1月6日創世記16-18章『受け止める信仰の大切さ』
2016年 01月 06日
【17:1 アブラムが九十九歳になったとき【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」17:3 アブラムは、ひれ伏した。神は彼に告げて仰せられた。17:4 「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。・・・」】
①アブラムは、99歳の時、
もう一度、息子が与えられることを主から語られました。
彼は最初、受け止めることができませんでしたが(18節)、
しかし主との会話(祈り)の中で、
はっきりと「信じた」のです。
②信仰は、人間の理屈や論理ではありません。
自分の考え以上に「主の言葉を受け止める」ことなのです。
(理性を否定することではありません)
③主は私たちに、「御心(ご計画)」を語られます。
私たちは、それに対して、「Yes」と言える準備をしておきましょう。
納得できないことがあっても、
祈りの中で主はあなたに語り掛けて下さいます.
(最後には納得できるのです)
もし、最初から主の語り掛けを拒否してしまったならば、
主の計画が何も進まないのです。
「主の計画」が地上で進むためには、
「あなたの信仰(受け止めるこころ)」が必要なのです。YccFuji
20150106
by Happiness-eachday | 2016-01-06 05:26 | 2016年1-3月 | Trackback