4月5日ヨシュア23-24章 マルコ3:13-35

懸賞 2017年 04月 05日 懸賞

『主のお従いする、前提(土台)』

【ヨシュア24:15 もしも【主】に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、【主】に仕える。」24:16 すると、民は答えて言った。「私たちが【主】を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にそんなことはありません。」】

①ヨシュアは、年をとって天に帰る直前、民に選択を迫りました。
そして民は「私たちは主に仕えます」と応答したのです。

②主の声に従うことは、「自分から進んで」することです。
「いやいや」とか「義務感」で主に従うことは、「本来の応答ではない」のです。

③主への応答は、「主への感謝」によってなされます。
そして主への感謝は、「主がして下さったこと」をどれだけ「自分のこととしているか」によるのです。

④主は「私を助け」「私を愛し」「私に期待をして」ておられる
・・・このことが、主にお従いする「前提(土台)」となるのです。



『イエス様が家族を考えている人』

【マルコ3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、外であなたをたずねています」と言った。3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。3:35 神のみこころを行う人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」】

①イエス様は、「神の御心を行う者」が「私の家族である」、と語られたのです。
私たちが、「イエス様の愛と願い」を知り、「イエス様のために生きたい」と願い始めた時、
イエス様はあなたのことを「わたしの家族」と見ておられるのです。

②イエス様の恵みは「当たり前」ではありません。
そして「イエス様が家族と呼ばれること」も「当たり前」ではないのです。

・・・私たちが「家族と呼んで頂けること」は非常に特別なこと、
「大きな恵み」として受け止めることが「大切」です。
恵みを「当然」と思うならば、「過ちを犯す」こととなるのです。YccFuji





20170405


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by Happiness-eachday | 2017-04-05 04:58 | 2017年 | Trackback

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