10月11日イザヤ33-34章 ヘブル12:14-29 

懸賞 2017年 10月 11日 懸賞

『信じる者の主への懇願』

【イザヤ33:2 【主】よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。33:3 騒ぎの声に国々の民は逃げ、あなたが立ち上がると、国は散らされます。33:4 あなたがたの分捕り物は、油虫が物を集めるように集められ、いなごの群れが飛びつくように飛びつかれる。33:5 【主】はいと高き方で、高い所に住み、シオンを公正と正義で満たされる。33:6 あなたの時代は堅く立つ。知恵と知識とが、救いの富である。【主】を恐れることが、その財宝である。】



『聖くなければ、主を見ることはできない』

【ヘブル12:14 すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。12:15 そのためには、あなたがたはよく監督して、だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように、・・・】

①私たちは、聖くなければ、主を見ることができません。
だから、私たちは、「聖め」を求めるのです。
聖霊が働かれる時、本当の「自分自身」を見させられます。
そして自分の罪に気がつき、益々の聖さを求めるようになるのです。




20171011


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# by Happiness-eachday | 2017-10-11 05:52 | 2017年 | Trackback

10月10日イザヤ31-32章 ヘブル12:1-13

懸賞 2017年 10月 10日 懸賞

『終わりの時代、聖霊の注ぎ』


【イザヤ32:15 しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。32:16 公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。32:17 義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。32:18 わたしの民は、平和な住まい、安全な家、安らかないこいの場に住む。】


①預言者イザヤは、歴史の終わりに「キリストが地上を治める時代」が来ることを預言しています。

これは再臨後の、メシヤの王国時代とか、キリストの千年王国とか呼ばれている期間です。

そしてこれは、聖霊の力によってなされることです(15節)。


・・・今も時代も聖霊が力強く働いています。

この力を受けると(今の時代であっても)私たちは変えられるのです。



『主の訓練、平安な義の実』


【ヘブル12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。12:9 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。12:10 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。12:11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。】


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# by Happiness-eachday | 2017-10-10 05:58 | 2017年 | Trackback

10月9日イザヤ29-30章 ヘブル11:17-40

懸賞 2017年 10月 09日 懸賞

『道を示してくださる主』

【イザヤ30:18 それゆえ、【主】はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。【主】は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。30:19 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。30:20 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。30:21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。】

①手の父なる神様は、私たちが恵みを受けるにふさわしくなかったとしても、
恵みを与えようと待っておられるお方なのです。
私たちが主を待ち望むならば、
主は叫びを聞かれ、答えられ、道を示してくださるのです。
ですから私たちは信じ、諦めることなく、主に訴え続けることができるのです。




『いったん願い事を、主にお捧げする』

【ヘブル11:17 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。11:18 神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、11:19 彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。・・・】

①信仰の父アブラハムは、主からのテストを受け、自分の大切な一人息子を主に捧げました。
しかし主はそのイサクを返してくださったのです。
私たちが本当の主を一番としているかどうかが、このテストの意味合いなのです。

②いったん主の自分の願いをお捧げしても、本当に必要なものは返ってくるのです。
そのことを通じて、私たちの心の中が「聖められ」、
「祝福を受けやすい心」へと変えられるのです。




20171009


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# by Happiness-eachday | 2017-10-09 05:10 | 2017年 | Trackback

10月8日イザヤ27-28章 ヘブル 11:1-16

懸賞 2017年 10月 08日 懸賞

『主と和を結び、再臨に備える』

【イザヤ27:5 しかし、もし、わたしのとりでにたよりたければ、わたしと和を結ぶがよい。和をわたしと結ぶがよい。27:6 時が来れば、ヤコブは根を張り、イスラエルは芽を出し、花を咲かせ、世界の面に実を満たす。】

①天の父なる神は、信じる者たちを祝福したいと考えておられることが分かります。
しかし大切なことは、私たちが「主と和を結ぶこと」です。
主は私たちに救いの手を伸ばしておられます。
しかし私たちが受け取らなければ、それは地に落ち、私たちには届かないのです。

②再臨の時が来れば、多くの変化が起こります。
特に神を信じる者たちは、明らかな形で、世界に影響を与えるように用いられるのです。




『私たちを見て、誇りに思って下さる主』

【ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。】

①神様に喜んで頂く唯一のものは「信仰」です。
そして多くの信仰の先人たちが、「信仰」のゆえに、
「約束のもの」を信じながらも、受け取ることなく、「信仰の道」を歩みきったのです。

そのような献身の生涯を見て、神はそれらの人々を「誇りに思われた」のです。
私たちが、後(うしろ)のものを忘れ、主に従いながら歩む時、
主はあなたに対しても「誇りに思われる」のです。


