7月11日ヨブ25-28章 1コリント4章
2017年 07月 11日
『どんな時も正しく生きたヨブ』
【ヨブ27:1 ヨブはまた、自分の格言を取り上げて言った。27:2 私の権利を取り去った神、私のたましいを苦しめた全能者をさして誓う。27:3 私の息が私のうちにあり、神の霊が私の鼻にあるかぎり、27:4 私のくちびるは不正を言わず、私の舌は決して欺きを告げない。27:5 あなたがたを義と認めることは、私には絶対にできない。私は息絶えるまで、自分の潔白を離さない。27:6私は自分の義を堅く保って、手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない。】
①ヨブは、友人たちの責めの言葉に対して、
その言葉は「的外れである」と反論しました。
そして自分は「正しく生きてきた」と語り始めたのです。
②ヨブは、どのような時にも「正しく生きよう」としてきました。
それは事実です。
「ヨブの高潔さと忠実さ」は聖書の中で高く評価されています。
私たちは「ヨブのようには」生きられないかもしれませんが、
ヨブを模範として生きることは、すべてのクリスチャンに必要なことなのです。
(そのことによって、自分自身を守ることになります)
③しかし注意しなければならないことは、
「自分正しさを誇り」「自分の正しさによって自己正当化する」高慢な心です。
ヨブはこの後、自分正しさを主張するあまり、傲慢へと近づいてしまったのです(31:37)。
『パウロが求める、へりくだった者』
【Ⅰコリ4:9 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。4:10 私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。4:11 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、4:13 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。・・・
4:19 しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。4:20 神の国はことばにはなく、力にあるのです。】
①パウロは、コリントの人を愛していたので、あえて厳しいことを告げました。
なぜなら、彼らは、自分の知恵や霊的力を誇りとしていたのです。
そしてある人たちは、自分はパウロの権威よりも勝っており、
パウロの指導を受ける必要がないと考えていたのです。
②パウロは、神の国は「言葉ではなく力」であると語りました。
パウロは「ただ語るのではなく」
「聖霊の力の生きた証」をしなければならない、と伝えたのです。
人は簡単に高慢になります。
力を求めている人は、力を受けると「自分は優れている」と勘違いをするのです。
・・・主の前にへりくだりましょう。
そして謙遜になって「聖霊の力」を証しましょう。
主は私たちを「謙遜な成熟したものへ」と導いておられるのです。
20170711
by Happiness-eachday | 2017-07-11 05:06 | 2017年 | Trackback