カテゴリ:2010年4月( 30 )

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4月30日1歴代25‐29章『親が子供にできること』

懸賞 2010年 04月 30日 懸賞

『親が子供にできること (主に従うことを伝える大切さ)』
28:6 そして、(主は)私(ダビデ)にこう仰せられた。『あなたの子ソロモンが、わたしの家とわたしの庭を建てる。28:7 もし彼が今日のようにわたしの命令と定めを行なおうと堅く決心しているなら、わたしは彼の王位をとこしえまでも確立しよう。』・・28:9 わが子ソロモンよ。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。」

①主はダビデに現れ、ソロモンが主に従い続けるならば祝福される約束を語られました。②ダビデは、主が心を見られる(1サムエル16:7)ことを知っていましたから、息子に心から主に従う大切さを伝えたのです。・・主は隅々まで、私たちの心を見ておられます。私たちが責任を果たしているかどうか、子供たちが果たしているかを、愛をもって見ておられるのです。子供たちの祝福のため、こころから主に従うことを教えましょう。私たちもそのための模範となれるように主に祈りましょう。YCCFuji

コメント
何をするか。どこまでするか。これは責任の領域です。
「自分の責任が取れるかどうか」
「どこまでが自分の責任なのか・・見極めることができるかどうか」
これらのセンスは、大人として生きる上で極めて大切なポイントです。

親ができること、子供ができること、もしそれをあいまいにしたまま、どちらかが責任を取らないならば、どこかで軋みが起きます。

子供たちを自立の方向にいつも向かわせながら、親は子供ができないことのフォローをする。
子供の出来ないことは親が助ける、しかし子供が取るべき責任の自覚は持たせる。
この感覚が大切だと言えます。

子供はいつか大人になります。依存と分離はセットで見ていかなければなりません。
自分の責任はどこまでなのか。相手の責任はどこまでなのか?
模範解答はありませんので、絶えず私たちは問いかけながら、今のベストを選び続けることしかできません。

ダビデが息子ソロモンに、神に従うことを語りましたが、ソロモンが従い続けるかどうかは、最終的には息子ソロモン自身の責任となるのです。
親として、自己満足ではなく、子供の現在と将来にとって最も良いことを選び続けたいものです。

そして「責任の範囲を見極める知恵を」親自身が主から頂けるように祈りたいのです。
自分(親)も責任を取りますが、子供にも子ども自身が持つべき大切な責任感を、育てていきたいと願います。
これはどのような人間関係でも、指導する側と、される側に、当てはまることでしょう。

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by happiness-eachday | 2010-04-30 10:57 | 2010年4月 | Trackback

4月29日1歴代22-24章『親の働きを祝される主』

懸賞 2010年 04月 29日 懸賞

『親の働きを祝される主』
「22:3 ダビデは、門のとびらの釘および留め金用の鉄をたくさん用意し、青銅も、量りきれないほどおびただしく用意した。22:4 また、杉の木も数えきれないほど用意した。シドン人とツロ人がダビデのもとに杉の木をおびただしく運んで来たからである。22:5 ダビデは言った。『わが子ソロモンは、まだ若く力もない。主のために建てる宮は、全地の名となり栄えとなるように大いなるものとしなければならない。それで私は、そのために用意をしておく。』こうして、ダビデは彼が死ぬ前に多くの用意をしておいた。」

①ダビデは主にために神殿を建設したいと願いましたが、主は彼の子ソロモンがその仕事をすると語られました。②そのためダビデは、息子がその仕事をしやすいように精一杯の準備を努めました。・・・親は子供を愛しています。子供のために準備をします。そして子供に「使命」があるならば、それができるように最大限の努力するのです。・・主はこのダビデの親心を祝福し、そのための知恵も財(経済・人材)も備えてくださいました。主に期待しましょう。主は親の働きを祝福してくださるのです。YCCFuji

コメント
親は子供を愛しています。
子供のために、世話をし、習いごとに通わせ、子供の必要のため努力をします。
しかし神様を信じた両親は、更に子供のためにたくさんのことができるのです。

私の家では、学校に出かける前に、必ず子供たち一人ひとりに手を置いて、お祈りをします。『一日守られますように』これは習慣になっています。忘れている時には子供のほうから『お祈りして』と言います。
神様が守ってくださることが最大の恵みですが・・親の祈りが子供を支え、安心感を与えるのです。

