4月13日士師記14-16章 マルコ7:24-8:13
2017年 04月 13日
『誘惑の悲しみ』
【士16:4 その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。16:5 すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。」】
①デリラは、怪力サムソンが自分を愛していることを知っていました。
そして銀貨によって誘惑され、デリラはサムソンを売ったのです。
自分の欲のために「人を利用とする心」は非常に悲しいものです。
しかし悪しき誘惑を受け「確信犯として」人を利用し続けようとする人が、現実にいるのです。
②一方、サムソンは、デリラから言い寄られ、泣き落としによって秘密を話してしまいました。
その結果、目を奪われ、最後は死ななければなりませんでした。
誘惑を与えることも、落ちることも悲しいことです。
・・・しかし、主がすべて見ておられること(隠れたこともすべて)に気がついた人は、
自分の心をごまかさず、(聖霊の力によって)誘惑を退け、実直に生きていくようになるのです。
ごまかすことが出来ると、思い込んでいる人は「愚かで悲しい」のです。
『切実に求めた異邦人の信仰』
【マルコ7:28 しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。」7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」7:30 女が家に帰ってみると、その子は床の上に伏せっており、悪霊はもう出ていた。】
①イエス様は、助けを求めてきた異邦人の母親に(あえて)一旦拒否したような態度を取られました。
この母親の信仰に強さを知っていたからです。
そして母親の強い信仰を「引き出し」、最後に娘を癒されたのです。
②私たちは、「主に祈りを拒否」されたように感じることがあります。
しかしこの時は「ますます祈り求める時」なのです。
主の憐みは「私たちの考えより」遥か深く、広いのです。
主は私たちが心から求め続け、
「主の求める信仰」まで行くことを願われるのです。Yccfuji
20170413
by Happiness-eachday | 2017-04-13 05:11 | 2017年 | Trackback