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カテゴリ:2011年5月( 31 )

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5月31日ヨブ記28-31章『答えがみつからない時・・』

懸賞 2011年 05月 31日 懸賞

5月31日ヨブ記28-31章『答えがみつからない時・・』
【30:20 私はあなたに向かって叫びますが、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。・・・
30:25 私は不運な人のために泣かなかっただろうか。私のたましいは貧しい者のために悲しまなかっただろうか。30:26 私が善を望んだのに、悪が来、光を待ち望んだのに、暗やみが来た。30:27 私のはらわたは、休みなく煮えたぎる。悩みの日が私に立ち向かっている。30:28 私は、日にも当たらず、泣き悲しんで歩き回り、つどいの中に立って助けを叫び求める。・・・】

①ヨブは創造主を信じ、正しいことをし続けた人物でした。
しかしそのヨブは信じられない悲劇を経験しました。

②彼はその原因を探し求めましたが、見つけることができませんでした。
そして創造主に訴え続けますが、
主はこの時には答えて下さらなかったのです。

③人生には様々な悲劇に出会うことがあります。
悪い種の刈り取り(因果応報)では説明できない悲劇に出会うこともあるのです。
まさにヨブがそのような状況でした。

・・・創造主を信じていて、主に訴えても、
答えがすぐに返ってこない時があります。
しかし主は答えておられないように見えても、
語るタイミングを待っておられるのです。

・・・ですから信仰を失わずに求め続けることは
「人生の大切な知恵」です。
創造主はあなたを愛しておられ
「求めるものには報いて下さる(へブル11:6)」お方だからです。

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この言葉を受け止めましょう。
そしてあきらめることなく求め続けるのです。
あなたもヨブのように、
必ず最後には答えと解決を頂くことができるのです。

答えが来ない時間が長い分、
より深く大きな影響を与える「結果」を得るのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-31 08:03 | 2011年5月 | Trackback

5月30日ヨブ記24-27章『人間的正しさの限界』

懸賞 2011年 05月 30日 懸賞

『人間的正しさの限界』
【27:2 私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者をさして誓う。27:3 私の息が私のうちにあり、神の霊が私の鼻にあるかぎり、27:4 私のくちびるは不正を言わず、私の舌は決して欺きを告げない。27:5 あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。27:6 私は自分の義を堅く保って、手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない。】

①ヨブは、3人の友人たちの不当な批判に対して、自分の正しさを主張しました。
なぜならヨブはいつも正しいことをしてきたという自負があったからです。
そして事実3人の友人たちよりも、ヨブは正しい生き方をしていたのです。

②人間の比較の中では、自分が正しいということは可能です。
しかし人間は比較の中で「自分が正しい」と主張し始める時に、
いつしか「絶対的に自分は正しい」
と頑固に主張してしまうことがあるのです。
まさにヨブ自身もこの後、そこに陥ってしまいました。

・・・正しく生きている人が陥りやすい「落とし穴」は、
「自分の正しさ」です。

自分が善の基準ではないはずなのに、
自分をいつの間にか善の中心に置いてしまい、人を裁き始めるのです。
(そして恐ろしいことは善の基準である神さえも裁こうとするのです)

・・・自分が神(善の基準)ではないことを気がつきましょう。
そして「善の基準(創造主)」のもとで生きていることを知りましょう。

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「自分が世界の中心」というプレッシャーを創造主にゆだねた時、
あなたには平安が与えられます。

そしていつも聖書に触れ、
絶対的なお方(創造主)の下(もと)で生きる時、

(自分を主張しすぎたり押さえつけたりすることなく)、

バランスのとれた
道を外さない生き方できるのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-30 09:27 | 2011年5月 | Trackback

5月29日ヨブ記20-23章『苦しみの中の信仰』

懸賞 2011年 05月 29日 懸賞

5月29日ヨブ記20-23章『苦しみの中の信仰』
【23:1 ヨブは答えて言った。23:3 ああ、できれば、どこで神に会えるかを知り、その御座にまで行きたい。23:8 ああ、私が前へ進んでも、神はおられず、うしろに行っても、神を認めることができない。23:9 左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。23:10 しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。23:11 私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。】