政治でも芸術の世界でも、2世3世は、優遇されます。それは人脈だけでなく、親や祖父母のサポートがあるからです。

うちの妻はクリスチャン2世ですが、私は初代のクリスチャンです。結婚して感じていることは、義父母から信仰上のアドバイスをもらうことも恵みですが、義父母に祈ってもらっていることが、私にとって大きな支えてなっています。

創造主への信仰は、人生の一時期だけのものではなく、生涯そして子供孫へと続くものです。
初代クリスチャンは、初代の恵みをたくさん頂きます。しかし2代目3代目となると、ますます深い祝福が子供たち孫たちへ与えられるのです。聖書では、創造主を信じると「千代の祝福がある」と約束されています。

初代のクリスチャンは、毎日の生活を楽しみ、子供や家族を愛して、生涯主に仕えていきましょう。
自分の信仰の歩みは、自分だけのものではなく、「子孫につながるもの」だと自覚しましょう。
そして自分が経験した以上の祝福を、子供たちに見ることができることを期待しましょう。

2代目3代目のクリスチャンは、恵みが当たり前のものではなく、先代の信仰の闘いの勝利によって与えられたものであることを自覚し、バトンを次の世代に託していきましょう。
主はそれぞれの世代に、使命を与えられているのです。

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by happiness-eachday | 2010-04-29 11:56 | 2010年4月 | Trackback

4月28日Ⅰ歴代19-21章『誘惑の危険、悔い改め』

懸賞 2010年 04月 28日 懸賞

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『誘惑の危険、悔い改め』
21:1 ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。・・・21:7 この命令で、王は神のみこころをそこなった。神はイスラエルを打たれた。21:8 そこで、ダビデは神に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。・・」

①ダビデ王は晩年、神よりも民の数により頼み民を数え、そのことが神の御心に反しました。②彼はそのこと気がついた時、こころから悔い改め、主に委ねました。③そして祭壇を築くようにという、神からの命令を、自分の費用で行ったのです。・・・ダビデほどの人物でも、弱さがあります。その弱さに付け込み、悪魔は人間を誘惑するのです。批判、不信、苦い根・・・人はいくつかの弱さを持っています。しかし罪に気がつき正直に悔い改める時、主は赦しの道を準備されているのです。もう一つ大切なことは、その後、主を礼拝し、従い続けることです(18節)。今日も主にお従いしましょう。主は失敗を乗り越え、私たちを導く神なのです。YCCFuji

コメント
人には、弱いところがあります。
それは最初から出てくるときもあれば、ある状況になると、出てくる弱さもあるのです。

ダビデが必死に戦っていた若い頃には、彼はその様なことを考える余裕さえなかったのです。
しかしダビデが国の実権を握った晩年、彼は民の人数を数え、兵士の数を把握し、自分の力を確認し誇示しようとした、隠れていた欲が出てきたのです。

私たちも、必死に生きている時には、受けない誘惑があります。しかし物事を達成した後、私たちが何を実は頼りとしようとしていたかが、明らかになる時があるのです。その時に、自分の誇ろうとするもの(お金や家、地位や名誉、時に自分自身)を頼りにしていたならば、それらの偶像(真の創造主以外のもの)によって足元をすくわれることがあるのです。

しかし失敗を通じて、学ぶと言うことが私たちの人生の一面でもあります。
ダビデの素晴らしいところは、気がついたときに、素直に悔い改め、主に委ねることが出来たことです。

そして主から命じられた、「祭壇を築き、礼拝を捧げる」行為を、ここらから成し遂げたのです。(自分のお金でそれをしたところに彼の動機を見ることが出来ます)
彼の人生は、この後も主に導かれ、祝福が与えられ続けました。それは彼が真に悔い改めたことの証拠でもあるのです。

失敗して、自分の心の弱さに気がついた時、それを悔いるだけの人もいます。その場合は、行動が変わりません。(だだ何度も悔いるだけ、反省するだけです。)
しかしこころからの悔い改めは、それが一見、変化を伴わないように見えても、必ず方向が変えられていくのです。(ちょうど、分かれ道が最初はわずかでも、次第に離れていくのと同じです)

