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カテゴリ:2015年4-6月( 90 )

懸賞 懸賞

6月20日詩編71-74篇『次世代に、主の恵みを伝える使命』

懸賞 2015年 06月 20日 懸賞

『次世代に、主の恵みを伝える使命』

【71:17 神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。71:18 年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。71:19 神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。71:20 あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。】

①詩人は神の力を信じ、主の助けを求めて身を避けていました。
それは若い時からでした。
彼は一日中、主を賛美し感謝を捧げていたのです。(8節) 

②彼の訴えは「年をとっても同じように主に導いて頂くこと」でした。
そうすれば「主の素晴らしさ」を、
「次世代」に体験をもって語ることができると考えたからです。

詩人はそのことが「自分の使命」と感じていました。

③信仰生活が長くなると、
いつも良いことだけが起こらないことが分かってきます。

しかし苦しみの中で主に祈ると
「主に助け出される体験」をします。
それを通じて、主を信じることの「本当の素晴らしさ」を知るのです。

真実は、言葉ではなく
「その人の人生を通じて」伝わります。
主の素晴らしさも
「あなたの人生を通じて」伝わるものなのです。

「次世代に主の証」をしましょう。
それは「あなたの使命」でもあるのです。YccFuji

by Happiness-eachday | 2015-06-20 05:24 | 2015年4-6月 | Trackback

6月19日詩編66-70篇『主との関係が深まる方法』

懸賞 2015年 06月 19日 懸賞

『主との関係が深まる方法』

【66:13 私は全焼のいけにえを携えて、あなたの家に行き、私の誓いを果たします。66:14 それは、私の苦しみのときに、私のくちびるが言ったもの、私の口が申し上げた誓いです。66:15 私はあなたに肥えた獣の全焼のいけにえを、雄羊のいけにえの煙とともにささげます。雄牛を雄やぎといっしょに、ささげます。
66:18 もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。】

①多くの人は、
「苦しみの時だけ」主に助けを求め、
苦しみが終わると「主を忘れてしまい」ます。
そして約束したことさえも「忘れてしまう」のです。

しかしこの作者は、
「苦しみの中で主に誓った言葉」を忘れませんでした。
主の前で「誓いを果たします」と再度語ったのです。

②創造主は「御人格」を持っておられます。
喜ばれることがあり、
悲しまれることがあるのです。

ですからその「主」と、「交流」をさせて頂く私たちは、
その方の「喜ばれること」をし続けることが大切なのです。

これは普通の人間関係と同じです。
相手を無視し続けるならば、
良い関係は持つことができないのです。

・・・あなたは「創造主(父なる神・イエス様・聖霊)」を信じていますか?
もし信じているならば、「創造主に喜ばれること」を考えていますか?

あなたがもし「人格を持ったお方」である主を信じているならば、
自然に「主に喜ばれたい」と考えて生きるようになるのです。

なぜなら「命」も「救い」も「愛」も、
私たちは返せないほどの恵みを頂いているのですから・・・、

そのことを単純に認識するならば、
「主に喜ばれること」を考えて生きるようになる筈なのです。YccFuji








20150619

by Happiness-eachday | 2015-06-19 05:17 | 2015年4-6月 | Trackback

6月18日詩編61-65篇『主との交わりの喜び』

懸賞 2015年 06月 18日 懸賞

『主との交わりの喜び』

【< 63 > ダビデの賛歌。彼がユダの荒野にいたときに63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。63:4 それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。63:5 私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。63:6 ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。63:7 あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。】

①ダビデにとって、
主とは「恋人のよう」であり、
「赤子が慕う親のよう」であり、
「自分存在の根本に関わるお方」でした。

ですからこの方を求める時は
「気を失うかのような慕う気持ち(1節)」で求めていたのです。

そして彼は「主との交わりの恵み」を
「いのちにもまさる」と表現し、
「たましいは、あなたにすがる」と言い表したのです。

②このような深い交わりは
「信仰者」が祈りの中で到達するものです。

そしてあなたも「主との交わり」が深まると
「このような麗しい喜び」が湧き上がるようになるのです。

祈りは、一方通行ではありません。
交流が深まる中で、
祈りはダビデの境地にまで到達できるのです。YccFuji







20150618

by Happiness-eachday | 2015-06-18 05:35 | 2015年4-6月 | Trackback

6月17日詩編56-60篇『本音の祈りによって私たちが造り変えられる時』

懸賞 2015年 06月 17日 懸賞

『本音の祈りによって私たちが造り変えられる時』

【< 57 > 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに57:1 神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。
57:7 神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。57:8 私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。57:9 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。・・・】

