7月24日イザヤ1-3章『主の喜ばれること』
2011年 07月 24日
【1:6 足の裏から頭まで、健全なところはなく、傷と、打ち傷と、打たれた生傷。絞り出してももらえず、包んでももらえず、油で和らげてももらえない。
1:16 洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。
1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう」と【主】は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。1:19 もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。」】
①イザヤは、神を信じる南ユダの人々にこれらの言葉を語りました。
それは人々が神に立ち返り、赦され、祝福の回復を受けるためでした。
②人々は神から離れ、傷つき、弱り切っていました。
しかし主に助けを求めていながらも、
悪事から離れず、形式的に主を礼拝していたのです。
③主ははっきりと語られました「さあ来たれ。論じあおう」と。
④主は形式的な宗教儀式を望んではおられません。
あなたが主を信じ、主に生で叫び、正直に助けを求めることを願っておられるのです。
そして主に「赦しと聖め」を求めるならば「雪のように白くなる」と約束されているのです。
そこで初めて真に主に喜ばれることができるのです。
主にすべてをぶつけてみましょう。そこから何かが始まるのです。
主があなたの叫びを受け止めて下さる時、
素晴らしい「主の業」が進むのです。
YCCFuji
by happiness-eachday | 2011-07-24 00:50 | 2011年7月 | Trackback