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4月15日士師記19-21章 マルコ8:27-9:13

懸賞 2024年 04月 15日 懸賞

『神の基準の必要性』
【士師記21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。】①士師記の最後は、当時の罪の問題の根本を示しています。それは人々が、「神の基準」を無視して、自分たちの勝手な判断で「正しいと思うこと」を行っていたことです。それは「神への反逆」でした。その結果は、ご存じの通り「不幸と混乱」でした。私たちは、どんなに暗い時代にあっても、「神の基準」で考え、実行していく必要があるのです。

『イエス様の弟子の心構え』
【マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。】①イエス様は、自分についてくる「弟子の心構え」を語られました。それは「自分の負うべき十字架」を負い、自分を捨ててついてくるようにというものでした。人間は罪人です。イエス様に従おうとする時、悲しいほど自我がぶつかるのです。その自我という高慢を、十字架につけて(捨てて)初めて、イエス様についていくことができるのです。

by Happiness-eachday | 2024-04-15 05:25 | 2024年 | Trackback

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