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カテゴリ:2010年5月( 31 )

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5月31日ヨブ記28-31章『ヨブの確信が傲慢に変わる時』

懸賞 2010年 05月 31日 懸賞

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『ヨブの確信が傲慢に変わる時』
【31:35 だれか私に聞いてくれる者はないものか。見よ。私を確認してくださる方、全能者が私に答えてくださる。私を訴える者が書いた告訴状があれば、31:36 私はそれを肩に負い、冠のように、それをこの身に結びつけ、31:37 私の歩みの数をこの方に告げ、君主のようにして近づきたい。31:39 あるいは、私が金を払わないでその産物を食べ、その持ち主のいのちを失わせたことがあるなら、31:40 小麦の代わりにいばらが生え、大麦の代わりに雑草がはびこるように。ヨブのことばは終わった。】

①ヨブが受けた試練の前、人々はヨブを尊敬し、ヨブ自身が言うようにヨブは正しい人として模範的な人生を歩んでいました。②しかし友人たちの批判に答え自分の正しさを主張する中で、彼の心は「神の前でも自分は正しい」と傾き始めたのです。これは傲慢のこころです。・・人は自分の正しいとどこかで思っています。心の中では『神もこの思いを認めてくださる』と思っています。しかし神の前で、それが正しくないならば「それは表に出され、癒されるべきもの」なのです。主がヨブの傲慢を取り扱われたように、主は私たちのこころの奥のゆがみを聖め、良いものへと作り変えられるのです。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-31 13:30 | 2010年5月 | Trackback

5月29日ヨブ記24-27章『人間の知恵の限界』

懸賞 2010年 05月 30日 懸賞

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『人間の知恵の限界』
【27:4 私のくちびるは不正を言わず、私の舌は決して欺きを告げない。27:5 あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。27:6 私は自分の義を堅く保って、手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない。】

①ヨブは、表面的に自分を責め立てる友人たちの論法に納得がいきませんでした。なぜならヨブが努力してきた正しさと彼の信仰心を彼らが認めす、ヨブ以上の信仰の生活も彼らはしていなかったからです。②・・・しかしここには落とし穴があります。人の前で正しさを主張することは良いのですが、主張し続けていくうちに、いつしか神の前でも自分は正しいと言いはじめる危険性が、人間にはあるのです。③友人も人間的な知恵に限界がありましたが、ヨブ自身も彼の正しさには限界があったのです。・・・ヨブは神と出会うためにはもうしばらく時間がかかります。神は私たちのこころの奥にある『隠れた罪』をあらわにさせてから、私たちの心を聖めることが多くあるのです。自分の醜さを見た時、それは主の赦しと聖めの時だと考えましょう。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-30 07:00 | 2010年5月 | Trackback

5月29日ヨブ記20-23章『人間の知恵を超えた、理由』

懸賞 2010年 05月 29日 懸賞

『人間の知恵を超えた、理由』
【23:9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。23:12 私は神のくちびるの命令から離れず、私の定めよりも、御口のことばをたくわえた。23:13 しかし、みこころは一つである。だれがそれを翻すことができようか。神はこころの欲するところを行なわれる。23:14 神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。23:15 だから、私は神の前でおびえ、これを思って、神を恐れているのだ。】

①ヨブは現実の苦しみの真の理由を主に訴え、知ることを求めていました。②なぜなら友人たちが挙げる「人間的な因果応報や罪の処罰」では、苦しみの理由をヨブは見つけることができなかったからです。・・・主には計画があります。それを人間の次元(ヒューマニズム)だけでは理解することはできません。ヨブのように主を恐れ、主に求め続ける時に、必ずその答えが見つかります。その時が大きな祝福を受ける時なのです。YCCFuji(続きはブログで)

コメント
ヒューマニズム(人間中心主義)は、良いものではありますが
それが最終的な考え方になると、危険な考え方になります。

登山で、頂上を目指しますが、途中の尾根を頂上だと錯覚してしまうと、
頂上が見えなくなってしまうのです。
同じように、途中の尾根(ヒューマニズム)が頂上(答え)だと考えると、
目に見えない世界で起きている原因を見ることができなくなるのです。

ヨブは、人間の知恵では理解できない理由を、創造主に訴え、求めました。
ですから、悩みの時間は続きましたが、最終的には神の答えを頂き、
「病気や問題から回復」され、「以前の2倍の祝福」を創造主から頂きました。
しかし、このメカニズムは、人間には理解できないものなのです。

