4月19日1サムエル8-10 マルコ10:32-52

懸賞 2017年 04月 19日 懸賞

『主の許容によって』

【Ⅰサム8:6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは【主】に祈った。8:7 【主】はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。・・・
8:21 サムエルは、この民の言うことすべてを聞いて、それを【主】の耳に入れた。8:22 【主】はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」そこで、サムエルはイスラエルの人々に、「おのおの自分の町に帰りなさい」と言った。】

①民が「王が欲しい」を言った時、それは「本当の主の御心」ではありませんでした。
しかし主は民の願いを「許容」され、主の計画を進められたのです。

②主は「ご意思」を持っておられます。
しかし人間の要求を聞き、方法を変えられること(許容されること)があるのです。

・・・物事がうまくいったから「すべて主の御心」ではありません。
主の「大きな配慮」で物事が通ることがあるのです。
「わがまま」を押し続けてはいけません。
私たちは、気がつく度に「主の願い」を選び取る姿勢が大切なのです。




『人に仕える生き方』

【マル10:43 しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。10:44 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。】

①イエス様は、「人の先に立つ者」は、「人に仕える者」だと言われました。
そしてご自身が「人間の罪の代価」のため「ご自分の命」を与えるために来たと言われたのです。

②私たちは、「人に仕える者」となりましょう。
そうすれば。あなたに周りには人々が集まり、
あなたに助けを求めるようになるのです。

「ほめてもらったり、仕えてもらうこと」を要求し続けることは、
主の生き方ではないのです。





20170419


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-19 05:16 | 2017年 | Trackback

4月18日1サムエル3-7章 マルコ10:1-31

懸賞 2017年 04月 18日 懸賞

『祈りによる勝利』

【Ⅰサム7:8 そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、【主】に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」7:9 サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして【主】にささげた。サムエルはイスラエルのために【主】に叫んだ。それで【主】は彼に答えられた。7:10 サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、【主】はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。】

①ペリシテ人の攻撃を見た時、人々はサムエルにとりなしの祈りを求めました。
そしてサムエルが祈ると、主はその祈りに応えられ、ペリシテ人は打ち負かされたのです。

②私たちの人生において、霊的な妨害や敵に対して「どれだけ勝利できるか」は、
どの程度、神に信頼して「祈るか」にかかっています。
祈ることによって、私たちの職場や学校、家庭に主が来て働いてくださるのです。
祈りを軽んじないようにしましょう。サタンの攻撃に無防備になってはいけないのです。




『神様の願いを尊重する』

【マルコ10:4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」10:5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。10:6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。10:7 それゆえ、人はその父と母を離れ、10:8ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。10:9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」】

①イエス様は、人々の心が頑ななので「モーセは離婚状で離婚を許した」と語りました。
神様には、私たちに対する「願い」があるのです。
私たちは、自分のことだけを考えるならば「平気で神様に反逆し」「神様を傷つけ」てしまうのです。

・・・神様が喜ばれることを行いましょう。
悲しまれることは、極力避けましょう。
それが「主との信仰生活」で「最も大切なこと」なのです。YccFuji






20170418


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-18 05:49 | 2017年 | Trackback

4月17日1サムエル1-2章 マルコ9:33-50

懸賞 2017年 04月 17日 懸賞

『祈りに応える神』

【Ⅰサムエル 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は【主】に祈って、激しく泣いた。1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」】

①ハンナは、切なる願いとして「自分の子ども」を求めました。
既にこの時、彼女はまだ生まれていない子供を「神の目的の実現」のために捧げていたのです。
そして子供が与えられると、
十分な世話をした後、主への約束通り、主に捧げるため祭司の元に預けたのです。

・・・主は「切なる願い」を聞いて下さるお方です。
また、その祈りの答えには「主の計画」があります。
私たちが、実際に応答をして「主の計画が実現」するのです。

「主の助けと答え」があることを、信じて祈りましょう。
そして主に約束したことは「果たし」ましょう。
このシンプルなことが、「信仰生活」には「非常に重要なこと」なのです。




