12月11日Ⅰテモテ1-3章『憐れみと愛を受けた私たち』
2013年 12月 11日
【1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。】
①使徒パウロは、
自分が救われ、イエスキリストによって慰めを受けたのは、
人々の見本となるためである、と考えていました。
②彼は立派な人物でしたが、
彼の内面と行動を自分自身で考えた時、
『罪人のかしら』と言わざるを得ない『自分』を知っていたのです。
③残念ながら、私たちは罪人です。
それは自分の願う正しいことができない(ロマ7章)という、病気のようなものです。
しかしこの状態から救い出してくださる方がおられます。
その方がキリストなのです。
私たちが救われたのは、
この方の素晴らしさを経験すると同時に、伝えるためです。
それは「この救いを求めている人々」が、「受け取るため」なのです。YccFuji
20131211
by Happiness-eachday | 2013-12-11 05:42 | 2013年10月-12月 | Trackback