1月8日創世記22-24章『創造主の愛の計画、試練』
2016年 01月 08日
【22:11 そのとき、【主】の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「【主】の山の上には備えがある」と言い伝えられている。】
①アブラハムは、一人子イサクを「主に捧げる決意」をしました。
へブル人への手紙を読む時に、
アブラハムの信仰が書かれています(11章)。
彼はぎりぎりの選択の中で
「主を一番にすること」を選び取ったのです。
②主はそのアブラハムの信仰を引き出され、
彼に雄羊を与え、いけにえを捧げさせました。
③主は、愛の方ですから、
アブラハムに「いじわる」をされているのではありません。
そして、愛の方である主は、
時に私たちにも試練を与える時があるのです。
私たちが「ある信仰の到達点」に達成するまで、
「あえて苦しい環境を与え」、
「待っておられる」のです。
なぜなら、そのような環境にならなければ
「決断できない信仰」があるからです。
・・・アブラハムは「主からの試練に」パスしました。
私たちも、「真実な主の姿」を信頼して、
「現実の試練」を乗り越えましょう。
そして、すべてを乗り越えた後に、
「神の愛の計画」を悟ることになるのです。
「主の山に備えあり」と。YccFuji
20160108
by Happiness-eachday | 2016-01-08 05:02 | 2016年1-3月 | Trackback