目には見えませんが、現実に存在されている創造主の前で、正直に歩みましょう。主に対して正直ならば、ダビデのように、あなたは必ず良い方向に導かれるのです。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。ガラテヤ5章」
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by happiness-eachday | 2010-04-28 12:07 | 2010年4月 | Trackback

4月27日Ⅰ歴代16-18章『選ばれた者』

懸賞 2010年 04月 27日 懸賞

『選ばれた者』(祝福の約束を受け取る人生)
「17:7 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。17:8 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前で、あなたのすべての敵を断ち滅ぼした。17:11わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。」17:16 ダビデ王は行って、主の前に座し、そして言った。「・・17:25 わが神よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、しもべのために家を建てようと言われました。それゆえ、このしもべは、御前に祈りえたのです。・・」

①主はダビデを選び、その子孫を祝福すると約束されました。②バビロン捕囚の解放後(この書が書かれた時代)であっても、その約束は変わることなく続いていたのです。③選ばれたダビデがこの約束を聞き、主の前に祈ることが出来たように、クリスチャン一人ひとり(あなた)も神に選ばれた者です。ですから主の約束を受け取るならば、主に近づきお願いすることが出来るのです。「神に近づきなさい。そうすれば神はあなたがたに近づいてくださいます(ヤコブ4:8)(参照ヘブル10:22)」YCCFuji

コメント
バビロン捕囚解放後100年が過ぎた時代にこの書が書かれました。人々は、解放後、問題の中で希望が薄れ、以前の悪い方向に向かいつつあったのです。その状況にあって父なる創造主は、この書を書かせたのです。私たちはここからいくつかのことを学ぶことが出来ます。

①悪いパターンを止めること
 一度、悪いパターンに落ちてしまうと、悪いパターンを修正してそこから抜け出そうとしても、不可能となります。ですから、その悪いパターン自体を止めるのです。・・・理屈ではなく、ただ止めるのです。
 
②希望と約束に目を向けること
私たちに与えられた状況の中には、良い約束と悪い状況が混在します。問題が続くと、悪い方向にばかりに目を向けがちですが、意図的に、良い約束に目を向けるのです。

③希望と約束を活用すること(良い種まき)
良いものに目を向けることが出来たなら、それを活用するのです。具体的には、『希望を告白してみる』『約束を中心に考え、言動する』ことです。

マタイの福音書に「25:29だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。」とあります。
これは真理です。持っているものがたとえわずかでも、それを活用するならば、増えると言うのが、真実です。
反対に、悪いものばかりに目を向け続ける(不足ばかりに目を向ける)と、持っていないものは、持っているものまですべて取り上げられてしまうとありますので、大変なことになります。

悪いものを見ないようにするのではありません(それは不健全ですから)事実を認めつつ、
①悪いパターンを止め、②約束に目を留め、③約束を活用し続ける・・・このことが聖書から教えられる祝福の中を生きる考え方なのです。
これが頭や理屈ではなく、生活を通じて、日々出来るようになりたいものです。

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by happiness-eachday | 2010-04-27 09:35 | 2010年4月 | Trackback

4月26日Ⅰ歴代13-15章『主の知恵によって歩む』

懸賞 2010年 04月 26日 懸賞

『主の知恵によって歩む』
14:8 ペリシテ人は、ダビデが油をそそがれて全イスラエルの王となったことを聞いた。そこでペリシテ人はみな、ダビデをねらって上って来た。14:10 そこで、ダビデは神に伺って言った。「ペリシテ人を攻めに上るべきでしょうか。」すると主は彼に仰せられた。「上れ。わたしは彼らをあなたの手に渡す。」14:11 ダビデはそこで彼らを打った。・・・14:14 そこで、ダビデがさらに神に伺ったところ、神は彼に仰せられた。「彼らを追って上って行くな。彼らには面と向かわず、回って行き、バルサム樹の林の前から彼らに向かえ。」

①聖書には、このように主より知恵を与えられ勝利を得た記録が多く書かれています。②主からの知恵は、いつも同じではありません。ですから絶えず主に聞き続ける姿勢が大切なのです。③私たちが目立つ位置に立つと攻撃されることがあります。しかし主と共に歩むならば、恐れることはないのです。今日もまず、『一日を導いてください』と主に祈りましょう。そして主の知恵を聞く余裕を持つのです。YCCFuji

