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カテゴリ:2011年10月( 31 )

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10月31日ルカ16‐18章『熱心に求める報い』

懸賞 2011年 10月 31日 懸賞

『熱心に求める報い』

【18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」 18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」】

①イエス様は不正な裁判官のたとえを通じて、
熱心に求める報いについて語られました。

②不正な裁判官でも、
うるさく求めると聞いてくれるならば、
私たちの父なる神は、
私たちの祈りを必ず聞いて下さることを、
イエス様のたとえ話から信じることができるのです。

③18章の最後で、盲人がイエス様の叫び近づいた時に、彼は癒されました。
イエス様は彼に「あなたの信仰があなたを直したのです」と言われました。

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・・・熱心にあきらめることなく祈り続ける者に、
主は必ず良い報いを与えて下さるのです。

そのことを信じましょう。
そして主の助けを受け取りましょう。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-31 05:49 | 2011年10月 | Trackback

10月30日ルカ13-15章『父なる神の心』

懸賞 2011年 10月 30日 懸賞

『父なる神の心』

【15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。15:21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』】

①イエス様は、15章の3つのたとえ話を
「失われた者が回復する喜び」という意味で語られました。

②ここで書かれている父は「父なる神様」を現しています。
自分の思いのままに出ていき、財産を無くした息子をずっと待っていた「父の姿」は、
「神様の心」を語っているのです。

③どれだけ遠くまで行っても子供のことを忘れず愛している父のように、
父なる神様は私たちを忘れずに愛しておられます。

そして私たちが自分の「本当の姿」に気が付き、
父のもとに帰るならば「祝福を受けることができる」と、
気がつくことを待っておられるのです。
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・・・父なる神様のもとには「あなたの助け」があるのです。
なぜなら、あなたは神の息子、娘だからです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-30 07:57 | 2011年10月 | Trackback

10月29日ルカ10-12章『自分を高くすることの問題点』

懸賞 2011年 10月 29日 懸賞

『自分を高くすることの問題点』

【10:38 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。10:39 彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。10:40 ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」10:41 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。10:42 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」】

①マルタは、イエス様を迎え、喜んで接待していましたが、
妹マリヤはイエスさまの前に座り込み、御言葉を聞き入っていました。
マルタはそんなマリヤに腹を立て、
イエス様に「マリヤが手伝うように言って下さい」と要求したのです。

②イエス様はそんなマルタに対して、
主の御言葉を聞き、神様を見上げ一番にすることが最も大切なことなのだ、
とやさしく諭したのです。

・・・④私たちは、自分が良かれと思う仕事をする時に、
「自分自身の考えを一番」にして判断することが多くあります。
10:29には律法の専門家が「自分の正しさを示そう」としてイエスさまに詰問していますし、
12:13には「イエス様を遺産相続の調停人」にして自分を有利にしようと考えた人が書かれています。
また11章の後半には自分を高く置いているパリサイ人に対して、イエス様が痛烈な批判をしています。

・・・彼らの問題点は「自分を高くして」自分の判断が正しいと考えていることです。

人間はこのようになる傾向があるのです。
しかしマリヤのように御言葉に耳を傾け、
「神を自分の上に置いて」主を見上げるならば、
「自分を一番にする問題」を克服できるのです。
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・・・今日も主を見上げ、まずイエス様の言葉に耳を傾けましょう。
そうすれば、一番良い判断が見え、
あなたの願うことがスムーズに進むのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-29 09:12 | 2011年10月 | Trackback

10月28日ルカ7-9章『イエス様への信仰と愛』

懸賞 2011年 10月 28日 懸賞

『イエス様への信仰と愛』

【7:6 イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、(異邦人の)百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。7:7 ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。7:8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」7:9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」7:10 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。】

①イエス様のもとに異邦人の百人隊長がやってきました。
この人は神を信じ謙遜な人物でした。
そして彼はイエス様の「言葉の力」を信じていたのです。

②彼の信仰通り、しもべが癒されました。
(今朝の7-9章には、信仰によって受けた奇跡があふれています。
ぜひ一読されることをお勧めします)

イエス様の力を心から信じて近づく者たちには、
それにふさわしい主からの助けが与えられるのです。

③7章の最後に、
罪深い女性が、イエス様に罪を赦された記事があります。
そしてイエス様から
「多く赦されたものは、多く愛するようになる」と言われました。

・・・私たちも、「イエス様から赦しの深さが分かった分」
イエス様を愛するようになるのです。

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あなたはどれ程、イエス様から赦されていることを体験していますか?

