5月22日ヨブ記1-3章『苦しみの意味』
2016年 05月 22日
【3:11 なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。3:12 なぜ、ひざが私を受けたのか。なぜ、私の吸う乳房があったのか。・・・】
①ヨブ記は、「なぜ義人が苦しみに会うのか」がテーマです。
ヨブは、彼のすべての財産が奪取され、
子供たちも死んでしまう状況の中で、
彼は苦しみましたが、神の前で信仰深く歩もうと努力し続けました。
②しかし自分の身が病気となり、
その苦しみが余りにひどくなると、
「自分が生まれたこと」をのろい始めたのです。
③この「うめき」にも似た言葉を誰も批判することはできません。
どんな人でも、このような状況になるならば、
同じような言葉を出すはずです。
④私たちは、「不信仰」見えるような言葉の背後に、
「信仰の叫び」があることを忘れてはいけません。
表面上の言葉の背後に
「なぜこのことを主は許されたのか」という
「信仰の問いかけ」があることを見過ごしてはいけないのです。
⑤ヨブの3人の友人たちは、
皆、彼を誤解して非難しました。
しかし主は、「ヨブの叫び」の真意を聞き、
最終的にはヨブのすべてを回復させ、
ヨブの神信仰(信頼)を増し加えたのです。
・・・苦しみには意味があることを知りましょう。
そしてヨブ記を通じて分かるもう一つの結論は、
創造主が「許可を与えない限り」苦しみは来ないという点です。
それは、一時期は不幸に見えても、
最終的には「真実な神」であることを現される「主の計画」があるということなのです。YccFuji
20160522
by Happiness-eachday | 2016-05-22 05:16 | 2016年4-6月 | Trackback