カテゴリ:2015年1‐3月( 90 )

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3月31日Ⅱサムエル4-6章『主に喜ばれる人』

懸賞 2015年 03月 31日 懸賞

『主に喜ばれる人』

【6:12そこでダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上った。・・・6:14 ダビデは、【主】の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上った。・・・
6:21 ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前なのだ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。6:22 私はこれより、もっと卑しめられよう。私の目に卑しく見えても、あなたの言うそのはしためたちに、敬われたいのだ。」】

①ダビデは主の箱がダビデの町に入ったことを非常に喜びました。
主の箱は、ダビデの愛するお方の住まわれるところだからです。

②ダビデは王衣を脱いで、
下着の上に祭司がつけるエポテを着て、
飛び跳ねて「喜びを表現」しました。

妻ミカルはそれをさげすみましたが、
ダビデはそれ以上に「主を喜んだ」のです。

③これがダビデのこころです。
人の前にどのように思われようとも、
主の前では「子どものように」感謝と喜びを現わす人が、
ダビデなのです。

この純粋な心を私たちも学びましょう。
主は「彼のこころ」を見て、彼を王に任命したのです。

私たちもダビデのような心を持つならば、
「主に喜ばれる人」となれるのです。YccFuji








20150331
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by Happiness-eachday | 2015-03-31 05:10 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月30日Ⅱサムエル1-3章『転換点での主への祈り』

懸賞 2015年 03月 30日 懸賞

『転換点での主への祈り』

【2:1 この後、ダビデは【主】に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると【主】は彼に、「上って行け」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか」と聞くと、主は、「ヘブロンへ」と仰せられた。2:2 そこでダビデは、ふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょに、そこへ上って行った。2:3 ダビデは、自分とともにいた人々を、その家族といっしょに連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。2:4 そこへユダの人々がやって来て、ダビデに油をそそいでユダの家の王とした。】

①サウル王が亡くなった後、ダビデは主に伺いました。
すると主は「ユダの町ヘブロン」に行くように命じたのです。

そこでダビデはユダ族の王となり、
7年6か月後にイスラエル全体の王となったのです。

②主が王とする約束して下さっても
「時がある」ことを私たちは学びます。
そしてその時までの「最善の方法」も、主は教えて下さることも学ぶのです。

③大切なことは。折々に「主に伺うこと」です。
そのような気持ちで、主に祈り続けるならば、
主は答えを与えて下さいます。

それが長い目で見た時の「最善の一手」なのです。
人間の知識や理解を越えた「創造主のお考え」を聞くことが
「最も能率的な方法」です。

その上で、知恵を尽くしてことを行うのです。
ダビデはそのようにして、主の祝福を受け取っていったのです。YccFuji









20150330
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by Happiness-eachday | 2015-03-30 20:31 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月29日Ⅰサムエル28-31章『絶体絶命からの、主の救い』

懸賞 2015年 03月 29日 懸賞

『絶体絶命からの、主の救い』

【29:6 そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「【主】は生きておられる。あなたは正しい人だ。私は、あなたに陣営で、私と行動を共にしてもらいたかった。あなたが私のところに来てから今日まで、私はあなたに何の悪いところも見つけなかったのだから。しかし、あの領主たちは、あなたを良いと思っていない。29:7 だから今のところ、穏やかに帰ってくれ。ペリシテ人の領主たちの、気に入らないことはしないでくれ。」】

①ダビデは、サウル王から逃れるために、
敵地であるペリシテに1年4か月滞在していました。
ガデのアキシュ王の元で、
600人の部下と共に傭兵となって生活していたのです。

