiness-eachday | 2016-09-17 05:50 | 2016年7-9月 | Trackback

9月16日エゼキエル43-45章『主の働きと私たちの応答』

懸賞 2016年 09月 16日 懸賞

『主の働きと私たちの応答』

【43:4 【主】の栄光が東向きの門を通って宮に入って来た。43:5 霊は私を引き上げ、私を内庭に連れて行った。なんと、【主】の栄光は神殿に満ちていた。43:6 ある人が私のそばに立っているとき、私は、神殿からだれかが私に語りかけておられるのを聞いた。・・・
43:7 その方は私に言われた。「人の子よ。ここはわたしの玉座のある所、わたしの足の踏む所、わたしが永遠にイスラエルの子らの中で住む所である。イスラエルの家は、その民もその王たちも、もう二度と、淫行や高き所の王たちの死体で、わたしの聖なる名を汚さない。
43:8・・・彼らの忌みきらうべきわざによってわたしの聖なる名を汚した。そこでわたしは怒って、彼らを絶ち滅ぼした。43:9 今、彼らにその淫行や王たちの死体をわたしから遠く取り除かせなければならない。わたしは永遠に彼らの中に住もう。】

①主は、新しい神殿の幻を見せ、その中に入られました。
そして7節では、「もう2度と聖なる名を汚さない」と語られたのです。

②神殿が壊された原因は、人々の「罪」でした。
主は「罪」に対しては裁きをされるお方です。

そして同時に「罪を取り除くように(9節)」とも語られたのです。
そうすれば「彼らの中に住もう」と言われたのです。

③「悔い改め」は、「聖霊によって」、
「罪」に気が付かされることから始まりますが、
人間の応答も必要です。

「罪」の事実を受け止め、告白し、「罪」を十字架につける決断は、
私たち自身の応答(責任)なのです。

・・・「聖霊の導き」と、「私たちの決断」のどちらも必要なことを知りましょう。
私たちはしなければならない「応答」は、
どれ程、言い訳を言ったとしても「私たちの責任」なのです。YccFuji








20160916

by Happiness-eachday | 2016-09-16 05:57 | 2016年7-9月 | Trackback

9月15日エゼキエル40-42章『人間の限界以上に素晴らしいことをして下さる、主』

懸賞 2016年 09月 15日 懸賞

『人間の限界以上に素晴らしいことをして下さる、主』

【40:1 私たちが捕囚となって二十五年目の年の初め、その月の十日、町が占領されてから十四年目のちょうどその日、【主】の御手が私の上にあり、私をそこへ連れて行った。40:2 すなわち、神々しい幻のうちに、私はイスラエルの地へ連れて行かれ、非常に高い山の上に降ろされた。その南のほうに町が建てられているようであった。
40:4 その人は私に話しかけた。「人の子よ。あなたの目で見、耳で聞き、わたしがあなたに見せるすべての事を心に留めよ。わたしがあなたを連れて来たのは、あなたにこれを見せるためだ。あなたが見ることをみな、イスラエルの家に告げよ。」40:5 そこに、神殿の外側を巡って取り囲んでいる壁があった。・・・】

①主は、エルサレムの陥落の14年後、
エゼキエルに「回復神殿」の幻を見せました。

新しい神殿は、終末(世の終わり)に
、高い山(シオンの山)の南に、建設されることが暗示されています。

②エゼキエルの時代、
主の神殿は、民の罪のため、裁きによって破壊されました。
しかし回復の時が来ると、
新しい神殿が、建てられるのです。

これは「捕囚後の神殿の回復の預言」と共に
「終末における神の民の回復」を現しているのです。

・・・主が与えて下さる回復の素晴らしさを受けとめましょう。
いくら人間たちが失敗し続けたとしても、
主は「それ以上の力」を持っておられるのです。

私たちには限界があります。
しかし主はその限界を超えた
「素晴らしい回復のわざ」を「実現する力」を持っておられるのです。YccFuji








20160915

by Happiness-eachday | 2016-09-15 05:23 | 2016年7-9月 | Trackback

9月14日エゼキエル37-39章『全能者の力~不可能が可能になる~』

懸賞 2016年 09月 14日 懸賞

『全能者の力~不可能が可能になる~』

【37:3 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」37:4 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。【主】のことばを聞け。37:5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。37:6 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが【主】であることを知ろう。」】