信仰生活が進むほど、
イエス様の言葉を信じ、
イエス様を益々愛するように、
私たちはなっていくのです。

YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-28 09:22 | 2011年10月 | Trackback

10月27日ルカ4-6章『深みに漕ぎだす時』

懸賞 2011年 10月 27日 懸賞

『深みに漕ぎだす時』

【5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。】

①私たちはいつ信仰によって行動したら良いのでしょうか。

②ペテロは漁師でしたが、
一晩中働いても一匹も魚が獲れませんでした。
しかし次の朝、
イエス様が「深みに漕ぎ出しなさい」と言われた時、
ペテロは「お言葉通りに」と、
応答をして大きな収穫の奇跡を経験しました。

③ペテロの心にはいろいろな思いが浮かんだかもしれません。
自分はプロの漁師であること(プライド)、
一晩中魚がいないのに魚が見つかるかどうか(経験)、
しかしイエス様の言葉を「そのまま」信じて応答した時に、
奇跡を経験できたのです。

・・・深みの漕ぎだすにはタイミングがあります。
それは主の言葉を聞いた時です。

・・・昨日もお語りしたように、
信仰は「非常識」ではありません(祈ってよく考えることが大切です)。
しかし「自分なりの理屈」は信仰の奇跡を得るのに、
邪魔になります。

イエス様に心を向けて「今」と言われるタイミングで
「漕ぎ出す時」が一番なのです。

これはイエス様との関係…『愛の信頼関係』です。
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あなたはペテロが感じたような
「イエス様への信頼」を経験していますか?

あなたが主との信頼関係が深めるほどに、
素晴らしい恵みの数々を
受けることできるのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-27 08:30 | 2011年10月 | Trackback

10月26日ルカ1-3章『主によって語られたことを信じる祝福』

懸賞 2011年 10月 26日 懸賞

『主によって語られたことを信じる祝福』

【1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
・・・1:44(エリザベツはマリヤに言った) ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。・・】

①イエス様の誕生は、人間の常識を越えた奇跡そのものです。
この奇跡の言葉をマリヤはそのまま受け取り、信じました。
マリヤは「お言葉通りにこの身になりますように」と答えたのです。

②彼女の「信仰の純粋さ」によって、
イエス様がこの地上に誕生し、救いの計画が始まったのです。

・・・私たちは理性や常識で超えられない限界があります。
しかし神に対する「愛の信頼」によって、
その限界を越え、飛び込むことができるのです。

信仰は非常識ではありません、
しかし常識を越える奇跡があることを信じるのです。

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あなたに「この信仰」が与えられたならば、
素晴らしい神の祝福を受け取ることができます。

理性を越えた奇跡を
あなたは体験することができるのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-26 08:31 | 2011年10月 | Trackback

10月25日マルコ13-16章『神を愛するとは』

懸賞 2011年 10月 25日 懸賞

『神を愛するとは』

【14:3ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。14:4 すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。14:5 この香油なら、三百デナリ(300万円)以上に売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。14:6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。・・14:9 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」】

①イエス様が十字架にかかられる直前、
ひとりの女(ベタニアのマリヤ)がイエス様を愛するあまりに、高価な香油を注ぎました。
彼女はそれほどまでも主を愛し、感謝を捧げていました(参照ヨハネ12章)。

②神は私たちを愛し、いのちを与え、多くの祝福を与えておられます。
その愛を経験したものは、その愛に応えたいと思う時に、
このような行動をする時があるのです。

③またイエス様は、ゲッセマネの園で、天の父に対して
「わたしの願うところではなく、あなたの御心のままになさってください(14:36)」と祈り、
十字架を甘受されました。

・・・神を愛する時に、受けた恵みに応じて、愛し方が変わるとも言えます。
「わずか」しか愛を感じていない人は、「わずかな応答」になりますし、
「大きな愛」を体験した人は「大きな犠牲」で愛を現すのです。

・・・あなたはどれ程、あなたの神に愛されていると感じていますか?
まだ少ししか愛を感じていない人は、大いに期待しましょう。

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主の十字架の愛は、
あなたが自分の人生を捧げても惜しくなくなるほどの、「大きな愛」なのです。

