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2月12日レビ記1-3章 マタイ27:45-66

懸賞 2017年 02月 12日 懸賞

『罪が赦されるための犠牲』
【レビ記1:3 もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が【主】の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。1:5 その若い牛は、【主】の前でほふり、祭司であるアロンの子らは、その血を持って行って、会見の天幕の入口にある祭壇の回りに、その血を注ぎかけなさい。】

①「全焼のいけにえ」とは、すべてを捧げ尽くす「いけにえ」です。
私たちは自我が強いので、なかなか捧げ尽くすことはできません。
しかしイエス様は、私たちのために「ご自分の身」をそのようにして下さったのです。

②罪の赦しは、血が流されないとなされないのです。
私たちの罪を、「イエス様が背負って」下さったことにより、
「私たちが赦された事実」をもう一度、感謝しましょう。

牛の命では、支払えなかった「大きな代価」を
イエス様は、私のために捧げて下さったのです。


『イエス様の痛みと悲しみ』
【マタイ27:46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・・
27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。】

①イエス様は、十字架の上で「わが神、わが神・・・」と叫ばれたのです。

②王であるイエス様が、神にさえ捨てられて、
三時間以上、十字架の上でさらされたのです。

イエス様は、私たち人間では「分からない」深い痛みと悲しみを「経験された」のです。
だからこそ「私たちが経験する深い痛み」をすべて分かって下さるのです。

③私たちは、「イエス様が死んでくださった」お陰で、
霊的に生きることが出来るようになりました。
ですから「希望を見失わない」ようにしましょう。
イエス様が共におられるならば
「必ず脱出の道」がある筈だからです。YccFuji







20170212
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by Happiness-eachday | 2017-02-12 05:05 | 2017年 | Trackback

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