①57篇は、ダビデがサウル王から逃げていた時の詩です。
ダビデは何も悪いことをしていないのに、
嫉妬によって一方的にサウル王から攻撃を受けました。

②ダビデは人間を「寄り頼めない」状況の中で、
主に信頼し、解決を図ろうとしたのです。

そしてダビデは追い詰められた苦しみの中で、
まず「自分の苦しみ」を
主の前に「心を注ぎ出して」祈ったのです。

③ダビデの素晴らしいところは、
最後に「主をほめたたえて」祈りを終えているところです。

④私たちは主の前に愚痴を言い始めると、
最後まで悲しみを話し続け、それで終えてしまうことがあるのです。

しかしダビデは最後に
「自分の意志」で「信仰の告白」をして祈りを終えています。

「私の心はゆるぎません」
「魂よ目を覚ませ」
「ほめ歌を歌いましょう」
これらは「信仰の決断の言葉」です。
(59章も同じパターンです)

⑤苦しみの中、本音で主に祈ると、
「主からの力」が与えられます。
そして「正しいことが決断できる」力が与えられるのです。
(自己憐憫はダビデの祈りではないことを覚えておきましょう)

・・・「私たちの解決」は主から与えられます。
それは「主に委ねること」であり、
「私たちは悪い種を蒔かない(良い種を蒔き続ける)こと」によって与えられるのです。

その為に「主に支えて頂いて」、
「正しい決断」を告白することが大切です。

苦しみの中で主に祈りましょう。
しかし進むべき方向を「見失わないように」気を付けるのです。YccFuji







20150617

by Happiness-eachday | 2015-06-17 05:41 | 2015年4-6月 | Trackback

6月16日詩編51-55篇『正しいことをするようにと、自分の感情に命じる』

懸賞 2015年 06月 16日 懸賞

『正しいことをするようにと、自分の感情に命じる』

【55:1 神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。55:2 私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。55:3 それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
55:16 私が、神に呼ばわると、【主】は私を救ってくださる。55:17 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。
55:22 あなたの重荷を【主】にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。55:23・・・血を流す者と欺く者どもは、おのれの日数の半ばも生きながらえないでしょう。けれども、私は、あなたに拠り頼みます。】

①ダビデは、かつての親友から裏切られ、
心からの痛みを感じました。
人間は時に「自分の利益」のために、
「人を裏切ること」があります。

それは非常に悲しいことですが、
しかし現実に起こり得るのです。

②ダビデはこの時、
主に叫び、自分の気持ちを「すべて主に吐き出した」後、
信仰によって「主は正しく判断して下さる」と告白したのです。

そして自分自身に「すべてを主に委ねよ」と命じたのです。

③人間は混乱すると、理性では分かっていても、
「感情がついていけない」時があります。
この時「信仰者ダビデ」は、
正しいことをするように「自分に命じた」のです。
(感情を吐き出した後でないと受け止めることはできません)

混乱しても、
私たちは「正しい判断」をしなければならない時があります。

この時ダビデを見習いましょう。

自分の感情通りに行動すると大変なことになることが多いのです。
aまず祈りましょう。
bそして冷静になりましょう。
c祈って感情を主に全て注ぎ出しましょう。
dそして自分のこころに命じるのです。

「主の願い」が「あなたに人生」に現されますように・・・祝福を祈ります。YccFuji









20150616

by Happiness-eachday | 2015-06-16 05:06 | 2015年4-6月 | Trackback

6月15日詩編46-50篇『感謝のいけにえを捧げる』

懸賞 2015年 06月 15日 懸賞

『感謝のいけにえを捧げる』

【50:7 「聞け。わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。わたしは神、あなたの神である。50:8 いけにえのことで、あなたを責めるのではない。あなたの全焼のいけにえは、いつも、わたしの前にある。
50:13 わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。50:14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。50:15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」】

①主は私たちと語り合うことを願っておられます。
信仰を持ち始めた最初は、
主との交わりを、私たちは「理解できません」。
しかしクリスチャン生活が深まり、祈りが充実してくると、
詩編の作者たちのように
「主との深い交わり」が日常になっていくのです。

②50篇で主が語られたことは、
主は「感謝のいけにえ」を喜ばれることです。
主は創造主ですから
「モノが欲しい」のではありません。
私たちの「こころ」が欲しいのです。

③そして私たちが苦しみの中で、
「主に求める」と、
主はいつも「助け出して下さる」ことを、
ここでも教えられるのです。

・・・主に「感謝のいけにえ」を捧げましょう。
主に約束したことは果たしましょう。

④主に助けて頂いた人は、
「こころから主を崇め」ます。

これは、主と出会った人が誰もが体験することなのです。YccFuji









20150614

by Happiness-eachday | 2015-06-15 05:01 | 2015年4-6月 | Trackback

6月14日詩編42-45篇『雲で山が見えなくなるように』

懸賞 2015年 06月 14日 懸賞

『雲で山が見えなくなるように』

【42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。42:2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。42:3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。42:4 私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。】

