6月9日詩篇22-25篇『主と共に生きる幸せの道』

懸賞 2010年 06月 09日 懸賞

『主と共に生きる幸せの道』
【25:4 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。25:7 私の若い時の罪やそむきを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみのゆえに。・・25:12 主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。25:13 その人のたましいは、しあわせの中に住み、その子孫は地を受け継ごう。】

①私たちは、ダビデのこの詩を通じて「主にいつも導きを求める大切さ」を学ぶことができます。②地上で生きている間は、私たちは、どうしても自分勝手に歩みがちです。③ですから絶えず主に祈り、導きを求める姿勢が大切なのです。・・・主は私たちが祈る前から私たちの必要をご存知です。しかし私たちがその必要を自覚し、祈り求め始めた時から、主の業が始まるのです。主の道を求め続けましょう。そうすれば、私たちも子孫も祝福と幸せの中を歩むことができるのです。YCCFuji
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# by happiness-eachday | 2010-06-09 08:45 | 2010年6月 | Trackback

6月8日詩篇18-21篇『主の教えは完全』

懸賞 2010年 06月 08日 懸賞

『主の教えは完全』
【19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。】

①主の教えは、私たちに命を与え、知恵を与えてくださいます。その教えによって、私たちが物事を良く見えるようになるのです。②しかし同時に、主の光によって自分自身が照らされ、自分の中にあるものが、(それが良いものでも悪いものであっても)はっきりと見させられるのです。・・・私たちのコンディションがどのようであっても、主の教えは完全なのです。主の教えに毎日心を合わせていきましょう。それは祝福の道であると同時に、誘惑を避ける安全の道なのです(19:13)。YCCFuji
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# by happiness-eachday | 2010-06-08 18:00 | 2010年6月 | Trackback

6月7日詩篇14-17篇 『主を目に前におく祝福』

懸賞 2010年 06月 07日 懸賞

『主を目に前におく祝福』
【16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。】

①人生は人間の視点だけでは限界があり、ともすると不安や恐れに襲われることがあります。②しかし主を目の前に置く・・すなわち主の後に、いつも付き従うならば、平安が与えられるのです。③主が共におられるならば、恐れがありません。そして魂に喜びがわき上がるのです。・・・自分の考えだけではなく、いつも主を意識する人は、迷いがなくなります。そして平安の中、喜び楽しむことができるのです。YCCFuji
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# by happiness-eachday | 2010-06-07 17:57 | 2010年6月 | Trackback

6月6日詩篇10-13篇『多くの事実を知り、価値観を知る』

懸賞 2010年 06月 06日 懸賞

『多くの事実を知り、価値観を知る』
【指揮者のために。ダビデの賛歌13:1 主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。13:2 いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。私の心には、一日中、悲しみがあります。いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう。13:3 私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください。私が死の眠りにつかないように。13:5 私はあなたの恵みに拠り頼みました。私の心はあなたの救いを喜びます。13:6 私は主に歌を歌います。主が私を豊かにあしらわれたゆえ。】

①ダビデは苦しみの中で、いつまで悩み続けなければならないかと、主に問いました。②信仰者も神の計画に確信が持てないときがあるのです。③そんな時、主に答えを頂かなければ私たちは信じることができません。・・・主に祈りつつ、多くの事実を知らせて頂き、その正しい価値観(物の見方)を主から教えていただくのです。・・・主の計画が分った時、私たちは主の賛美を捧げることができるのです。YCCFuji
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# by happiness-eachday | 2010-06-06 07:17 | 2010年6月 | Trackback

6月5日詩篇6-9篇『私たちを愛し、任せてくださる主』

懸賞 2010年 06月 05日 懸賞


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『私たちを愛し、任せてくださる主』
【8:1 私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。8:5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。8:6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。】

①ダビデは、この世界を造られた偉大な創造主が、人間を愛し、顧み、栄光を与え、多くの業を任せられていることを感動をもって賛美しています。②主は私たち一人ひとりを愛し、見てくださっています。それは王が一兵卒を特別に愛するような不思議なことでもあります。しかし主がそれを願っておられるのです。・・・主はあなたを愛されています。これが分ることがクリスチャンの最大の恵みです。そして賜物を与え、あなたに何かの神様の仕事を任せようとされています。主に期待しましょう。そして教えられたならば、祈りつつ主の期待に応えましょう。YCCFuji
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# by happiness-eachday | 2010-06-05 10:36 | 2010年6月 | Trackback

6月4日詩篇1-5章『正しい者と悪人の道』

懸賞 2010年 06月 04日 懸賞

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『正しい者と悪人の道』
【1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。】

①今日から詩篇を学びます。詩篇1篇は全体の序章的な意味合いを持ちます。②この教えはきわめてシンプルです。「創造主がおられ、その願い(教え)があり、その教えを聞くならば、必ず栄え祝福される」③この世には、種まきと刈り取りの法則があります。ですから良い種をまけば良い実を刈り取り、悪い種をまけば滅びを刈り取る、ことは自然なのです。・・・その基準は「主の教え」です。その基準を知れば、良い種をまき続け栄えと祝福を受け続け、悪を避ける、秘訣がわかるのです。YCCFuji(ブログに続く)


コメント
詩篇は聖書の中で、もっとも愛読されている書です。
人生の喜び、希望、失望、恐れ、落胆、迷い、疑い・・・
ここには、創造主を信じる人間のそのままの姿を赤裸々に描いています。

