12月24日黙示録1-3章『主は全て見ておられる』
2016年 12月 24日
【2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。2:9 「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。──しかしあなたは実際は富んでいる──またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。2:10 あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。・・・
・・・2:23 こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。】
①主は、私たちの「状況」と、
それぞれの「信仰の状態」をすべてご存知のお方です。
スミルナの教会は「ひどい苦しみと貧しさ」を経験しました。
しかし主は試練の中だからこそ
「霊的には豊かな状態である」と言われたのです。
②またスミルナの教会は、「ののしり」を受けていました。
しかし主は「恐れてはいけない」と語られたのです。
「牢に投げ込まれるような」迫害を受けたとしても、
「死に至るまで忠実でありなさい」を言われたのです。
③2-3章に出てくる「7つの教会」は、
現在の私たちの教会であり信仰生活に重なります。
主は、私たちの「すべてを見ておられること」を
はっきりと覚えなければいけません。
そして「主が願わないこと」とし続けるのなら
「いのちの書から名前が消えること」もある得ることが
書かれているのです(3:9)。
(何をしても許される訳ではないのです)
主は、私たちの「良い行い」に対する報いを、必ずして下さるお方なのです。
YccFuji
20161224
by Happiness-eachday | 2016-12-24 05:50 | 2016年10-12月 | Trackback