②アキシュ王は他の王たちと共に、イスラエルと戦うために集まった時、
ダビデは難しい状況となりました。

共に戦えば、サウル王と戦うことになります。
しかしそれを拒否するならば、
敵のスパイとしてペリシテ人に殺されてしまう可能性があったのです。

③ダビデは主に祈ったでしょう。
そして主はその祈りに応え、最も良い解決を与え、
ダビデをその戦いに参加させないように導いたのです。

・・・私たちは、周りに配慮して行動しなければならない時があります。
それは本来の願いでなくても、仕方がない時があるのです。

しかし主は、そのような「困った状況」を理解しておられ、
祈りの応え、解決を与えて下さるお方なのです。

主に正直に訴えましょう。
その方が近道であることが多いのです。

人間的な知恵も役には立ちますが、
主の知恵に勝るものはないのです。

この(人間的な知恵と主の知恵の)バランスは、
何度も経験する中で、次第に上達していくものなのです。YccFuji







20150329
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by Happiness-eachday | 2015-03-29 05:28 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月28日Ⅰサムエル25-27章『素直な祈りと素直な行動、そして主の導き』

懸賞 2015年 03月 28日 懸賞

『素直な祈りと素直な行動、そして主の導き』

【25:20 彼女(ナバルの妻アビガイル)がろばに乗って山陰を下って来ると、ちょうど、ダビデとその部下が彼女のほうに降りて来るのに出会った。25:21 ダビデは、こう言ったばかりであった。「私が荒野で、あの男が持っていた物をみな守ってやったので、その持ち物は何一つなくならなかったが、それは全くむだだった。あの男(ナバル)は善に代えて悪を返した。25:22 もし私が、あしたの朝までに、あれのもののうちから小わっぱひとりでも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰せられるように。」】

①ダビデは、ナバルの無礼に対して、すぐに対応しました。
しかしナバルの妻アビガイルは、知恵を使ってダビデに謝罪をしたのです。
その結果、余計な血を流すことをせず、すべてが解決したのです。

②ダビデは、主の前に本音でいつも祈っていました。
そしてこの時、ナバルの無礼さに本音で対応しました。
しかし主は、ナバルの妻アビガイルに知恵を与え、ダビデを留めたのです。

・・・私たちは「主に本音」で祈っていると、
「自分の心に正直な対応」をするようになります。
同時に、主に本音で祈っていると、
「私たちが間違った方向に進まないように」、主が教える印に、
気がつきやすくなるのです。

・・・心を偽ることはやめましょう。
主の前ではいつも正直に祈るのです。

主との関係がいつもすっきりしているならば、
「主に導かれやすい心」として、
信仰生活を歩むことができるのです。YccFuji







20150328
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by Happiness-eachday | 2015-03-28 05:47 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月27日Ⅰサムエル22‐24章『余裕のない時に、主に従う信仰』

懸賞 2015年 03月 27日 懸賞

『余裕のない時に、主に従う信仰』

【23:1 その後、ダビデに次のような知らせがあった。「今、ペリシテ人がケイラを攻めて、打ち場を略奪しています。」23:2 そこでダビデは【主】に伺って言った。「私が行って、このペリシテ人を打つべきでしょうか。」【主】はダビデに仰せられた。「行け。ペリシテ人を打ち、ケイラを救え。」23:3 しかし、ダビデの部下は彼に言った。「ご覧のとおり、私たちは、ここユダにいてさえ、恐れているのに、ケイラのペリシテ人の陣地に向かって行けるでしょうか。」23:4 ダビデはもう一度、【主】に伺った。すると【主】は答えて言われた。「さあ、ケイラに下って行け。わたしがペリシテ人をあなたの手に渡すから。」】

①ダビデは、自分がサウル王に命を狙われていることを知っていました。
ダビデの家来たちも同じでした。

そんな時、イスラエルの敵であるペリシテ人が、
同族の町ケイラを襲っている情報がダビデに伝わったのです。

②ダビデは同族に対する愛から
「ケイラを救うべきでしょうか」と主に尋ねました。
すると主は「それをするように」と伝えたのです。

③余裕のある時には「人を助けること」はできるかもしれません。
しかし自分も余裕がない時に
「人を助けること」は通常はできないものです。
ところが、ダビデは、
主の命令に従い、「ケイラを救った」のです。