20171008


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# by Happiness-eachday | 2017-10-08 05:03 | Trackback

10月7日イザヤ25-26章 ヘブル10:19-39

懸賞 2017年 10月 07日 懸賞

『主によって与えられる勝利』

【イザヤ25:8 永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。【主】が語られたのだ。25:9 その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ【主】。その御救いを楽しみ喜ぼう。】

①主は、未来の国では、今地上にある問題や苦しみや恥辱を、永遠に取り除かれます。
愛情あふれる親のように、子どもたちの目から涙を拭きとって下さるのです。

②この勝利は、キリストが再び来られて、あらゆる悪に最終的に勝利された時に、初めて与えられるのです。
私たちはその時を「熱心に待ち望む」必要があります.

熱心に再臨を待ち望む人は、人生のあらゆる局面を通じて、
神に喜ばれるところに立ち続けることができるのです。




『キリストの身体に近づく勧め』

【ヘブル10:22 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。10:25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。】




20171007


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# by Happiness-eachday | 2017-10-07 05:07 | 2017年 | Trackback

10月6日イザヤ23-24章 ヘブル10:1-18

懸賞 2017年 10月 06日 懸賞

『主を信じる者の賛美と悪の裁き』

【イザヤ24:14 彼らは、声を張り上げて喜び歌い、海の向こうから【主】の威光をたたえて叫ぶ。24:15 それゆえ、東の国々で【主】をあがめ、西の島々で、イスラエルの神、【主】の御名をあがめよ。・・・
24:21 その日、【主】は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。24:22 彼らは囚人が地下牢に集められるように集められ、牢獄に閉じ込められ、それから何年かたって後、罰せられる。24:23 月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の【主】がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。】

①終わりの時、神を信じる者は、心から神を崇め、悪が滅びることを見るのです。
②それは信じる者には、救いの時ですが、悪にとっては裁きの時なのです。
そして主イエスがすべてを治めるようになると、聖書は預言するのです。

・・・聖書には世の終わりが記されています。
それは確実にやってきます。あなたには、その備えができていますか。




『キリストの罪の赦しの代価』

【ヘブル10:12 しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、10:13それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。10:15 聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。10:16 「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。10:17 「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」10:18 これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。】

①キリストは、ただ一度、ご自身を捧げられたことによって、
すべての罪の赦し(贖い)の代価を支払われました。
ですから、キリスト以降は、罪の赦しの為の代価(いけにえ)は不要になったのです。

この恵みの素晴らしさは、人類が求めていたものです。
イエス様の「罪の贖い」を信じる者は、この壮大な恵みをすでに頂いた者たちなのです。






20171006


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# by Happiness-eachday | 2017-10-06 04:55 | 2017年 | Trackback

10月5日イザヤ19-22章 ヘブル9:11-28

懸賞 2017年 10月 05日 懸賞

『主に喜んで頂きたいという純粋な心』

【イザヤ22:4 それで、私は言う。「私から目をそらしてくれ、私は激しく泣きたいのだ。私の民、この娘の破滅のことで、無理に私を慰めてくれるな。」・・・
22:12 その日、万軍の神、主は、「泣け。悲しめ。頭を丸めて、荒布をまとえ」と呼びかけられたのに、22:13 なんと、おまえたちは楽しみ喜び、牛を殺し、羊をほふり、肉を食らい、ぶどう酒を飲み、「飲めよ。食らえよ。どうせ、あすは死ぬのだから」と言っている。】

①イザヤは「真の預言者」であり、主の悲しみをを思い、自ら嘆き悲しみました。
人々の造り主に対する「霊的反抗心」を心から悲しんだのです。

しかし多くの人々は、主の御心を考えることもなく、今さえ良ければよいと、刹那的に生きていたのです。

②あなたは主が喜ばれるように生きたいですか。
自分の願うままを生きたいですか。
このことは、主を信じた後の訓練によって、立場がはっきりします。

しかし最も大切なことは、心の奥底で「主に喜ばれたい」という純粋な心なのです。




『主が計画された、必ず起ること』

【ヘブル9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。】

①私たちには、死後「裁き」を受けることが定められています。
そこで主によって、良いことも悪いことも明らかにされ、正しく裁かれるのです。
そのことは必ず起こることです。

②キリストの十字架の贖いも、天の父にとっては必然でした。
このことは私たちにとって「大きな感謝」です。
(このことによって私たちは救われましたから)

そして再臨の約束も同じように必ず起きることであり、
聖書は「必ず、再臨の備えをするように」と、勧めているのです。



20171005


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# by Happiness-eachday | 2017-10-05 05:33 | 2017年 | Trackback