一方、彼の友人たちは、人間に見える状況(ヒューマニズム)だけで判断したので、
誤った判断を下したのです。

もう一度書きますが、ヒューマニズム(人本主義)はある部分は私たちを支えます。
しかし目に見えない世界(創造主の働き:神本主義)を含めて判断しなければ
真の答えを見出せないのです。

真の答えを見つけるためには、一度、尾根(人本主義:ヒューマニズム)から手を離さなければなりません。
尾根よりも高いところに立って、初めて尾根の意味が解かるのです。

そのために、尾根よりも高いところ(頂上)におられる創造主に、ヨブのように訴え、祈るのです。
そうすればある瞬間に、主が「自分の価値観の限界を超えた、知恵」をあなたに与えられるからです。

真理を見つけるため
聖書を読み、強く創造主に答えを、求め祈り続けましょう。
あなたには必ず、答えが与えられます。
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by happiness-eachday | 2010-05-29 11:28 | 2010年5月 | Trackback

5月28日ヨブ記16-19章『天におられる証人』

懸賞 2010年 05月 28日 懸賞

『天におられる証人』
【16:19 今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。16:20 私の友は私をあざけります。しかし、私の目は神に向かって涙を流します。16:21 その方が、人のために神にとりなしをしてくださいますように。人の子がその友のために。16:22 数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくからです。】

①ヨブの友人たちは、ヨブの表面的なことだけを見て自己判断で問題を指摘しました。そしてヨブが神に訴えていた祈りと叫びを、単なる批判とつぶやきだと理解し、自分の価値観で受け取り、批判しました。②ヨブは友から激しく訴えられ、苦しみの中、「天におられる証人」は私を正しく理解し、正しく裁き、とりなしてくださることを信じ求めました。・・・人間的知恵では限界があります。今の苦しみの意味も「自分」や「人」の罪の問題も、人間的に理解でできないことが多くあります。しかし天におられる証人(イエス様)は、それらすべてを知り、正しく裁き、愛を持ってとりなしておられるのです。神と私たちの間に、とりなし手(イエス様)がおられることを感謝しましょう。この方がすべてを導いてくださるので、私たちは苦しみの中にあっても、希望を持って生きることができるのです。YCCFuji

コメント【天の証人はだれで、その方は何をしてくださったのか】
イエス様は、どうして私たちの証人であり、私たちをとりなしてくださるお方なのでしょうか?

天の証人は私たちのすべてを知っておられるお方です。

人間同士の問題ならば、信頼おける第三者に立ってもらって、和解や仲裁に入ってもらうことは可能でしょう。
しかしこと「創造主と人間の問題」は、人間が仲裁者として立つことができないのです。
それは、アダムとイブの原罪以降、すべての人間は神から離れ罪の中に生き、神に納得していただける仲裁者に立つ資格のある人間が、一人もいないからです。

その資格を持った方が、イエス様なのです。
イエス様は神であり罪がないお方ですが、あえて人間となり(この真理は偉大です)、人の身代わりに罪を背負い、十字架にかかられて罰をすべて受けてくださったのです。そしてこの方を信じる者は罪が赦され、父なる神(創造主)との関係が修復できるのです。

この方(イエス様)は全能者ですから、すべてを知っておられるお方です。そしてとりなす資格を持っておられるのです。

宗教は、その仲裁者を求めてきたともいえるでしょう。(ユダヤ教・イスラム教・仏教との比較は別の箇所でお話します)
この仲介者、天の証人(イエス様)が、私のためにとりなしてくださることが、どれほど素晴らしいことかを感動を持って覚えさせられるのです。
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by happiness-eachday | 2010-05-28 09:46 | 2010年5月 | Trackback

5月27日ヨブ記13-15章『主に答えを求める』

懸賞 2010年 05月 27日 懸賞

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『主に答えを求める』
「13:1 見よ。私の目はこれをことごとく見た。私の耳はこれを聞いて悟った。13:2 あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。13:3 だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。・・・」「14:13 ああ、あなたが私をよみに隠し、あなたの怒りが過ぎ去るまで私を潜ませ、私のために時を定め、私を覚えてくださればよいのに。14:15 あなたが呼んでくだされば、私は答えます。あなたはご自分の手で造られたものを慕っておられるでしょう。」

