4月15日士師記19-21章 マルコ8:27-9:13

懸賞 2017年 04月 15日 懸賞

『自分たちのゆがんだ判断の末路』

【士21:23 ベニヤミン族はそのようにした。彼らは女たちを自分たちの数にしたがって、連れて来た。踊っているところを、彼らが略奪した女たちである。それから彼らは戻って、自分たちの相続地に帰り、町々を再建して、そこに住んだ。21:24 こうして、イスラエル人は、そのとき、そこを去って、めいめい自分の部族と氏族のところに帰って行き、彼らはそこからめいめい自分の相続地へ出て行った。21:25 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。】

①士師記は、イスラエルの問題を引き起こした根源を再び示して、終えられています。
それは「神の基準を無視」して「自分たちの道を歩み」、
自分たちのゆがんだ判断を「正しい」と思い込んでいたのです。

②そのような雰囲気を「正しい方向に向かわせること」は非常に大きな力を必要とします。
しかしイエス様の十字架は、その為のすべての代価を支払って下さったのです。
私たちは「自分の間違い」を認め告白し、
「主の憐みによって」聖めと回復の道を歩むことが出来るように、主の助けを必要としているのです。



『十字架を負って、主についていく』

【マルコ8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。・・・
8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」】

①イエス様は、ご自分が人々に捨てられ、苦しみの後に復活の勝利をすることを、前もって話されました。
そして「イエス様についていきたい人」は、
「自分を捨て」「自分の十字架を負って」ついていくようにと語られたのです。

・・・クリスチャン生活は「イエス様がモデル」です。
それは楽で楽しいこともありますが、
責任と苦しみを通らなければなりません。
人から理解されず「捨てられたような経験」を通ることもあるのです。

しかし最後までついていく人は、
「主の祝福の勝利」を味わうことが出来るのです。YccFuji







20170415


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by Happiness-eachday | 2017-04-15 05:28 | 2017年 | Trackback

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