その価値を知れば知るほど、主を愛するようになり、
あなたの人生は、大きな祝福へと変えられていくのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-25 09:05 | 2011年10月 | Trackback

10月24日マルコ10-12章『最も大切なこと』

懸賞 2011年 10月 24日 懸賞

『最も大切なこと』

【12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」・・・】

①イエス様はここで最も大切なことを2つ語られています。

②それは「あなたの神である主を愛せよ」と
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛する」ことです。

③私たちの主は造り主です。
ですから何よりも一番の主を尊重する姿勢が大切なのです。
10章で盲人が「上着を捨てて」イエス様のところに駆け寄り、「癒され」ました。
彼にとって上着は夜具であり、最も大切なものだったのです。
彼はそれよりも「癒して下さる主」を求めたのです。

④主との関係が持てたならば、主に愛されている事が深く分かります。
主の愛を理解するほどに、自分を正しく大切なものと見ることができるのです。
その愛で「自分を愛する」ように、「隣り人を愛する」ことが主のご命令なのです。

あなたは自分の思いだけで言葉を発していないでしょうか。
相手の立場になって考えてみましょう。

そうすれば、同じ言葉を語るにしてもふさわしい言葉が与えられるのです。

失敗することもあります。
しかし主に祈りながら考える時に、
主は「知恵深い」愛の言葉を与えて下さるのです。

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主が大切だと言われた2つのことを意識して生活するならば、
あなたの生活は、良いものとして導かれるのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-24 08:50 | 2011年10月 | Trackback

10月23日マルコ7-9章『イエス様の喜ばれる人生を送るには』

懸賞 2011年 10月 23日 懸賞

『イエス様の喜ばれる人生を送るには』

【8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。・・・」】

①イエス様は、永遠の命を得る方法について語られました。

それは「自分を捨て、自分の十字架を負ってイエス様についていくこと」です。
イエス様を信じた時に、私たちはこの第一ステップをパスしています。

②しかしルカの福音書に「日々自分の十字架を負って」と書かれているように、
これは日々、内面的な十字架を負い続けると言うことでもあるのです。

③「自分のやり方」と「祝福の方法」、どちらも選択できるのですが、
主に従いたいと思う人は、
「自分のやり方」を捨て、自分の十字架(責任・重荷)を負って
「イエス様のやり方(祝福の方法)」を選びとるのです。
そしてそのことを通じて、聖めが起こり、癒しが起こるのです。

・・・イエス様は私たちの選択を尊重されます。
しかし長く信仰生活をするうちに、
イエス様の後について「イエス様のやり方」を選ぶ方が素晴らしいことに気がつくのです。

・・・人生は選択です。
私たちはイエス様の後に従い、
失うようであっても、大きな祝福を得ることができる道を選びたいのです。

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・・・それが「自分を捨て」「自分の十字架を負って」
イエス様についていくということなのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-23 05:11 | 2011年10月 | Trackback

10月22日マルコ4-6章『良い地に種をまく』

懸賞 2011年 10月 22日 懸賞

『良い地に種をまく』

【4:2 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」】

①イエス様は、種まきのたとえを通じて、私たちの心の状態を指摘しておられます。

②良い種(御言葉)がまかれても、
道ばたの堅いところに放置するならば、サタン(鳥)が来て取ってしまいます。

③土の薄いところ(岩地)に落ちると、
芽が出てもすぐに枯れてしまうのです。

④いばらに落ちると、いばら(誘惑)が速く成長してしまい、御言葉をふさぐので、
実を実らせることができないのです。

⑤しかし良い地に落ちた種は、100倍の収穫が可能なのです。

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・・・私たちの心はどのような状態でしょうか?
最初は堅いかもしれません。
しかし、難しい状況の中で必死に祈る中で、
備中鍬を入れるように段々と深くまで土(心の状態)が柔らかくなるのです。

そして、雑草やいばら(誘惑)を取り除く中で、
あなたのこころが「良い地」に変わっていくのです。

・・・サタンに御言葉を奪われないようにしましょう。

そして「あなたのこころ」が「良い地」になるならば、後は待つだけです。
収穫の季節が来るならば、
必ず多くの収穫(30倍60倍100倍の収穫)を体験することができるのです。
YCCFuji
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by Happiness-eachday | 2011-10-22 09:24 | 2011年10月 | Trackback