2月11日出エジプト記40章 マタイ27:27-44

懸賞 2017年 02月 11日 懸賞

『主の導きを歩み続ける』
【出 40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。】

①主は、神の民が荒野にいる間、いつも導いておられました。
そして民は、主の導きをいつも歩み続け、荒野を乗り越えることが出来たのです。
なぜなら、民は【主】をいつも見続けていたからです。

②新約の現在、私たちにも主は、共にいて下さいます。
そして私たちが難しい荒野で
「主に導きを歩みたい」と探し求めているならば、
受け取ることが出来るのです。

・・・あなたは「主の導き」を歩みたいと願いますか。
その信仰によって、あなたは主の助けの中を、歩むことが出来るのです。


『はずかしめを経験されたイエス様』
【マタイ27:29 それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ばんざい。」27:30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。・・・
27:39 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」】

①イエス様は、十字架に向かう途中、様々なひどい言葉を受けました。
王であり、私たちの罪を赦すために「犠牲を歩まれた救い主」が、
このような仕打ちを受けたのです。

しかしイエス様は、ただ黙々と「はずかしめの道」を歩んでくださったのです。
それはプライドが壊れ、惨めになるような道でした。

②イエス様は「このような恥ずかしめ」を受けられたからこそ、
私たちの痛みや苦しみを「理解して下さるお方」なのです。

・・・主とお出会いするのは「高い王のような場所」ではなく、
「低く惨めな場所」で出会うことが多いのです。YccFuji







20170211
[PR]

by Happiness-eachday | 2017-02-11 00:46 | 2017年 | Trackback

トラックバックURL : http://yokkaichic.exblog.jp/tb/23833096
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< 2月12日レビ記1-3章 マタ...   2月10日出エジプト38-39... >>