3月27日Ⅰサムエル22‐24章『余裕のない時に、主に従う信仰』
2015年 03月 27日
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【23:1 その後、ダビデに次のような知らせがあった。「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」23:2 そこでダビデは【主】に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」【主】はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」23:3 しかし、ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ、恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」23:4 ダビデはもう一度、【主】に伺った。すると【主】は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」】
①ダビデは、自分がサウル王に命を狙われていることを知っていました。
ダビデの家来たちも同じでした。
そんな時、イスラエルの敵であるペリシテ人が、
同族の町ケイラを襲っている情報がダビデに伝わったのです。
②ダビデは同族に対する愛から
「ケイラを救うべきでしょうか」と主に尋ねました。
すると主は「それをするように」と伝えたのです。
③余裕のある時には「人を助けること」はできるかもしれません。
しかし自分も余裕がない時に
「人を助けること」は通常はできないものです。
ところが、ダビデは、
主の命令に従い、「ケイラを救った」のです。
④私たちは「余裕がない時」にこそ
「主に祈り」最善を考えましょう。
イエス様が十字架にかかって下さったのは
「天の国で神としておられた時」ではなく、
「人間として苦しみ、鞭打たれた後」でした。
イエス様は「余裕のない時」に犠牲を払い、
私たちに「ご自分の命」を与えて下さったのです。
「この愛」をあなたは「受けて」います。
その事実を「心から知った時」、
あなたは余裕のない時でも
「主の願いに応える人」となれるのです。YccFuji
20150327
by Happiness-eachday | 2015-03-27 01:09 | 2015年1‐3月 | Trackback