①ヨブは友人たちの罪の指摘に対して、『自分はそのことは知っている』と返しています。②そしてヨブは、人間では解からない問題の答えを神に求めました。・・・人間の目や、人間の次元の因果応報では解決できないことがこの世界にはあります。その時に人が主に向き、主に聞くならば解決が与えられるのです。ヒューマニズム(人本主義)には限界があります。そのことを深く理解して、主に求めるときにふさわしい答えを受け取ることができるのです。ただし多くはヨブのように瞬間的に答えを与えられません。その時、忍耐を持って求め続けることがカギなのです。YCCFuji

コメント:「ヒューマニズムの限界」
人からやさしくしてもらったり、気にかけてもらうことは私たちにとって大切な交わりです。
これによって勇気をもらい、励ましや慰めを受けることができるからです。

しかし神を信じる者が、もしこの人間的な支えだけに目を向け、そこに解決を求めてしまったならば、
実は危険なことなのです。

そうすると、次第に人間的な解決や支えだけにより頼むようになり、もっと支えられたいもっと慰められたいとなっていき・・・いつしか神に頼ることから遠のいてしまうのです。

このことが非常に危険なのです。
少し考えれば分かりますが、人間的な支えには限界があります。人は人に期待に完全には応えられません。そうなると時に支えてくれない人を裁き、拒否するような極端な対応をしてしまいます。

その時こそ、人ではなく創造主に、最終的な解決を求めることが、健全な方向なのです。
そうすれば、変わらずに人を愛し、健全な人間関係を保つことができます。
人間関係が「偶像:(創造主以外のものを支えにすること)」になってしまっては、本末転倒なのです

偶像を持つと、偶像に縛られます。そして一番恐ろしいことは、創造主から遠のき、祈ることから疎遠になるのです。これは危険なことです。

神を信じる人で、「自分は最近、創造主に頼り、祈ることが少なくなった」と感じる方は、自分自身を振り返りましょう。そして偶像を持っているかどうかをチャックしましょう。
偶像は宗教的なものだけではないのです。(友人・子供・地位・お金・・時に自分の能力も、偶像になりえます)

他の何かを求める以上に、一番に創造主を求めることは健全なことです。
そうすれば、すべてに縛られない、自由な人生(規範を越えることもない)を生きることができるのです。
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by happiness-eachday | 2010-05-27 09:57 | 2010年5月 | Trackback

5月26日ヨブ記10-12章『主に祈り訴える』

懸賞 2010年 05月 26日 懸賞

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『主に祈り訴える』
10:1 私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。10:2 私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。10:4 あなたは肉の目を持っておられるのですか。あるいは、人間が見るように、あなたも見られるのですか。10:6 それで、あなたは私の咎を捜し、私の罪を探られるのですか。」

①ヨブは、苦しみの中で心の叫びを主に訴えました。しかし主の御心はすぐに答えを与えることではなかったのです。②主の答えはこの先38章で突然やってきました。それまでヨブは祈り続け、主に訴え続けたのです。③そして最後には主の答えを頂いて、病が癒され、かつての2倍の祝福が与えられたのです。・・・苦しみの中にも主は働いておられます。そしてその人の祈りを主は確かに聞いておられるのです。待つことが長いと思える時にも、信じ続けましょう。現在の環境には主の計画があることを聖書は教えてくださるのです。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-26 08:54 | 2010年5月 | Trackback

5月25日ヨブ記7-9章『神と人との仲介者の必要』

懸賞 2010年 05月 25日 懸賞

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『神と人との仲介者の必要』
【7:11 それゆえ、私も自分の口を制することをせず、私の霊の苦しみの中から語り、私のたましいの苦悩の中から嘆きます。・・・9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう。」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。9:34 神がその杖を私から取り去られるように。その恐ろしさで私をおびえさせないように。9:35 そうすれば、私は語りかけ、神を恐れまい。いま私はそうではないからだ。】

①ヨブは自分の苦しみの理由がわかりませんでした。ですから主に叫び、答えを求めたのです。②しかし自分自身が罪人であることをヨブは深く自覚していました。③そして神と人との間に立ってくださる仲介者(キリスト)が自分のために必要だと悟ったのです。・・人間の理解(ヒューマニズム)では、真の現実を理解できません。神があなたの人生に関わることを知って、初めて現実が理解できるのです。神に訴えましょう。そしてキリストにすがりましょう。キリストは神と私をつなぐ方として、私を導いてくださるのです。YCCFuji