①エゼキエルは「死んで干からびた骨」が「生き返る幻」を見ました。
常識では、当然「不可能」なことです。
干からびた骨は、生き返る可能性は全くありません。

しかし主が「命じる」と
「不可能が可能」になるのです。

②私たちの現実にも、終わってしまったと思えるようなことが起こります。
それは放置され、何年も過ぎているかもしれません。

今までも回復は解決も起こらず、これからも起こらないと感じます。

③しかし「主が語られる」と、
その常識が、「くつがえされる」のです。
「新しいこと」が起こり始め、見る間に「解決が与えられる」のです。

・・・主の奇跡のわざを信じましょう。
そして期待しましょう。

主は私たちが知っている通り「全能者」なのです。YccFuji







20160914

by Happiness-eachday | 2016-09-14 05:05 | 2016年7-9月 | Trackback

9月13日エゼキエル34-36章『主には不可能はない、受け止める信仰』

懸賞 2016年 09月 13日 懸賞

『主には不可能はない、受け止める信仰』

【36:25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、36:26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。36:27 わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。・・・】

①主の回復が起きると、不思議なことが起こります。
罪がきよめられ、新しい心が与えられ、
今までかたくなだった心が、柔らかくなり、
「主が願うように」行動できるようになるのです。

②このことは、肉の力では「不可能」でした。
しかし「主が働かれる」と、すべてが変えられるのです。

・・・人は「主によって」変えられるのです。
人間的な努力や周りのプレッシャーでは変わることはありません。
しかし「主が働き始める」と「変えられる」のです。

そのことを信じ、受けとめましょう。
そして「主に触れて頂き」「信仰を増し加えて頂く」ために祈りましょう。

私たちのできる事は、「自分の頑張り」ではなく、
主の働きを素直に受け止める「信仰を持つこと」なのです。YccFuji








20160913

by Happiness-eachday | 2016-09-13 05:13 | 2016年7-9月 | Trackback

9月12日エゼキエル31-33章『十字架の赦しを与えられた、主の願い』

懸賞 2016年 09月 12日 懸賞

『十字架の赦しを与えられた、主の願い』

【33:11 彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。─神である主の御告げ─わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』33:12 人の子よ。あなたの民の者たちに言え。正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことはできない。悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはできない。・・・】

①創造主は、私たち人間が、正しく歩むことを願っておられます。
そしてもし悪人であっても、
悔い改めて、正しく歩むならば、裁きから救われます。
しかし「正しい人」でも、
その正しさから遠ざかり、「不正」をするならば、
彼はそのために裁かれる(33:18)のです。

それが主のお考えなのです。

②主は極めて公正・平等なお方です。
そして私たちのこころをすべて見ておられ、知っておられるのです。

・・・正しいことが出来たなら、主に感謝を捧げましょう。
また、もし間違えたならば、
悔い改めて、主に祈りましょう。

失敗した時にダビデ王のように正直に祈り、
助けを求めるならば(詩編51)、
主はあなたを赦し、あなたの人生を助けて下さるのです。

「自分の心」をごまかしてはいけません。
主が心を「すべて見ておられること」を、忘れないことが大切なのです。YccFuji







20160912

by Happiness-eachday | 2016-09-12 05:41 | 2016年7-9月 | Trackback

9月11日エゼキエル28-30章『人間は、高慢には本来なれない』

懸賞 2016年 09月 11日 懸賞

『人間は、高慢には本来なれない』

【28:1 次のような【主】のことばが私にあった。28:2 「人の子よ。ツロの君主に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは心高ぶり、『私は神だ。海の真ん中で神の座に着いている』と言った。あなたは自分の心を神のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない。
28:6 それゆえ、神である主はこう仰せられる。あなたは自分の心を神の心のようにみなした。28:7 それゆえ、他国人、最も横暴な異邦の民を連れて来て、あなたを攻めさせる。
28:9 それでもあなたは、自分を殺す者の前で、『私は神だ』と言うのか。あなたは人であって、神ではない。・・・】

①主はツロの王に向かって、裁きを宣言しました。
それは、ツロの王が、
「自分には力があって何でもできる」と
「自分を神のように」考えたからです。

②高慢は、人間の陥りやすい罪です。
能力があり、その人が権威(力)を持つ時、
「自分を神のように(万能感)」考え、堕ちていくのです。

③高慢になった人は、自分の思い通りに人をコントロールしようとします。
そして周りが見えなくなり「崩れていく」のです。

・・・人間は「神ではないこと」を自覚しましょう。
創造主によって「命」も「能力」も「お金や立場さえも」与えられているという「事実」に目を向けましょう。
そして主に仕え、人々に仕えていきましょう。

イエス様のように生きる人は、「高慢」になることはできないのです。
その「事実」を忘れないことが大切なのです。YccFuji







20160911

by Happiness-eachday | 2016-09-11 20:34 | 2016年7-9月 | Trackback