①ヨブは友人たちの不当な批判を聞き、主に訴え続けました。
主が自分の祈りに応えて下さらないように感じても、
彼は訴え続けたのでした。

②ヨブは神を見いだせない状況下にあっても、
「信仰」を失いませんでした。
彼は、主に訴えることだけが、解決の道であることを知っていました。

・・・信仰は良い時だけではありません。
難しい状況にも出会うのです。
「恵まれ祝福されているから信仰を持つ」
という価値観だけでは、限界が来ます。

創造主が私を造り、この世界を造り、
導いておられることが分かったならば、
「どんな状況でも主を信じ続ける」という信仰を持つことが、
困難を乗り越える正しい価値観なのです。

そしてこの価値観をもって実行する者が、
苦しみの中にあっても乗り越え、
更なる主の祝福の計画を経験できるのです。

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・・・どんな時でも信仰を持ち続けましょう。
そして主に訴え続けましょう。
主はあなたのすべての祈りを聞いておられ、
最後には必ず助けの手を伸ばし、
祝福へと導いて下さるお方なのです。(42章)
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-29 00:43 | 2011年5月 | Trackback

5月28日ヨブ記16-19章『救い出して下さるお方』

懸賞 2011年 05月 28日 懸賞

『救い出して下さるお方』
【19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。19:26 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。19:27 この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。】

①ヨブは友人たちに責め言葉に対して、
「私もまたあなたがたのように語ることができる」と返しています(16:4)。
なぜならヨブは友人たち以上に善行をしていたからです。

②そしてヨブは
自分の行為を正しく判断(保証)して下さる方が天におられると告白しているのです。
「その方が、人のために神にとりなしをして下さる(16:21)」とヨブは信じたのです。

③ヨブの苦しみが深まる中でこの19章では、
「私を贖う方」は生きておられると告白しました。
・・・ヨブは苦しみの中で、自分を保証し、救済して下さるお方がいると信じました。

人間にはこのようなお方が必要です。
どれだけ訴えても、その訴えを正しく判断して、
苦しみと窮状から救い出して下さるお方が必要なのです。

・・・このお方が救い主イエス様です。
ヨブは旧約に生きたにも関わらず、
苦しみを通じてこのような救い主を求める信仰に行き着いたのです。

・・・苦しみには意味があります。
私たちは苦しみの中で、
現状の苦しみから救い出して下さる「救済者の必要」を知るのです。

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あなたを救い出して下さるお方は生きておられます。
このお方に祈り訴え続けていく中で、

あなたは
「問題」や
「その本質にある罪」から
救い出されるのです(42章)。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-28 13:48 | 2011年5月 | Trackback

5月27日ヨブ記13-15章『神に訴える』

懸賞 2011年 05月 27日 懸賞

『神に訴える』
【13:2 あなたがたの知っていることは私も知っている。私はあなたがたに劣っていない。13:3 だが、私は全能者に語りかけ、神と論じ合ってみたい。13:4 しかし、あなたがたは偽りをでっちあげる者、あなたがたはみな、能なしの医者だ。13:5 ああ、あなたがたが全く黙っていたら、それがあなたがたの知恵であったろうに。13:6 さあ、私の論ずるところを聞き、私のくちびるの訴えに耳を貸せ。13:7 あなたがたは神の代わりに、なんと、不正を言うのか。神の代わりに、欺きを語るのか。】

①ヨブの友人は、ヨブに自分の考えで責め立て続けました。
しかしヨブにとってはその言葉は口先だけの言葉に聞こえたのです。
なぜならヨブは実際、その友人たちよりも正しさを求め、
努力をしてきたからです。

②人間が人を評価してもそこには歪みがあります。
誰も真に正しくはなく、完璧な判断は不可能だからです。

③ですから私たちにできることは、神に訴えることです。
(審判は主だからです)。
神があなたの意見をすべて聞き、認めておられることを知るならば、
あなたは慰められます。(そして神の評価は完璧なのです)

④人の評価は不完全です。
ですから人に認めらもらうことを人生の目的にするならば、
あなたの人生は歪んだものになってしまいます。

⑤人生の評価は「神に認められる」ことです。
そしてそれは、あなたがそのままの姿で、神に近づき
正直な思いを訴えることから始まります。
(ヨブはこのような状況でも主を信じ、主に訴え続けたのです)

