4月17日1サムエル1-2章 マルコ9:33-50

懸賞 2017年 04月 17日 懸賞

『祈りに応える神』

【Ⅰサムエル 1:10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は【主】に祈って、激しく泣いた。1:11 そして誓願を立てて言った。「万軍の【主】よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を【主】におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」】

①ハンナは、切なる願いとして「自分の子ども」を求めました。
既にこの時、彼女はまだ生まれていない子供を「神の目的の実現」のために捧げていたのです。
そして子供が与えられると、
十分な世話をした後、主への約束通り、主に捧げるため祭司の元に預けたのです。

・・・主は「切なる願い」を聞いて下さるお方です。
また、その祈りの答えには「主の計画」があります。
私たちが、実際に応答をして「主の計画が実現」するのです。

「主の助けと答え」があることを、信じて祈りましょう。
そして主に約束したことは「果たし」ましょう。
このシンプルなことが、「信仰生活」には「非常に重要なこと」なのです。




『つまずきを与えることを、極力避ける』

【マルコ9:42 また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。9:43 もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。・・・】

①イエス様は、ルカ17章では
「つまずきが起きることは避けられないが、つまずきを起こさせる者はわざわいだ」と語られています。
つまずきは「わざとではない」かもしれませんが、極力避けることが大切なのです。

私たちは「イエス様の弟子」です。
イエス様が仰るように、「自分を捨て」「日々自分の十字架を負って」主に従うことが願われているのです。
これを完ぺきにすることは人間の力では不可能ですが、
「そのように生きていきたい」と願い、祈ることは「可能」であり、
その祈りを通じて「主の助け」が与えられるのです。YccFuji






20170417


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by Happiness-eachday | 2017-04-17 05:25 | 2017年 | Trackback

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