『つまずきを与えることを、極力避ける』

【マルコ9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。・・・】

①イエス様は、ルカ17章では
「つまずきが起きることは避けられないが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ」と語られています。
つまずきは「わざとではない」かもしれませんが、極力避けることが大切なのです。

私たちは「イエス様の弟子」です。
イエス様が仰るように、「自分を捨て」「日々自分の十字架を負って」主に従うことが願われているのです。
これを完ぺきにすることは人間の力では不可能ですが、
「そのように生きていきたい」と願い、祈ることは「可能」であり、
その祈りを通じて「主の助け」が与えられるのです。YccFuji






20170417


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-17 05:25 | 2017年 | Trackback

4月16日ルツ記1-4章 マルコ9:14-32

懸賞 2017年 04月 16日 懸賞

『主にすがるものを、見捨てることがないお方』

【ルツ2:12 【主】があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、【主】から、豊かな報いがあるように。」2:13 彼女は言った。「ご主人さま。私はあなたのご好意にあずかりとう存じます。私はあなたのはしためのひとりでもありませんのに、あなたは私を慰め、このはしためにねんごろに話しかけてくださったからです。」】

①主は、義母ナオミとナオミの信じる主に従って、故郷を離れてやってきた、ルツを見ておられました。
そして親類のボアズの畑に導き、ボアズに好意を持たせたのです。
主は「主にすがる者」を見捨てることなく、助けて下さるお方なのです。
たとえ故郷を離れ「一人ぼっち」に感じるようなことが起きても、
あなたを離れない主は、あなたを守り、導かれるのです。

主は全能者、そして生きておられるお方です。

・・・今日はイエス様の復活を祝う、イースターです。
主に十字架と復活の勝利を、喜びお祝いしましょう。
イエス様はよみがえられ、今も生きておられる現実のお方なのです。
あなたの苦しみを知り、あなたを助けて下さるお方なのです。




『私たちを助けて下さる主』

【マルコ9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」9:25 イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」】

①「悪い霊の影響を受けていた息子」の父親は、失望のため、イエス様に不信仰な言葉を出してしまいました。
しかしイエス様からその不信仰を指摘されると、
すぐに不信仰を悔い改め、「信じます、助けて下さい」とイエス様に願ったのです。
その結果、息子は癒され、恵みを頂いたのです。

②私たちは、「悲しや挫折のために」、
前もダメだったから「今もダメだ」と信じ込んでしまうことがあります。
しかしイエス様はその不信仰を取り去って下さり、新しい信仰を与えて下さるのです。

・・・自分こころを正直に見つめましょう。
そして不信仰は不信仰として認め、助けを求めましょう。
主は生きておられ、私たちの必要を見て、助けて下さるのです。YccFuji







20170416


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-16 04:56 | 2017年 | Trackback

4月15日士師記19-21章 マルコ8:27-9:13

懸賞 2017年 04月 15日 懸賞

『自分たちのゆがんだ判断の末路』

【士21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。】

①士師記は、イスラエルの問題を引き起こした根源を再び示して、終えられています。
それは「神の基準を無視」して「自分たちの道を歩み」、
自分たちのゆがんだ判断を「正しい」と思い込んでいたのです。

②そのような雰囲気を「正しい方向に向かわせること」は非常に大きな力を必要とします。
しかしイエス様の十字架は、その為のすべての代価を支払って下さったのです。
私たちは「自分の間違い」を認め告白し、
「主の憐みによって」聖めと回復の道を歩むことが出来るように、主の助けを必要としているのです。



『十字架を負って、主についていく』

【マルコ8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。・・・
8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」】

①イエス様は、ご自分が人々に捨てられ、苦しみの後に復活の勝利をすることを、前もって話されました。
そして「イエス様についていきたい人」は、
「自分を捨て」「自分の十字架を負って」ついていくようにと語られたのです。