コメント
私たちが、毎日の問題や危機的な状況に追い詰められた時、こころがパニックになり、何も考えられなくなる時があります。その様な時こそ、まず落ち着くことが大切です。
少し間をおいてみる、時間も大切な要素です。しかし信仰者は、祈ることによって、落ち着きを取り戻すことが出来ます。
次に大切なことは「自分がすべての答えを持っていない」ことに気がつくことです。
「自分は分かっている」「自分は助けがなくてもできる」これは正しい考えではありません。分っていたとしても、それはある部分だけの理解と言うのが、正しい認識です。
その事実に気がつくならば、助けを求めることができるのです。
聖書に描かれている創造主は、全能者です。知恵に満ちています。そしてこころから求めるならばそれに答えてくださるお方です。あなたの日常の問題に、まず主に助けを求める習慣を身につけましょう。
そうすれば、主はそこに何度も解決の知恵を与えてくださるのです。

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by Happiness-eachday | 2010-04-26 09:29 | 2010年4月 | Trackback

4月25日Ⅰ歴代10-12章『苦しみの背後に主の計画がある』

懸賞 2010年 04月 25日 懸賞

『苦しみの背後に主の計画がある』 11:1 全イスラエルは、ヘブロンのダビデのもとに集まって来て言った。「ご覧のとおり、私たちはあなたの骨肉です。11:2 これまで、サウルが王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。しかもあなたの神、主は、あなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがわたしの民イスラエルの君主となる。』」11:3彼らは、サムエルによる主のことばのとおりに、ダビデに油をそそいでイスラエルの王とした。

①ダビデは、主から王としての約束を得ていましたが、長い間、サウル王から逃亡し続けなければなりませんでした。②しかしその苦しみの時にあっても、主は、ダビデを王として導き、整えられたのです。・・・絶望的に見える中にも、背後に主の計画はあります。私たちはその事を、聖書を通じて信じることが出来るのです。その信仰を持つことができれば、問題の中でも希望を持つことができます。ダビデの信仰も主より与えられたものです。私たちも、この信仰を頂きましょう。YCCFuji


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聖書に書かれている希望は、人間の考えた「肯定思考」「可能思考」「積極思考」とは異なります。
肯定思考は、毎日自分自身に語りかけ、自分を教化する「自家発電」です。またはセミナーに出た直後だけ、熱くなる類のものです。
しかし聖書の「希望」は、上から与えられるものであり、「太陽光発電」のようなものです。
曇りさえなければ、無限に力が溢れるのです。
これは人間的に考える肯定思考をはるかに超えるのです。自分の枠を超えた方からの力を頂いて、自分の枠を超えることができるのです。
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by Happiness-eachday | 2010-04-25 07:37 | 2010年4月 | Trackback

4月24日Ⅰ歴代7-9章『災いの後の祝福』

懸賞 2010年 04月 24日 懸賞

『災いの後の祝福』「7:21彼ら(エフライムの子供たち)はこの地の生まれであるガテの人々に殺された。彼らが家畜を奪おうとして下って行ったからである。7:22 彼らの父エフライムは、何日もの間、喪に服した。7:23 その後、・・彼女(妻)はみごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいのさなかにあったからである。・・・7:24 彼の娘はシェエラであった。彼女は上および下ベテ・ホロン、およびウゼン・シェエラを建てた。7:25 彼の子はレファフ、その子はテラフ、その子はタハン、7:26 その子はラダン・・・7:27 その子はヌン、その子はヨシュア。」

①エフラムの子供たちは降ってわいたような災いのため大変な目に会いました。しかし後に彼に与えられたベリヤ(災いの中という意)の娘は、町を建設し、その子孫に、ヌンの子ヨシュアが生まれています。・・・私たちに人生には災いが起きることがあります。しかし災いでは終わらないというのが、神様からのメッセージです。現状だけで失望しないようにしましょう。それを過ぎ越して未来につながるのです。イエス様がすべてに中に、この現状の中にも導きを与えておられることを信じましょう。YCCFuji