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・・・人の評価に一喜一憂することはやめましょう。
そして人を裁くのではなく、
神に訴え、あなたのすべきことをしましょう。

主に訴え、あなたのすべきことをし続けているならば、
神は評価され、
そして人は最後にはあなたの「業績」をも認めるようになるのです(42章)。

審判は人ではなく主なのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-27 09:14 | 2011年5月 | Trackback

5月26日ヨブ記10-12章『正しいお方に祈る』

懸賞 2011年 05月 26日 懸賞

『正しいお方に祈る』
【12:1 そこでヨブが答えて言った。12:2 確かにあなたがたは人だ。あなたがたが死ぬと、知恵も共に死ぬ。12:3 私にも、あなたがたと同様に、悟りがある。私はあなたがたに劣らない。だれかこれくらいのことを知らない者があろうか。12:4 私は、神を呼び、神が答えてくださった者であるのに、私は自分の友の物笑いとなっている。潔白で正しい者が物笑いとなっている。12:5 安らかだと思っている者は衰えている者をさげすみ、足のよろめく者を押し倒す。】

①ヨブは3人の友人たちから責められ続けました。
しかしヨブには納得できませんでした。
なぜなら友人たちが語ることはヨブ自身も知っていたことであり、
ヨブは友人たちよりも正しく生きていたと自負心があったのです。

・・・人間は誰もが自分が正しいと考えています。
そして自分が裁判官のようにすべてを支配しようと考えます。
(ヨブも友人たちも、なのです)

しかし仲裁者であるお方に祈る時、
そのお方が「正しく」判断して下さいます。

ヨブは神に訴え続けていく中で、
ヨブ自身の問題も明らかにされ、
そしてこの後、「解決」へと進んでくのです。

そして後に、友人たちの間違いも、神ははっきりと指摘されました(42章)。

②主は答えて下さらないように見えても、
祈りを確かに聞かれ、答える時を考えて下さっているのです。

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・・・ですから「正しいお方(創造主、そしてイエス様)」に祈り続けましょう。
聞かれていないように感じられても、
不条理が終わらなくても、
「正しいお方」に祈り続けるのです。

そうすれば最後には、
すべてが正しく、
収まるところに収まり、
解決へと導かれるのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-26 08:51 | 2011年5月 | Trackback

5月25日ヨブ記7-9章『仲裁者の必要』

懸賞 2011年 05月 25日 懸賞

『仲裁者の必要』
【9:32 神は私のように人間ではないから、私は「さあ、さばきの座にいっしょに行こう」と申し入れることはできない。9:33 私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない。9:34 神がその杖を私から取り去られるように。その恐ろしさで私をおびえさせないように。9:35 そうすれば、私は語りかけ、神を恐れまい。いま私はそうではないからだ。】

①ヨブは、自分は正しいことをしてきた筈なのに
なぜこのような苦しみに合うのか考えていましたが、
友人ヒルダテからも
「あなたの苦しみの理由は先代の教えに聞けば分かるはずだ」と責められ、
さらに苦しみが増し加わりました。

②彼は、「正しいはず」の神が、
なぜ正しいはずの自分にこのような苦しみを与えるのか、
その理由が知りたかったのです。

そして呻きの祈りの中で、
神と私に間に立って正しく判断して下さる「仲裁者」がほしい、
と訴えたのです。

・・・この仲裁者の役割をして下さっているのが、
イエス様です。
「正しさを追求しても完全にはできない」私の代わりに、
イエス様が「完全な」罪の犠牲を支払って下さり、
私が「正しい創造主」から赦され、
認められる道を作って下さったのです。

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このイエス様が私たちを「正しく」扱って下さいます。
ですから私たちはヨブのように、
正直に神に訴え続けることができると同時に、
イエス様を信じることによって
「正しいお方」から赦され、内面も赦され(きよめられ)、
創造主とイエス様に喜ばれる人生を歩むことができるのです。

「仲裁者イエス様」感謝しましょう。
このお方が、私たちの希望なのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-25 09:54 | 2011年5月 | Trackback