コメント:「ヒューマニズムを超える」
神が何を願っておられるのか?
これが人としてよい生き方をする大事なポイントです。

道路交通法を無視しての車の運転がありえないように
神の願い(律法)を無視しての、人生の正しい道はありえないのです。

ですから、人本主義(ヒューマニズム)はある部分は素晴らしいのですが
限界があります。

「神を迎えたヒューマニズム(これを神本主義といいます)」でなければ、現実を正しく理解できないし、正しい対応もできないのです。

まず知識から入りましょう。自分の考えを超えた神の計画があることを認識するのです。
そしてヨブのように、感情を注ぎ出して祈りましょう。
自分のこころ(感情)に、主が触れて下されなければ、ヒューマニズムの感情を超えて、心から主にお従いすることはできないのです。

自分の感情がどういう状態でも、道路交通法があるように
どんなコンディションでも、神の願い(律法)を意識して生活しなければ、
良い選択をすることはできないのです。

キリスト(イエス様)は、私たちの仲保者(仲介者)として、私たちが神と共に歩めるように助けてくださるのです。
知識でも
感情でも
キリストは助けてくださいます。

そして意志を持って私たちは、良いものを選択するのです。
「からし種ほどの(小さな)信仰が」山をうごかすのです。(マタイ17:20)
神本主義に立った、小さな選択が、あなたの人生を大きく変えるのです。
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by happiness-eachday | 2010-05-25 09:07 | 2010年5月 | Trackback

5月24日ヨブ記4-6章『人間的知恵の限界』

懸賞 2010年 05月 24日 懸賞

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『人間的知恵の限界』
【6:8 ああ、私の願いがかなえられ、私の望むものを神が与えてくださるとよいのに。6:9 私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10 私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。6:11 私にどんな力があるからといって、私は待たなければならないのか。私にどんな終わりがあるからといって、私は耐え忍ばなければならないのか。】

①サタンの業によって、ヨブは大きな試練に遭いました。②エリファズは人間的な知恵で、ヨブに訓戒しますが、ヨブの心には届きませんでした。なぜならヨブはいつも神の言葉を守り従い続けたからでした。・・・主に従い続けても試練に遭うことがあります。その理由は人間の経験や知恵では図りきれません。エリファズの心無い言葉によって、ヨブはますます神の前に祈り訴えるようになったのです。ヨブは直ぐに神の答えを頂けませんでした。しかし主に訴え続けた時に、最後には主からの答えを頂けたのです。求め続けるときに、主の計画によって神の知恵にまで至るのです。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-24 08:43 | 2010年5月 | Trackback

5月23日ヨブ記1-3章『サタンの攻撃と主の助け』

懸賞 2010年 05月 23日 懸賞

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『サタンの攻撃と主の助け』
【2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼(ヨブ)をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。】

①ヨブ記は「なぜ義人が苦しみに合うのか」という永遠のテーマを教える書簡です。②第一にサタンは、信仰者を攻撃するということ③第二に、神の許可の範囲でしかサタンの攻撃はできないということ④第3に神がサタンの攻撃を許可する場合は、苦しみの後に大きな祝福が準備されていること・・・が分ります。私たちはサタンを恐れる必要はありません。しかし苦しみの中にあっても、主と出会うところまで近づく必要があります。信仰を持ち続けましょう。叫び続けましょう。死を越えるような苦しみの中こそ、劇的な主との出会いが計画されているのです。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-23 00:06 | 2010年5月 | Trackback

5月22日エステル7-10章『危機の後に祝福を与える主』

懸賞 2010年 05月 22日 懸賞

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『危機の後に祝福を与える主』
【10:2 彼の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか。10:3 それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。】

①主は、ユダヤ人の敵ハマンの悪巧みを打ち壊し、ユダヤ人を救ったばかりか、ユダヤ人に反逆していたものが一掃されました。②主は、私たちの環境に悪い力がやってきてもそれを乗り越えさせ、乗り越えた後は、前よりも素晴らしく変えてくださるのです。・・・あなたの危機は何でしょうか。主はそれを乗り越えさせ、以前よりも素晴らしく導かれるのです。明日はペンテコステの日です。人々が罪を悔い改め、聖霊が下り、教会が始まった日です。主の「人の知恵を超えた計画」に期待しましょう。そして主の「新しい祝福」をへりくだって待ち続けましょう。YCCFuji
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by happiness-eachday | 2010-05-22 10:28 | 2010年5月 | Trackback