④私たちは「余裕がない時」にこそ
「主に祈り」最善を考えましょう。

イエス様が十字架にかかって下さったのは
「天の国で神としておられた時」ではなく、
「人間として苦しみ、鞭打たれた後」でした。

イエス様は「余裕のない時」に犠牲を払い、
私たちに「ご自分の命」を与えて下さったのです。

「この愛」をあなたは「受けて」います。
その事実を「心から知った時」、
あなたは余裕のない時でも
「主の願いに応える人」となれるのです。YccFuji









20150327
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by Happiness-eachday | 2015-03-27 01:09 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月26日Ⅰサムエル19-21章『愛に応えて生きる』

懸賞 2015年 03月 26日 懸賞

『愛に応えて生きる』

【20:12 ヨナタンはイスラエルの神、【主】に誓ってダビデに言った。「あすかあさってかの今ごろ、私は父(サウル王)の気持ちを探ってみます。ダビデに対して寛大であれば、必ず人をやって、あなたの耳に入れましょう。20:13 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がしてあげなかったなら、【主】がこのヨナタンを幾重にも罰せられるように。【主】が私の父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。20:14 もし、私が生きながらえておれば、【主】の恵みを私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、20:15 あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。【主】がダビデの敵を地の面からひとり残らず断ち滅ぼすときも。」20:16 こうしてヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。】

①ヨナタンは、サウル王の息子であり、王位継承者であるにもかかわらず、
家来ダビデを愛し、自分のことのように大切にしました。

ダビデが王となれば、
自分が王にはなれないことを知りながらも、
ダビデを大切にしたのです。

②地上の生涯は、不自由な中で「いかに愛するか」というものです。
天国に帰ったならば、不自由さは無くなります。
しかし地上では苦しみを持ちながらでも、
愛を実行することが「尊い行為」なのです。

③イエス様は「不自由な立場」で「愛を実行したお方」です。
神である方が「人と同じ苦しみを体験した上で」
私たちを愛して下さったのです。

その愛を感じる時に「私たちの生活」は変わります。

④ヨナタンの愛にダビデは報いました。
(彼は約束を実行しました)

それでは、私たちに対する「イエス様の愛」に、
あなたは「どのように報いますか?」
またこの大きな愛を
「あなたはどれだけ理解していますか?」

これらの「答え」が「今生きていること」の「意味」でもあるのです。YccFuji







20150326
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by Happiness-eachday | 2015-03-26 05:53 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月25日Ⅰサムエル16-18章『油注ぎ(主の特別な力)とそれを受け取るこころ』

懸賞 2015年 03月 25日 懸賞

『油注ぎ(主の特別な力)とそれを受け取るこころ』

【16:7 しかし【主】はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」・・・
16:12 エッサイは人をやって、彼(ダビデ)を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。【主】は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」16:13 サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油をそそいだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。】

①主は、主に従わなかったサウル王の代わりに、
新しい王としてダビデを選びました。
その基準は、「ダビデのこころ」でした。

②ダビデの生涯を見ると、彼は「主に喜ばれるこころ」を持っていたことが分かります。
主が大切にするものを(たとえ自分を殺そうとするサウル王でも)大切にし、
大きな失敗(バテシェバ事件)の後にも、
失敗を隠すのではなく、「こころから悔い改め」たのです。

③主の働きをするには「油注ぎ(主の特別な力)」は不可欠です(13節)。
しかしその中に留まるためには
「主を愛し従うこころ」が必要だったのです。

・・・私たちの信仰生活は「ダビデを模範」としましょう。
失敗は起こりますが、
それ以上に大切なものがあるのです。

それは主が見ておられるもの・・・「こころ」なのです。YccFuji








20150325
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by Happiness-eachday | 2015-03-25 05:15 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月24日Ⅰサムエル13-15章『祝福を受け続ける人・落とす人』

懸賞 2015年 03月 24日 懸賞

『祝福を受け続ける人・落とす人』

【15:22 するとサムエルは言った。「主は【主】の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。15:23 まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが【主】のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」】

①サウルは、サムエルによって王に任命されました。
それは主からの召命でした。
しかし「7日待つように」と言う命令を待つことができず(13:8)、
「すべて聖別するように」と言われた命令も、
自分の欲しいものを残すという愚かな行為をしてしまいました。

