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4月19日Ⅰサムエル8-10章 マルコ10:32-52

懸賞 2026年 04月 19日 懸賞

『選びの恵みと応答の大切さ』
【Ⅰサムエル9:19 サムエルはサウルに答えて言った。「私がその予見者です。この先のあの高き所に上りなさい。きょう、あなたがたは私といっしょに食事をすることになっています。あしたの朝、私があなたをお送りしましょう。あなたの心にあることを全部、明かしましょう。・・・
10:1 サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。・・・
10:8 あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。」】①サウルは、預言者サムエルによって王として任命されました。これは主の選びであり、一方的な恵みでした。そしてギルガルで七日間待つようにと命じられたのです。(しかしサウルは待てませんでした。その結果祝福を落としたのです)「主の選び」と「応答の大切さ」がここから分かります。選ばれても、それだけでは不十分です。「選ばれた者」が「主の願いに応えて」、一生の間、主の祝福の中を歩めるのです。

『バルテマイの信仰』
【マルコ10:50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。10:51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」10:52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。】①盲人バルテマイは、「イエス様なら絶対に自分の目を癒してくださる」と信じていました。ですから反対されても、大声を上げますます叫んだのです。そしてイエス様から声をかけられると、駆け寄って自分の願いを正直に告白したのです。「このような信仰」を主は喜んで下さいます。本気で求める者を、イエス様は助けて下さるのです。

# by Happiness-eachday | 2026-04-19 05:32 | 2026年 | Trackback

4月18日Ⅰサムエル3-7章 マルコ10:1-31

懸賞 2026年 04月 18日 懸賞

『敵地にあっても圧倒的な神様の力』
【Ⅰサムエル 5:1 ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。
5:2 それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。
5:3 アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは【主】の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。】①当時、イスラエルは戦いに敗れ、神の箱は敵の手に奪われていました。人々は悲しみました。しかし神の箱は、敵の地においても、偶像に対して圧倒的な力を持っていたのです。人間は、成功したり失敗したりします。しかし神ご自身は、「人間的な制限」を越えて、「圧倒的な力」で働きを進めておられるのです。

『人を変える神の力』
【マルコ10:23 イエスは、見回して、弟子たちに言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。」10:24 弟子たちは、イエスのことばに驚いた。しかし、イエスは重ねて、彼らに答えて言われた。「子たちよ。神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。10:25 金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」・・・】①金持ちの若者は、神を信じると言いながらも、実際は「財産」が一番でした。その結果、神に従うことができなかったのです。「お金」が悪いのではありません。お金に「執着する心」が問題なのです。そして神様が働かれると「神だけにすがり、神以外をあきらめるように」と、人はつくり変えられるのです。

# by Happiness-eachday | 2026-04-18 05:33 | 2026年 | Trackback

4月17日Ⅰサムエル1-2章 マルコ9:33-50

懸賞 2026年 04月 17日 懸賞

『子育てのために祈る』
【Ⅰサムエル2:27 そのころ、神の人がエリのところに来て、彼に言った。「【主】はこう仰せられる。あなたの父の家がエジプトでパロの家に属していたとき、わたしは、この身を明らかに彼らに示したではないか。・・・
2:29 なぜ、あなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住む所で軽くあしらい、またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。・・・
2:34 あなたのふたりの息子、ホフニとピネハスの身にふりかかることが、あなたへのしるしである。】①エリは偉大な預言者でしたが、子供たちはエリの道を歩むことをせず、神の反逆することをし続けたのです。エリはそれを見ながらも、黙認し続けていたのです。その結果、神のさばきを受けました。子供を愛していても、盲目的な愛では、結果としてその子供を不幸にしてしまいます。「神様の基準がある」ことを親が自覚をするならば、「子供に語るべき言葉」があるのです。主に祈りましょう。知恵を頂きましょう。

『苦しみによって塩けがつけられる』
【マルコ 9:49 すべては、火によって、塩けをつけられるのです。9:50 塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。】①人は「苦しみ」を通じて、訓練され、塩けをつけられます。それは「キリストに従う」ために受ける「迫害」もありますが、肉の欲に走りキリストを無視した結果起こる「裁き」も人をつくりかえるのです。人は「苦しみによって」塩けをつけられるのです。

# by Happiness-eachday | 2026-04-17 00:13 | 2026年 | Trackback

4月16日ルツ記1-4章 マルコ9:14-32

懸賞 2026年 04月 16日 懸賞

『悲しみの中の、栄光の道』
【ルツ記1:19 それから、ふたりは旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中がふたりのことで騒ぎ出し、女たちは、「まあ。ナオミではありませんか」と言った。1:20 ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。1:21 私は満ち足りて出て行きましたが、【主】は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。【主】は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」】①ナオミは、飢饉のため、家族でベツレヘムから異国モアブに避難をしました。しかしそこで、愛する夫が死に、息子二人も死んでしまったのです。ナオミは故郷の人に、ナオミ(快い)ではなく、マラ(苦しみ)と呼んでくださいと答えたのです。しかしナオミには、義理の娘「ルツ」がいました。このルツの子孫から、ダビデ王が誕生したのです。・・・人間的に見る時に、「悲劇」としか思えないことがあります。しかし信仰によって歩み続けると、その道が、「栄光の道」となることがあるのです。

『信仰を引き出されるイエス様』
【マルコ9:21 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」】①この父親は、子供を救い出すために、イエス様のもとにやってきました。しかし対応した弟子たちにはそれができなかったため、父親は失望し、イエス様に対しても「不信仰な言葉」を吐いたのです。しかしイエス様はその言葉を見過ごしませんでした。素早く「不信仰」を指摘しました。すると父親は不信仰を悔い改めたのです。イエス様は奇跡をなされるのに、人間の信仰を用いられます。イエス様は、人の信仰を、「引き出す」お方なのです。


# by Happiness-eachday | 2026-04-16 01:43 | 2026年 | Trackback

4月15日士師記19-21章 マルコ8:27-9:13

懸賞 2026年 04月 15日 懸賞

『神の基準の必要性』
【士師記21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。】①士師記の最後は、当時の人々の姿を示しています。人々が、「神の基準」を無視して、自分たちの勝手な基準で生きていたのです。その結果は「混乱と弱体化」でした。私たちは、どんなに暗い時代にあっても、「神の基準」で考え、実行していく必要があるのです。

『イエス様の弟子の心構え』
【マルコ8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。】①イエス様は、「弟子の心構え」を語られました。それは「自分の負うべき十字架」を負い、自分を捨てて「ついてくるように」というものでした。人間は罪人です。良いことをしようとしても、悲しいほど自我がぶつかるのです。自分の自我を「十字架につけて」初めて、主についていくことができるのです。

# by Happiness-eachday | 2026-04-15 05:43 | 2026年 | Trackback