12月3日ガラテヤ1-3章『パウロが知っていた、キリストの価値(信仰義認)』
2014年 12月 03日
【3:11 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。3:12 しかし律法は、「信仰による」のではありません。「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。】
①パウロは、以前はキリストを信じておらず、迫害をしていました。
しかし復活のキリストに出会って、
イエス様をキリストと信じ、
命がけで伝道を開始したのです。
ですから彼は「ユダヤ人の教え(律法)の限界」を知っていましたし、
キリストによる「信仰の恵みの素晴らしさ」を人一倍理解していたのです。
イエス様の十字架の犠牲は、
大切な家族よりも自分の命より大きな価値を持ったものです。
②ですからパウロは、
イエス様を信じた人が、キリスト(信者の交わり)から「簡単に離れてしまう」ことを嘆きました(1:6)。
こんなにも価値のある「キリスト」から、
人が「違うもの」に目を移してしまう恐ろしさを感じていたのです。
・・・あなたはイエス様の十字架の犠牲が
「どれ程価値のあるものか」を理解していますか?
第一のものを第一にする人生は、
「最も祝福された人生(14節)」となるのです。
パウロはそのことを知り、人々が悟ることを涙ながらに願っていたのです。YccFuji
20141203
by Happiness-eachday | 2014-12-03 05:39 | 2014年10-12月 | Trackback