コメント
私たちは、災いに遭うと、混乱してしまい、どうしたらよいか分からなくなる時があります。
時が解決してくれる・・と言うのも一つの真理です。
また混乱した時に乗じて、奪い取ろうという力が働く時があります。しかし確かな方に相談していくならば、解決がやってきます。
聖書を通じて与えられる神の知恵は、信頼できる相談相手のようなものです。その教えを一つずつ守って進んでいくと、解決がやってくるのです。
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by happiness-eachday | 2010-04-24 18:16 | 2010年4月 | Trackback

4月23日Ⅰ歴代4-6章『祈りを聞かれる神』

懸賞 2010年 04月 23日 懸賞

『祈りを聞かれる神』「4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、『私が悲しみのうちにこの子を産んだから。』と言って、彼にヤベツという名をつけた。4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。』そこで神は彼の願ったことをかなえられた。」

①有名なヤベツの祈りです。ヤベツ(悲しみ)と言う名をつけられた彼の誕生の環境は、必ずしも良いものではありませんでした。②しかし彼が「大いに祝福してください・・・」と祈るとその通りになり、結果として兄弟の中で重んじられるようになったのです。・・・私たちの過去や環境・習慣がどのようなものであろうとも、ヤベツと同じ祈りをする時、神は祝福を与えられるのです。「大いに祝福してくださること」を祈りましょう。「働きが広がるように」「主が共におられるように」「わざわいから遠ざけられるように」祈りましょう。この祈りを信じて行う時、私が変えられ、神の奇跡が現れるのです。YCCFuji


今日から、久しぶりにブログを再開した。しばらく前に、中断せざるを得なかったが、
人々への祝福を祈り、
もう一度種まきをする気持ちで、始めよう・・・と思っている。

「ガラテヤ6:7 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。6:8 自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。6:9 善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」
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by Happiness-eachday | 2010-04-23 17:48 | 2010年4月 | Trackback

4月22日Ⅰ歴代1-3章『選ばれた民』』

懸賞 2010年 04月 22日 懸賞

『選ばれた民』「1:1 アダム(人類の先祖)、セツ、エノシュ、1:2 ケナン、マハラルエル、エレデ、1:3 エノク、メトシェラ、レメク、1:4 ノア、セム(アジア人の先祖)、ハム(アフリカ人の先祖)、それにヤペテ(インド・ヨーロッパ語族の先祖)。・・・」

①歴代誌はバビロン捕囚解放後、100年ほどたった時代に書かれています。②神は歴史を通じて働いておられ、選民を誕生させました。そして後にイエス様を誕生させ、イエス様を信じる信仰によって、私たちを神の子とするように定められたのです。私たちが生きている時代は、このような歴史の流れの中にあるのです。・・・イエス様を信じることができた者たちも、選ばれています。そのことは、神から与えられた使命を持っている、神から生きる意味を与えられている、と言う意味です。・・この書が書かれた当時のように、現実には問題が多くあっても、神が私たちを選ばれたのは事実なのです。この事実を理解しましょう。そしてそこから歴史の中で良い方向に導かれた、主の業に期待しましょう。あなたが主に選ばれ、愛され、祝福が準備されているのは事実なのです。YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2010-04-22 17:46 | 2010年4月 | Trackback

4月21日Ⅱ列王記22-25章『正しく取り扱いをされる神』

懸賞 2010年 04月 21日 懸賞

『正しく取り扱いをされる神』23:26 それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行ないのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。23:27 主は仰せられた。「わたしがイスラエルを移したと同じように、ユダもまた、わたしの前から移す。わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、わたしは退ける。」①南ユダのヨシア王の宗教改革は素晴らしいものでしたが、その祖父マナセの大罪を消せませんでした。ヨシアの良い行いによって、裁きは一時延期されました。しかしこの後、悪い王が続き、罪は正しく裁かれたのです。南ユダはバビロン捕囚を受け、国が崩壊しましたが、預言通り70年の後に解放されたのです。・・・私たちの心にも、正しいものと悪いものが混在します。正しいものは主が評価してくださいますが、悪いものはそれによって帳消しになることはないのです。その悪いものを主に悔い改めて、赦しを得て、初めて解放されるのです。十字架の赦しの恵みを感謝しましょう。主は回復を願っておられます。ヨシア王のように、私たちも主の前にへりくだり、主の願いを行いましょう。YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2010-04-21 17:45 | 2010年4月 | Trackback