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4月28日Ⅰ歴代19-21章『誘惑の危険、悔い改め』

懸賞 2010年 04月 28日 懸賞

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『誘惑の危険、悔い改め』
21:1 ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。・・・21:7 この命令で、王は神のみこころをそこなった。神はイスラエルを打たれた。21:8 そこで、ダビデは神に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。・・」

①ダビデ王は晩年、神よりも民の数により頼み民を数え、そのことが神の御心に反しました。②彼はそのこと気がついた時、こころから悔い改め、主に委ねました。③そして祭壇を築くようにという、神からの命令を、自分の費用で行ったのです。・・・ダビデほどの人物でも、弱さがあります。その弱さに付け込み、悪魔は人間を誘惑するのです。批判、不信、苦い根・・・人はいくつかの弱さを持っています。しかし罪に気がつき正直に悔い改める時、主は赦しの道を準備されているのです。もう一つ大切なことは、その後、主を礼拝し、従い続けることです(18節)。今日も主にお従いしましょう。主は失敗を乗り越え、私たちを導く神なのです。YCCFuji

コメント
人には、弱いところがあります。
それは最初から出てくるときもあれば、ある状況になると、出てくる弱さもあるのです。

ダビデが必死に戦っていた若い頃には、彼はその様なことを考える余裕さえなかったのです。
しかしダビデが国の実権を握った晩年、彼は民の人数を数え、兵士の数を把握し、自分の力を確認し誇示しようとした、隠れていた欲が出てきたのです。

私たちも、必死に生きている時には、受けない誘惑があります。しかし物事を達成した後、私たちが何を実は頼りとしようとしていたかが、明らかになる時があるのです。その時に、自分の誇ろうとするもの(お金や家、地位や名誉、時に自分自身)を頼りにしていたならば、それらの偶像(真の創造主以外のもの)によって足元をすくわれることがあるのです。

しかし失敗を通じて、学ぶと言うことが私たちの人生の一面でもあります。
ダビデの素晴らしいところは、気がついたときに、素直に悔い改め、主に委ねることが出来たことです。

そして主から命じられた、「祭壇を築き、礼拝を捧げる」行為を、ここらから成し遂げたのです。(自分のお金でそれをしたところに彼の動機を見ることが出来ます)
彼の人生は、この後も主に導かれ、祝福が与えられ続けました。それは彼が真に悔い改めたことの証拠でもあるのです。

失敗して、自分の心の弱さに気がついた時、それを悔いるだけの人もいます。その場合は、行動が変わりません。(だだ何度も悔いるだけ、反省するだけです。)
しかしこころからの悔い改めは、それが一見、変化を伴わないように見えても、必ず方向が変えられていくのです。(ちょうど、分かれ道が最初はわずかでも、次第に離れていくのと同じです)

目には見えませんが、現実に存在されている創造主の前で、正直に歩みましょう。主に対して正直ならば、ダビデのように、あなたは必ず良い方向に導かれるのです。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。ガラテヤ5章」

by happiness-eachday | 2010-04-28 12:07 | 2010年4月 | Trackback

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