5月24日ヨブ記3-6章『落胆しているものの心』

懸賞 2011年 05月 24日 懸賞

『落胆しているものの心』
【6:1 ヨブは答えて言った。6:2 ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の災害も共にはかりにかけられたら。6:3 それは、きっと海の砂よりも重かろう。だから、私のことばが激しかったのだ。・・・
6:9 私を砕き、御手を伸ばして私を絶つことが神のおぼしめしであるなら、6:10 私はなおも、それに慰めを得、容赦ない苦痛の中でも、こおどりして喜ぼう。私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ。・・6:14 落胆している者には、その友から友情を。さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。】

①ヨブは、すべき良いことは全てしていた正しい人でした(1章)。
しかし神の許可の中、サタンの攻撃によって、
財産と子供たちを失い、病気にもなるという考えられない不幸を経験しました。

②ヨブの心はひどく傷み、彼は呻き、主に祈り、死さえも願ったのです。
・・・ヨブは状況をすべて理解できませんでした。
しかしこのような状況にあっても彼は主に祈り続けたのです。

人間では不可能な状況の中にあっても、
私たちには「訴えることができるお方」がいるのです。
このお方に祈る時、私たちは救いと解決へと導かれるのです。

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落胆する状況下こそ、主に祈りましょう。
そしてもしあなたの友人ががそのような状況ならば、
分析ではなく友情を現しましょう。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」
これが主が私たちに教えることなのです(ロマ12:15)。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-24 09:49 | 2011年5月 | Trackback

5月23日ヨブ記1‐3章『苦しみの意味(なぜ善人が苦しみに合うのか)』

懸賞 2011年 05月 23日 懸賞

『苦しみの意味(なぜ善人が苦しみに合うのか)』
【1:1 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。・・・1:8 【主】はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいないのだが。」1:9 サタンは【主】に答えて言った。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。・・・1:11 しかし、あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」1:12 【主】はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは【主】の前から出て行った。・・】

①ヨブは、神さえも認めるほどの「正しい人物」でした。

②ある日サタンがやってきて、ヨブを打つことを願い出ました。
そうすればヨブが罪を犯すと考えたかからです。

③主はそのことを許可されました。
ヨブ記の最後を見ると、
主にはご計画があって「許可」したことが分かります。

④正しい人も苦しみに遭うことがあります。
その理由は人間には分かりません。
しかし、もし主が苦しみを許可されたならば、
何かの目的があるのです。

・・・全てが主の許可の中にあることを知りましょう。
サタンでさえも主の許可がなければ攻撃することができません。
ですからサタンを恐れる必要がないのです。

もし、あなたを愛しておられる主が、
「苦しみを許可」されたならば、
その苦しみを乗り越えた時に、
普通は行けないほどの祝福の高みへと入ることができるのです(42章)。

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苦しみには目的があることを知りましょう。
そしてあなたが主に祈り、主の助けを頂くならば、
必ず乗り越えることができるのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-23 07:09 | 2011年5月 | Trackback

5月22日エステル7-10章『主が働かれると・・・(逆転の奇跡)』

懸賞 2011年 05月 22日 懸賞

『主が働かれると・・・(逆転の奇跡)』
【8:15 モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。・・・9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。】

①主は、エステルとモルデガイ、ユダヤの民の祈りと応答を通じて、
主の計画の中で敵ハマンの攻撃を止めました。
そしてハマンの家はモルデガイに与えられ、
モルデガイは王の次の地位に立てられました。

②主が働かれた時、「迫害」が「祝福」に変えられる奇跡が起こったのです。
そして宮廷にいた反対勢力は一掃され、
モルデガイの勢力は強められ、
人々はユダヤ人に好意を持つほどに状況が変えられたのです。
(以前も書きましたが、このことがエルサレムの神殿再建の完成に大きな影響を与えたのです)

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・・・主が働かれるとマイナスがプラスになる業が起きます。
そして苦難には目的があるのです。
そのことを信じましょう。
そして「逆転の奇跡」が起きることを信じ期待しましょう。

主は神の民を守り、
苦難を越えて祝福まで導かれるのです。
YCCFuji
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by happiness-eachday | 2011-05-22 00:10 | 2011年5月 | Trackback