②彼は主の命令を聞いていれば「長く繁栄すること」ができたのですが、
自分なりの判断をしてしまったので、
彼は王権をダビデに譲らなければならなくなったのです。

③ここに「御霊に導かれる人生」と「肉に歩む人生」の違いがあります。
御霊に導かれる人生とは、「主に聞き続ける人生」です。
肉の人生は、主に聞いているように見えても
「結局は自分の感情や損得を優先する人生」なのです。

多くの人が、良いものを得たいと考えて
「肉を選択」し、祝福を落とすのです。

しかし【創造主】を信じる私たちは、
「御霊に導かれる人生」の素晴らしさを「聖書から」学ぶのです。

・・・主に聞き続けましょう。
その気持ちをいつも持ち祈っているならば
「多少の失敗をしたとしても」助けられ、導かれるのです。YccFuji







20150324
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by Happiness-eachday | 2015-03-24 20:24 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月23日Ⅰサムエル10‐12章『主の油注ぎの力と忠実さ』

懸賞 2015年 03月 23日 懸賞

『主の油注ぎの力と忠実さ』

【10:1 サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「【主】が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。・・・
10:5 その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町に入るとき、琴、タンバリン、笛、立琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが、10:6 【主】の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。10:7 このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。
10:8 あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私がなすべきことを教えます。」】

①主は、サウルをイスラエルの初代の王として選び、任命しました。
彼は普通の人でしたが、
「主の油注ぎ」を受けると「特別な使命を進める者」として用いられたのです。

②聖書は普通の人が、「神の力」を受けて「特別なこと」をする物語で満ちています。
ここもその一つです。

③私たちも同じです。
イエス様を信じることができたということは、
私たちも「神に選ばれた人」なのです。
そして昨日まで苦しみの(訓練の)中にいたとしても、
ある日突然「主の働き」に押し出されることがあるのです。

④そのための大切なポイントは、
「主の油注ぎ」を受けることであり、
命じられた主の言葉に「忠実であること」です。

一瞬の働きで終わるならば、
忠実であることは問われません。

しかし「長く働きを続けたい」ならば
「忠実であること」は不可欠です。

そのことはサウルの「今後の物語」を通じて明らかになっていくのです。YccFuji









20150323
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by Happiness-eachday | 2015-03-23 05:17 | 2015年1‐3月 | Trackback

3月22日Ⅰサムエル記7-9章『(自分を)神のものとして、悪を捨て去る』

懸賞 2015年 03月 22日 懸賞

『(自分を)神のものとして、悪を捨て去る』

【7:3 そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして【主】に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を【主】に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」7:4 そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、【主】にのみ仕えた。・・・
7:13 こうしてペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領内に、入って来なかった。サムエルの生きている間、【主】の手がペリシテ人を防いでいた。】

①サムエルは預言者として、主の言葉を伝える働きをしていました。
このころイスラエルの人々は、
自分たちが苦しんでいるのは「主をおろそかにしたためだ」と気がついたのです。
そして、主を慕い求めました。

②サムエルが「主に立ち返るように」語ると、
人々は悔い改めて、
様々な偶像を捨て去って、
主にだけ仕えたのでした。

その結果、
主によって「ペリシテ人からの攻撃」から守られたのです。

・・・私たちの中には「様々なものを慕う心」があります。
クリスチャンになる前に求めたもの、
それ以降にもとめたもの等が、
散乱しているのです。

それを聖霊によって「気がつかされ」、
悔い改めて罪を十字架につける時、
その罪は赦され、束縛から解放されるのです。
(十字架によってすでに死んでいる自我(罪)を認識する作業です)

罪を赦されれば、悪から断ち切られます。
そうする時に、主の守りと祝福が流れてくるのです。

・・・あなたの心の中に「悪は埋まっていませんか」
それを気がつかせて頂いたなら素直に「捨てましょう」

あなたは既に「キリストのものとしての立場」に立っているのですから。YccFuji








20150322
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by Happiness-eachday | 2015-03-22 05:27 | 2015年1‐3月 | Trackback