6月17日詩編56-60篇『本音の祈りによって私たちが造り変えられる時』
2015年 06月 17日
【< 57 > 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに57:1 神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。
57:7 神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。57:8 私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。57:9 主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。・・・】
①57篇は、ダビデがサウル王から逃げていた時の詩です。
ダビデは何も悪いことをしていないのに、
嫉妬によって一方的にサウル王から攻撃を受けました。
②ダビデは人間を「寄り頼めない」状況の中で、
主に信頼し、解決を図ろうとしたのです。
そしてダビデは追い詰められた苦しみの中で、
まず「自分の苦しみ」を
主の前に「心を注ぎ出して」祈ったのです。
③ダビデの素晴らしいところは、
最後に「主をほめたたえて」祈りを終えているところです。
④私たちは主の前に愚痴を言い始めると、
最後まで悲しみを話し続け、それで終えてしまうことがあるのです。
しかしダビデは最後に
「自分の意志」で「信仰の告白」をして祈りを終えています。
「私の心はゆるぎません」
「魂よ目を覚ませ」
「ほめ歌を歌いましょう」
これらは「信仰の決断の言葉」です。
(59章も同じパターンです)
⑤苦しみの中、本音で主に祈ると、
「主からの力」が与えられます。
そして「正しいことが決断できる」力が与えられるのです。
(自己憐憫はダビデの祈りではないことを覚えておきましょう)
・・・「私たちの解決」は主から与えられます。
それは「主に委ねること」であり、
「私たちは悪い種を蒔かない(良い種を蒔き続ける)こと」によって与えられるのです。
その為に「主に支えて頂いて」、
「正しい決断」を告白することが大切です。
苦しみの中で主に祈りましょう。
しかし進むべき方向を「見失わないように」気を付けるのです。YccFuji
20150617
by Happiness-eachday | 2015-06-17 05:41 | 2015年4-6月 | Trackback