『悲しみの中の、栄光の道』
【ルツ記1:19 それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。1:20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。1:21 私は満ち足りて出て行きましたが、【主】は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。【主】は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」】①ナオミは、飢饉のため、家族でベツレヘムから異国モアブに避難をしました。しかしそこで、愛する夫が死に、息子二人も死んでしまったのです。ナオミは故郷の人に、ナオミ(快い)ではなく、マラ(苦しみ)と呼んでくださいと答えたのです。しかしナオミには、義理の娘「ルツ」がいました。このルツの子孫から、ダビデ王が誕生したのです。・・・人間的に見る時に、「悲劇」としか思えないことがあります。しかし信仰によって歩み続けると、その道が、「栄光の道」となることがあるのです。
『信仰を引き出されるイエス様』
【マルコ9:21 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」】①この父親は、子供を救い出すために、イエス様のもとにやってきました。しかし対応した弟子たちにはそれができなかったため、父親は失望し、イエス様に対しても「不信仰な言葉」を吐いたのです。しかしイエス様はその言葉を見過ごしませんでした。素早く「不信仰」を指摘しました。すると父親は不信仰を悔い改めたのです。イエス様は奇跡をなされるのに、人間の信仰を用いられます。イエス様は、人の信仰を、「引き出す」お方なのです。
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