時代や環境は変わっても、人間が経験する感情は、基本的には変わりません。
ですから、詩篇を黙想する中で、神の光のような言葉を受けることができるのです。

毎朝送信している箇所だけでは、詩篇の恵みは語りつくせませんので、
ブログで補えたら幸いと思っております。

今朝のコメントは2箇所に注目します。
「主は人間の悪事の愚かしさを嘲笑される」
2:4 天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。
2:5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。

主は、人間の考えをすべて知っておられます。そして悪を行っても、その末路に悪い実を刈り取ることを知っておられるのです。
ですから、隠れてであっても、悪を行うことは、愚かであることを悟るべきです。

しかし私たちが、悪に取り囲まれるような時、主に助けを求めるしかありません。
私の経験上・・・誘惑にあった時に、主に祈りながら判断すると、
紆余曲折はしながらも、脱出の道を通ることができる・・・と確信します。
そして振り返った時、奇跡の中を歩んだことが分るのです。

2番目は
「主が支えてくださるので、平安で眠ることができる」
3:4 私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。
3:5 私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるから。

恐れを感じ、つぶされそうになることは、人生には何度かはあると思います。
人は「・・これでだめだ」と思ってしまったら、本当にだめになります。
しかし主を信じるものに、「これでだめだ」はないのです。

Ⅰコリント10:13 あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

このことが経験上分ると、平安を持つことができます。
問題で終わりではありません。その後に必ず、それを乗り越えた者が受け取る素晴らしい祝福があるのです。
それを導く、私たちを造られた創造主がおられるのです。
毎日聖書を読み、祈るならば、あなたも、創造主からのこの平安のメッセージを受け取ることができます。

その時、あなたは苦難の中でも、こころ穏やかに眠ることができるのです。
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# by happiness-eachday | 2010-06-04 09:08 | 2010年6月 | Trackback

6月3日ヨブ記40-42章『ヨブの回復』

懸賞 2010年 06月 03日 懸賞

d0155777_9204861.jpg『ヨブの回復』
【42:1 ヨブは主に答えて言った。42:2 あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。42:3・・まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。42:5 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。42:6 それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。】・・【42:7 さて、・・主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。・・42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。」】

①ヨブは神と出会い、自分の正しさを主張する愚かしさを悟り、深く悔い改めました。私たちは知識で神を知っていても、真に神にお出会いする必要があるのです。②神は3人の友人が間違っていたとはっきり伝えました。神は正しい基準を示してくださいます。③ヨブが友人のために、祝福を祈った直後、ヨブの祝福は回復されました(2倍の祝福)。神の時に、人を祝福することによって私たちの祝福は解き放たれます。今日でヨブ記は終わります。ここで学んだことを生活に生かしていきましょう。YCCFuji(ブログにまとめあり)


コメント
「正しい人がなぜ苦しみの会うのか」
これがヨブ記の大きなテーマです。

私たちは、この中で、「人間的な視点だけで、真の問題を理解することはできない」
ことを学びました。ヒューマニズムではなく、これを超えた視点が必要なのです。

また人とどのように関わるべきであるかも学びました。
ヨブの3人の友人のような、
「自分の価値観のおしつけで」
「自分の目に見える部分だけで判断して」
「上から批判するような対応」
・・では人は心を開かないことを学びました。

しかしこの「ひどい対応」も、主に用いられていたことも事実なのです。

最後に出てきた若いエリフの対応(6月1日の記事)
が模範的な対応であることも学びました。

しかし今日学ぶことは
①主を求め続けていくならば、必ず最後には主とお出会いすると言うこと
②その時に真実(の一部ですが)・・わかるということ
③主は正しく変わらない(善悪の基準)をもっておられるということ
④憎しみではなく、人を赦し、祝福することによって、私たちの祝福が解き放たれるということ

特に慰めは③・・・主は、ヨブの友人たちに怒りをもって正しく彼らの過ちを見ておられた・・ことです。
私たちは、不条理な対応を受けることがありますが
主はすぐに手を下されなくても、良いものは良い、悪いものは悪い、と正しく判断されていうことは、ポストモダンな(価値観が乱立する)世界にあって慰めです。
主はいつも変わらない基準で、私たちを見ておられ、導かれるのです。

主が、変わらない基準で、私たちを導いておられることを知ると・・・私たちは安心できるのです。
(それは同時に、私たちは(表現するかしないかは別にして)、悪は悪であり善は善であると、私たち自身も変わらない基準を持つことができるということなのです)

④も大切です。
祝福は憎しみから生まれないことが分ります。
主が祝福するように導かれているならば、主の願いどおりに祝福する時に
私たちに対しても、祝福が流れることが分ります。

ルカ6:37 さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」(イエス様の言葉)

創造主は基準を持っておられ、「私たちが良い種をまくと、良い実を刈り取り」
「悪い種をまくとその実を刈り取るように」、この世界を造られました。
ですからこのルールに、私たち自身も合わる時に、祝福が流れるのです。
(私たちの感情ではなく、聖書の真理に合わせることが、早く祝福をいただける秘訣です。
そのためには、ヨブのように主に祈り、主から真理と力を頂くことが助けになります)

ヨブ記を通じて、正しい人間、基準を求め続けた人間(ヨブ)が、どのように苦しみ
そのように回復されたかを私たちは学びました。

これらの様々な原則を私たち自身の生活に生かしていけたならば幸いです。
祝福をお祈りします。
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# by happiness-eachday | 2010-06-03 09:21 | 2010年6月 | Trackback