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4月4日ヨシュア20-22章 マルコ2:23-3:12

懸賞 2019年 04月 04日 懸賞

『神様の計画の大義を、考える』
【ヨシュア22:1 そのとき、ヨシュアはルベン人、ガド人、およびマナセの半部族を呼び寄せて、22:2 彼らに言った。「あなたがたは、【主】のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。22:3 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、【主】の戒め、命令を守ってきた。22:4 今すでに、あなたがたの神、【主】は、あなたがたの同胞に約束したように、彼らに安住を許された。今、【主】のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川の向こう側の所有地、あなたがたの天幕に引き返して行きなさい。
22:6 ヨシュアは彼らを祝福して去らせたので、彼らは自分たちの天幕に行った。】①ルベン人、ガド人、マナセの半部族は、ヨルダン川の向こう側(東側)の土地を分担されていました。しかし民の士気を保つために、ヨルダン川のこちら側(西側)において、財前線で戦い続けたのです。そしてこの22章で、ヨシュアの許可を受けて、自分たちの土地(東側)に帰って行ったのです。ヨシュアたちの戦いは、団体戦(チームワーク)でした。ですから民は、自分の願いを犠牲にしても、全体の目的を第一にしたのです。私たちはどうでしょうか。神様の大切な願いがある時に、自分ことだけを優先していないでしょうか。自分のことを大事にすることは当然なのですが、しかし時と状況によっては、「神様の大義」を考えることも、大切なのです。




『自分のルールで人を批判することの、戒め』
【マルコ2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。2:28 人の子は安息日にも主です。」
3:1 イエスはまた会堂に入られた。そこに片手のなえた人がいた。3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。3:3 イエスは手のなえたその人に「立って真ん中に出なさい」と言われた。3:4 それから彼らに、「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。彼らは黙っていた。3:5 イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。】①パリサイ派の人々が、イエス様が安息日にしてはならないことをしているということで、批判をしました。人間は、自分が正しいと思うことを主張し、人を批判し、自分を優位にしようという狡さがあります。しかしイエス様は、安息日の本質を語られたのです。「イエス様がルール」です。私たちは「しもべにすぎず」「イエス様の願いの下」に立つべき立場なのです。


# by Happiness-eachday | 2019-04-04 05:11 | 2019年 | Trackback

4月3日ヨシュア16-19章 マルコ2:1-22

懸賞 2019年 04月 03日 懸賞

『すべきことを、まずしていく』
【ヨシュア17:14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「【主】が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」17:15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」】①ヨセフ族は、自分たちは数が多いのに、どうして一つの割り当て地しか与えられないのかと、文句を言いました。しかしヨシュアの答えは、「あなた方が多くて強いのならば、山地を切り開くべきである」というものでした。すべきことをして、願ったならば、かなえられたかもしれませんが、すべきことをしていない者には「すべきことをまず、すべきである」と言われたのです。「与えられた責任」の範囲を見極めましょう。外を見る前に、まず内側を固める(責任を果たす)ことが大切なのです。


『罪を自覚した者の恵み』
【マルコ2:16 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」2:17 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」】①独善的で自分が正しいと思い込んでいる人は、自分に神様が必要であると思いません。イエス様は、自分の罪を自覚し、救いを求める者のために、自分は来たと言われたのです。私たちが、自分の罪や弱さを考え、悩み苦しむとするならば、イエス様は「その人の近く」におられて、憐みと赦しを与えて下さるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-04-03 05:55 | 2019年 | Trackback

4月2日ヨシュア13-15章 マルコ1:21-45

懸賞 2019年 04月 02日 懸賞

『信仰によって祝福を受ける』
【ヨシュア記14:12 どうか今、【主】があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。【主】が私とともにいてくだされば、【主】が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」14:13 それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。14:14 それで、ヘブロンは、ケナズ人エフネの子カレブの相続地となった。今日もそうである。それは、彼がイスラエルの神、【主】に従い通したからである。】①カレブは、85歳になっても、45年前、カナン偵察時に、モーセの前で信仰の応答をした時と同じように、信仰と気力を持っていました。そして主にあって「敵を追い払うことができる」と確信していたのです。その信仰によって「ヘブロンの地」はカレブとその子孫のものとなったのです。祝福は、準備されていますが、それを受け取るのは「信仰による」のです。あなたも「信仰によって」受け取りましょう。与えられたものを受け取るには「信仰」が必要なのです。


『祈りの交わりの力』
【マルコ1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。1:36シモンとその仲間は、イエスを追って来て、1:37彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております」と言った。1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」】①イエス様は、朝に祈っておられました。一日が始まる前に、天の父と「深い交わり」をしておられたのです。そして「近くの別の村に行こう」と言われました。イエス様は、父なる神の交わりを通じて「愛と力を受けて」ご自分の使命を果たしていかれたのです。私たちも、一日のはじめに、天の父、そしてイエス様との交わりを深めていきましょう。







# by Happiness-eachday | 2019-04-02 05:06 | 2019年 | Trackback

4月1日ヨシュア10-12章 マルコ1:1-20

懸賞 2019年 04月 01日 懸賞

『主の言葉による、勝利』
【ヨシュア10:8 【主】はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」10:9 それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。】①イスラエルと同盟を結んだギブオンが、攻撃されそうになり、ギブオンの人たちはヨシュアに助けを求めました。すると主は「助けに行くように」と語られたのです。そして主の言葉通り、その戦いは大勝利となったのです。判断に迷う時、クリスチャンは主に祈ります。そして主が与えて下さる知恵を用いて、勝利が与えられるのです。「主からの知恵」を頂くためには、「主を求める姿勢」と共に、「主の言葉を正しく聞く力」が大切なのです。


『イエス様の語り掛けに対する、応答』
【マルコ1:16 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。1:17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」1:18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。】①イエス様についていくためには、イエス様から語られなければなりません。しかし人間側の姿勢も大切なのです。まず「イエス様の言葉を聞こうとする意識」がなければいけませんし、聞いた時に「応答するこころ」が必要です。イエス様はあるタイミングで、私たちに語られます。あなたはその言葉に「応答したい」ならば「準備」が必要なのです。


# by Happiness-eachday | 2019-04-01 05:49 | 2019年 | Trackback

3月31日ヨシュア7-9章 使徒28:17-31

懸賞 2019年 03月 31日 懸賞

『民の聖めと、勝利』
【ヨシュア8:1 【主】はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。8:2 あなたがエリコとその王にしたとおりに、アイとその王にもせよ。」】①アカンの罪によって、アイから敗北を受けたイスラエルは、神様が示された悔い改めを行った後、もう一度、主から戦うようにと言われました。主の戦いには「聖め」が必要です。主は「聖め」を通じて、民を勝利に導かれたのです。

『神の奇跡と、信仰の応答』
【使28:23 そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。28:24 ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。・・・
28:30 こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。】①パウロは、ローマにおいて自費で借りた家に住み、満二年の間、宣教活動をすることができました。これは神の奇跡です。しかしその中にあっても、「イエス様を信じる人たち」と「信じない人たち」がいたのです。すべての人がイエス様を信じるわけではありません。しかし「主に選ばれた人」は、イエス様に出会い、信じるように導かれるのです。


# by Happiness-eachday | 2019-03-31 05:56 | 2019年 | Trackback