①詩人は問題に直面し、
絶望しそうになる中で、
「主の助けを求めること」で乗り越えようとしました。

それは「鹿が、谷川の流れを慕う程」でした。

主の前に、昼も夜も「涙を流し」ながら、
「主ご自身」を心から求めたのです。

②かつては主の交わりで素晴らしい恵みを体験した詩人でしたが、
「雲によって山が見えないように」
山があるはずなのに、見えない状況が続いたのです。

③彼は自分自身に語りました
「なぜ絶望しているのか。神を待ち望め。」と。

・・・私たちも苦しい時に、
このように自分自身に語らなければならない時があるかもしれません。

しかし「雲が晴れて山が見えるように」、
再び神と出会う時がやってくるのです。

その時、私たちは主に感謝するのです。
「あきらめなくてよかった」と。YccFuji










20150614

by Happiness-eachday | 2015-06-14 05:38 | 2015年4-6月 | Trackback

6月13日詩編38-41篇『主に近づく道』

懸賞 2015年 06月 13日 懸賞

『主に近づく道』

【39:1 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。39:2 私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。
39:4 【主】よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。
39:6 まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。
39:7 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。39:8 私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください。】

①ダビデは、悪人からの苦しみの中でひたすら沈黙を守ろうとしました。
なぜなら悪い言葉を一切出したくなかったからです。
しかし黙るほどに心は苦しくなっていったのです。

②その中でダビデが求めたものは、
「主との交わり」でした。

主に痛みのすべてを語ること、
心を受けとめて頂くこと、
そして主からの慰めの言葉を語られること・・・
「この具体的な体験」がダビデの心の支えでした。

ですからダビデは
「望みはあなた(主ご自身)です(7節)」と告白したのです。

③またダビデは、主を求める程に
「自分の罪を自覚し、告白」しました。
なぜなら主に近づく時
「罪を持ったままでは近づけない」からです。

④あなたは主を心から求めていますか?
また自分の罪を自覚し、告白していますか?

主に近づくすべて人は、
ダビデが通過したプロセスを通過するのです。

時に苦しい所を通ることもありますが、
これが「主に近づく道」なのです。YccFuji







20150613

by Happiness-eachday | 2015-06-13 05:02 | 2015年4-6月 | Trackback

6月11日詩編34-37篇『一番安全な判断と知恵』

懸賞 2015年 06月 12日 懸賞

『一番安全な判断と知恵』

【37:1 悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。37:3 【主】に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。37:4 【主】をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。37:6 主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。・・・】

①ダビデは、「主への信頼」を堅く握っていました。
ですから悪が栄えるように見えても、
最後には、主は「正しく悪を裁かれること」を知っていたのです。
(そしてダビデ自身は「良い種」を蒔き続けることを、推奨したのです。)

②悪が栄えるように見える時があります。
また悪人が正義を無視しても何も起こらないように見えることを、
私たちは体験するのです。

しかしそれは詩編10:5にあるように
「神の基準は高すぎて、悪人には見えない」だけです。

通常道路を車100キロで走り続ければ、必ず事故になるように、
悪人も悪をし続けるならば、悪が満ちた時に「恐ろしい刈り取り」を体験するのです。

③あなたは創造主の支配を信じていますか。
ロマ12章では「復讐は主に委ねよ」と書かれています。

あなたが復讐するより主がされる方が
「正しい裁き」がなされるのです。
そしてあなたが(憎しみのため)悪い種を蒔かなければ、
あなた自身は裁かれません。

「悪を主に委ね、私たち自身は善を行う」
これが一番安全な判断です。

そしてこれが、
主が「神の子供たち」に持つように願っている
「知恵」なのです。YccFuji








20150612

by Happiness-eachday | 2015-06-12 05:05 | 2015年4-6月 | Trackback

6月11日詩編30-33篇『主に近づく方法』

懸賞 2015年 06月 11日 懸賞

『主に近づく方法』

【32:5 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を【主】に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。32:6 それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。32:7 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。
32:8 わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。32:9 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。】

①この詩もダビデの詩です。
詩編25篇でもそうでしたが、
ダビデは主を求める時に、同時に「悔い改め」をしています。

なぜなら主を求め主に近づこうとする時に、
どうしても「自分の罪を認める」ようになり、
悔い改めによって「聖め」を頂かなければ、主に近づけなくなるからです。

②これは「自分の本音を祈る時」に初めて分かることです。
(建前では「自分に罪がないふり」ができてしまうのです)。

③主に近づこうとする時のもう一つの重要なことは
「主に語って頂く事」です。

主が教えて下されなければ、主の道を歩めません。
(そうでなければ「自分で勝手に主の道を決めて」しまうからです)。

③あなたはダビデのように「深い主との交わり」をしたいですか。

そうであれば、
「主を切実に求め」、
「悔い改めて」、
「主に語って頂くこと」を強く願いましょう。

そうすれば、少しずつでも
「主の山(交わり)の高嶺」に、
あなたも近づくことができるのです。YccFuji








20150611

by Happiness-eachday | 2015-06-11 05:10 | 2015年4-6月 | Trackback