『真心から主を賛美する心』
【Ⅱサムエル6:20 ダビデが自分の家族を祝福するために戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」6:21 ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前なのだ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。」】①ダビデは、神の箱がエルサレムに入った時、力の限り踊りました。身近な人がそれを見て、さげすんだとしても、気にしませんでした。彼は主を愛していたので、人の評価は気にならなかったのです。主を愛する人は、時には恥や体面をも越えるのです。
『イエス様への愛情によって』
【マルコ16:1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。16:2 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。16:3 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。16:4 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。】①マグダナのマリヤと数人の女性たちは、イエス様を心から愛していたので、安息日が終わる明け方に、イエス様のお墓に向かいました。それは、愛情からの行動でした。墓に着いた時、心配していた墓の石は、すでに動かされていたのです。「状況」によっては、道を歩めない時があります。しかし「主への愛情」によって歩む時、道が開かれ歩み続けることができるのです。
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