・・・クリスチャン生活は「イエス様がモデル」です。
それは楽で楽しいこともありますが、
責任と苦しみを通らなければなりません。
人から理解されず「捨てられたような経験」を通ることもあるのです。

しかし最後までついていく人は、
「主の祝福の勝利」を味わうことが出来るのです。YccFuji







20170415


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-15 05:28 | 2017年 | Trackback

4月14日士師記17-18章 マルコ8:14-26

懸賞 2017年 04月 14日 懸賞

『罪と赦し』

【士17:4 しかし彼は母にその銀を返した。そこで母は銀二百枚を取って、それを銀細工人に与えた。すると、彼はそれで彫像と鋳像を造った。それがミカの家にあった。17:5 このミカという人は神の宮を持っていた。それで彼はエポデとテラフィムを作り、その息子のひとりを任命して、自分の祭司としていた。17:6 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。・・・】

①この時代は、それぞれが「自分の目に正しい」と思うことを行い、
「神の目に悪」となることをし続けていました。
自分の目に正しいことを行う人は、
神の御言葉によって示されたことでさえも「憤慨する」のです。

「神の基準」を無視する人々は、
その生涯に「霊的」「道徳的」「社会的」混乱を
「自分だけ」でなく、「周りに人々」にも与えるのです。

・・・今日は受難日です。
イエス様が私たちの罪のため「十字架にかかられた日」です。
私たちは「自分の罪」を悔い改め、
「イエス様にあって」「主に赦され」「主に従う者」として生きていくことを願うのです。



『一瞬の癒しと時間がかかる癒し』

【マルコ8:24 すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。8:25 それから、イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。】

①イエス様の奇跡は、一瞬で起こることもありますが、徐々に起きることもあるのです。
今朝の個所は、後者のケースです。

②イエス様の十字架によって「罪赦され」「病が癒される奇跡」を私たちは頂いています。
罪の赦しは一瞬ですが、罪からの解放や、心や体の癒しは、時間のかかることもあるのです。

・・・イエス様の十字架の恵みは「完全であり」「絶対」です。
しかしその恵みを完全に受け取るには「信仰を持ち続ける必要」があるのです。YccFuji







20170414


[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-14 00:47 | 2017年 | Trackback

4月13日士師記14-16章 マルコ7:24-8:13

懸賞 2017年 04月 13日 懸賞

『誘惑の悲しみ』

【士16:4 その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。16:5 すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」】

①デリラは、怪力サムソンが自分を愛していることを知っていました。
そして銀貨によって誘惑され、デリラはサムソンを売ったのです。

自分の欲のために「人を利用とする心」は非常に悲しいものです。
しかし悪しき誘惑を受け「確信犯として」人を利用し続けようとする人が、現実にいるのです。

②一方、サムソンは、デリラから言い寄られ、泣き落としによって秘密を話してしまいました。
その結果、目を奪われ、最後は死ななければなりませんでした。
誘惑を与えることも、落ちることも悲しいことです。

・・・しかし、主がすべて見ておられること(隠れたこともすべて)に気がついた人は、
自分の心をごまかさず、(聖霊の力によって)誘惑を退け、実直に生きていくようになるのです。
ごまかすことが出来ると、思い込んでいる人は「愚かで悲しい」のです。



『切実に求めた異邦人の信仰』

【マルコ7:28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。】

①イエス様は、助けを求めてきた異邦人の母親に(あえて)一旦拒否したような態度を取られました。
この母親の信仰に強さを知っていたからです。
そして母親の強い信仰を「引き出し」、最後に娘を癒されたのです。

②私たちは、「主に祈りを拒否」されたように感じることがあります。
しかしこの時は「ますます祈り求める時」なのです。
主の憐みは「私たちの考えより」遥か深く、広いのです。

主は私たちが心から求め続け、
「主の求める信仰」まで行くことを願われるのです。Yccfuji






20170413



[PR]

# by Happiness-eachday | 2017-04-13 05:11 | 2017年 | Trackback